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35.ミゼル

挿絵(By みてみん)

「バッドモ~ニング」


 目覚めるとそこはどうやら地獄のようだった。

 死者の世界の水先案内人が、死神のような恐ろしい笑みを浮かべて僕を見下ろしている。

 

「あ、ネム様、目が覚められたのですね……良かった」


 いや、やっぱり天国かもしれない。

 可愛らしく切られたリンゴをお盆に乗せた小鬼が、天使のような微笑みで僕に駆け寄ってくる。

 

「どうやらまだ意識が混濁しているようね♪ ならこれでどうかしら?」


 死神が嗜虐的な笑みを浮かべると僕の肩をちょんと指先で突っつく。

 すると身体中を電流のように激痛が走る。

 

「――――っ痛ッ!」


 これはレベルドープによる副作用の痛みだ。

 どうやら僕はまだ生きているらしい。

 

「天使のようなアタシを見て地獄、鬼の更紗を見て天国とはね。どうやら腐った目だけは自慢のポーションでも治せないようね」


 冗談はさておき、痛みを我慢して身体を起こすとそこは質素な和室だった。

 床に敷かれた畳は日に焼けている割に毛羽立ちも無いところを見ると、よほど大事に使われてきたらしいことが伺える。

 

「ご無事でよかったです。ここはかか様が生前使っていた部屋ですよ」


 気付けばいつもの一張羅とは違う、白い絹の寝間着を着せられている。

 恐らく血塗れになった服を交換してくれたのだろう。

 胸の傷も綺麗に完治しているところを見るに、ポーションも使ってくれたらしい。

 

「更紗が助けてくれたのか。ありがとう」


「ポーションを飲ませて上げたのはアタシなのだけれど?」


「いえ……お着物は汚れていたので今洗濯をしています。着替えが女物で申し訳ありません。とと様のは寸法が合わなかったもので」


「ア・タ・シ、がポーションを飲ませた命の恩人なのだけれど?」


 という事は今着ているのは更紗の母親のものだろうか。

 純白の着物はおろしたての様に皺も入っておらず、使用者の几帳面ぶりがうかがえる。

 

「……なんだか不思議ですね。さっきまでネム様の中にはとと様がいた。なのにそうしているとむしろかか様のような雰囲気を感じます」


「そう言われて悪い気はしないよ。ありがとう」


 すると何故か更紗は照れたように俯いてしまう。

 

「うぅ……、ネム~、この副作用……思ったよりきついぞ」


 声に気付いて隣を見ると、同じく布団に寝かされてうなされているアネモネが居た。

 

「うぐっ! だ、駄目だ……身じろぎするだけで全身に激痛が…………」


 僕の作るエクスポーションは外傷なら治せるが疲労はどうしようもない。

 単純に使用したエネルギーの不足や筋繊維の炎症は休息と食事で補うしかないのだ。

 

 ちなみに肉体の変調やウィルスなどによる病気も、肉体の正常な状態変化、いわゆるデバフなのでポーションでは治療不可だ。

 それでも現実に存在すれば奇跡の薬であることは間違いないが。

 

「ところでアナタに会わせたいゲストがいるから紹介するわ。入りなさい、マリス」


「…………久しぶり、お兄ちゃん!」


 唐突にラヴレスに呼ばれ、襖を開けて現れたのは確かに僕の記憶しているマリスの姿だった。

 白いワンピースに小柄で華奢なシルエット。少し高めの声に朗らかな笑顔はマリス以外の何者でもない。

 他の者が見たならば――――の話だが。

 

「悪趣味だな。何のつもりか知らないが、人の記憶を土足で汚すような真似は止めろ……ミゼル」


「……へえ、親ですら見分けられない完璧な演技のはずだったんだけどな。……なんでわかった?」


 確かに事前にミゼルを見ていなかったら違和感程度に流していたかもしれない。

 だが瓜二つの存在を知っていれば、入れ替わりを疑うのは当然のことだろう。

 

「マリスはいつも僕に負い目を感じていた。生き返れると知っても、やはり僕を殺すことに罪悪感があったんだろう。何度気にしなくていいと言っても、そんな風に真っすぐな笑顔を向けてくれることは無かったよ」


「ね? だから言ったでしょう。ネームレスはアナタに騙されるほど間抜けじゃないって」


「いいんだよ。こいつが本当にマリスの言ってた『お兄ちゃん』なのか、そうならマリスをどう思ってたのか知りたかっただけだからな」


 恐らくラヴレスが喋ったのだろう。

 僕とマリスの事を知っているのはあの時現場にいたモブさん、それ以外に考えられるとしたらラヴレスくらいのものだ。

 

「君たちは双子だったのか?」


「見ての通りだよ。ま、中身は真逆だったけどな」


「そうか…………すまなかった。マリスを死なせたのは……僕にも原因がある」


「ほーん、つまりアンタは身内の仇って訳だ。じゃあ殺されても文句は言えねーよなあ?」


 立ち上がったミゼルは殺気を放ちながら、サメ歯をむき出しにして舌なめずりをする。

 

「悪いけど今の僕は死んだら終わりなんだ。無抵抗で殺されてあげるわけにはいかないけど、周りを巻き込まないと言うなら一騎打ちで受けよう」


 受けて立つと応えた僕に更紗とアネモネは必死で止めにかかる。

 

「ば、馬鹿者……、貴様一人で勝てる相手か……痛っっう!」


「そうですネム様。過去のお話はラヴレス様から聞きましたが、それはネム様の責任ではありません」


「その辺にしなさいミゼル。またマリスに引っ叩かれるわよ?」


 マリスに……?

 もしかして気を失う前に見た人影はやはりマリスなのか?

 

 マリスが僕の前に姿を現すことは何度もあったが、そのような具体的な行動を示したことは無い。

 だが炎王が強い意志で僕の身体を通して具現化したように、マリスが顕現したとしても不思議じゃない。

 

「あー冗談、冗談だよ。実際のとこアンタに恨みなんてこれっぽっちもねーよ。むしろ感謝してるくらいだ」


「感謝……どうしてだ?」


「……アイツの《殺人衝動》に限界がきて家を飛び出した日、もう会うことは無いと思ってた。会ってもオレと同じ化け物になってるか、一人での野垂れ死んでるか、そう思ってたよ。それが次の日には幸せそうな笑顔で帰って来やがったんだ。アイツのあんな顔を見たのは初めてだったぜ」


 ミゼルは目を細め、思い出を懐かしむように続ける。


「それからも毎日幸せそうな顔でアンタに会いに行ってた。最後の日までな。それだけであいつは満足だろうよ。だからオレはアンタに感謝してる。だから殺さねえ。また引っ叩かれるのも嫌だしな」


 その言葉にラヴレスも真面目な顔で頷く。

 

「マリスのゴーストに恨みや後悔の念は一かけらだって残っていないわ。現にミゼルに殺されそうなアナタを身を挺して守ったのはマリスの影人形(シャドウストーカー)よ」


 今まで僕の前に現れていたのは実体を持たない正真正銘の影、ゴーストだった。

 それがラヴレスの影人形で受肉することでより明確に行動する事が出来た訳だ。


「そうか……」


 胸に手を当て、僕に憑りついているであろうマリスに感謝を伝える。

 するとその意思が届いたのか、マリスの影は姿を現し、僕の頬に触れると再び消えた。

 

「愛されてんなーアンタ。オレも出会ったのがあの神父じゃなけりゃ、ちったあマトモに生きれたのかもな」


 そう言うともう用は無いとばかりに踵を返し、ミゼルは出て行こうとする。


「君は何でウィンストンに従っていた? テイムされていなかったのならいつでも逃げ出せたはずだ」


「前も言ったが殺戮(エサ)だけは適度に貰えたからな。逃げても特にやりたい事も行く場所もないから付き合ってやってただけさ」


 そうか。

 それが君の辿ってきた人生か。


「待ってくれミゼル。……君も、僕たちと一緒に来ないか?」


「……あン? 勘違いすんなよ、オレはマリスみたいにお人好しじゃない。腹が減ればアンタの大事なそこのちっこい鬼っ子だって殺す(食う)かもしれないんだぜ?」


「解ってるよ。《殺人衝動》を抑え続ければいずれ発狂して死ぬ。君が生きるために誰かを殺すことは多くの人が肉を食べるのと同じことだ。責める気は無い」


「ハッ! 笑わせんなよ。だったら今この場で一人くらい食って見せてやろうか?」


 僕は立ち上がってミゼルに手を差し出す。

 

「幸い僕は殺しても生き返るって人たちを大量に知っている。君は罪の意識に苛まれることなく腹を満たせる。それに……」


 ミゼルは僕の手を見て動かない。

 続きを聞いてから答えは出す、そう言っているかのようだ。

 

「マリスだけ救ったんじゃ不公平だろう。双子の君にだって、幸せに生きる権利はあるはずだ……ってマリスも言ってる気がする」


 するとミゼルはきょとんとした表情で固まっている。

 まるで今までそんなことは考えたことも無いというように、自分が不幸だと感じたことも無いのだろう。

 

「ハハッ! いいねそれ。確かにオレ様にだって幸せになる権利はあるはずだ。例え今まで何百人と殺してきた畜生でもな。だがオレ様が殺した奴の仲間が現れたらどうする? もしかしたらそいつは罪もない親を殺された可哀想なガキかもしれねーぜ?」


「僕は万能じゃない。手を差し出せるのは目の前にいる人だけだよ。もしそういう人が現れたら…………その時は心から謝ろう。僕も一緒に頭を下げて上げるよ」


 そんな僕の言葉に、アネモネは呆れ、更紗は解ってましたとばかりに頷いてくれた。

 

「甘ちゃんだねー。さすがはマリスの惚れた男って感じだぜ」


「それで、答えは?」


「…………いいぜ。飯の食い上げにならないってのは助かる。だが一つだけ条件がある」


「うん、聞こうか」


「いつかアンタはオレ様が食う。知ってるか? お人好しほど殺した時の味は最高に美味なんだ。アンタはオレ様の人生のヴィアンド(メインディッシュ)だ。それまでは誰にも殺させない」


 そう言って僕の手を取ると膝を付き、甲にキスするように舌を這わせた。

 

「うん、やっぱり雑味(悪意)の無い良い味だ。マリスの奴、確かにこんな美味いもんを食ってりゃあれだけ元気にもなるはずだ」


 うっとりした表情で、その味を噛みしめるように咀嚼する。

 そんな様子を微笑ましく見ていると、なにやらラヴレスが訝し気な顔で僕を見ているのに気付いた。

 

「被虐趣味で小児性愛、その上男色の気もあったのね……。本当、我ながらとんでもない性欲モンスターを生み出してしまったようだわ」


 どうしてこいつはいつも余計なことしか言えないのか。

 ミゼルよりもこいつの方が余程扱いが厄介だと独り言ちた。


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