32.インストール
数秒前。
更紗が矢面に立ったことでもはや猶予が無いと感じた僕は、心の中でなりふり構わず助けを求めていた。
(もう限界だ。ラヴレス、僕に力を貸せ)
(……アタシはNPC同士の争いには関与しないと言わなかったかしら?)
(あのウィンストンと言う男はお前じゃなくフェイスレスとやらを信仰しているんだぞ? そいつはお前にとっても敵じゃなかったのか?)
ラヴレスを閉じ込めたのはフェイスレスと言う使徒だと前に言っていた。
それならばその信徒に敵対するのに躊躇など必要ないはずだ。
(主義志向なんて関係ないのよ。アタシにとってはどんな下衆でもすべからく子供のようなものなのだから)
そいつはまたずいぶんと立派なナショナリストだ。
だが親なら子供が悪いことをしたのならきちんと叱ってやるのが道理だろうに。
(なら縄を解くだけでいい。協力してくれたら、お前の傀儡にでもなんでもなってやるさ)
(あははは! それはとても愉快……いえ、やっぱりつまらないわね。でもそんなに焦る必要は無いわ。アタシが手を出さなくても、すでに我慢の限界を越えそうな男が暴れまわっているから)
(一体なんのことを…………!?)
その瞬間、足元の影から何とも言えない異物感が身体に浸透してきているのを感じた。
(アタシのいる終わった世界には死んだNPCたちの記憶と意思の残滓が沈殿している。その中には当然、アナタや更紗を助けたいと思うあの男もいるのよ)
異物感が全身を覆う頃には、目に映る全ての景色が違って見えていた。
ただの巨木にはその頂上から見える美しい景色が連想され、当惑している鬼人族たちの一人一人が、その名前や普段の何気ない笑顔まで脳裏に焼き付いている。
そしてすぐに理解できた。
これは死んだはずの炎王の記憶が、僕と連結されているのだと。
(本来はアタシの影人形を媒介にして操るものだけど、どうやらアナタの肉体にもその依り代となれる素養があったようね。これも全規制解除の能力のおかげなのかしら)
記憶だけでなく、炎王の持つスキルや経験までもが身体中に浸透しているのが感じられる。
気を抜けばそのまま乗っ取られそうなほどだ。
(気を付けなさい。乗っ取られたら炎王はその身体で本能のままに暴れまわるわよ。アナタや更紗たちを守りたいという意思はあるけれど、それを制御できるほどの理性はすでにデリートされているわ)
(憑依……いや、インストールとでもいうべきか。すまないな炎王。僕にはまだ君の力が必要なようだ)
その言葉が届いたのか、暴れまわる炎王の意思は僕の中で同居し、これからやるべきことをはっきりと認識できていた。
◇◇◇
現在。
「……お主、本当にあの馬鹿息子なのか?」
「ジジイか。相変わらず生き汚さは天下一品だな」
信じがたいが今のは僕の口から出た言葉である。
記憶が人格を形成しているとは言うが、炎王の記憶があるだけでここまで態度が変わってしまうものなのだなと改めて驚愕してしまう。
「俺は今から教会の犬どもの相手をする。お前たちはどうする? 守って欲しいと言うなら、もちろんやぶさかではないが?」
これは挑発である。
お前たちはただ守られるだけの家畜なのか。それとも勝ち取るだけの力を持った鬼なのか、と。
そんな中、問われた鬼人族の中から一人の壮年の男が前に出て膝を付く。
「恐れながら、貴方様は我らが信を置く炎王様で相違ありませぬか?」
「……俺の名前はネームレスだ。だが、お前が俺の旅立ちを唯一人見送ってくれたのは覚えているぞ、戦角」
「…………!! やはり炎王様だ……! 例えお姿は違えど、そのお心は炎王様に違いない!」
戦角はうっすらと涙を浮かべながら、傅いて喜びに打ち震えている。
彼は炎王の兄弟弟子にして、もっとも信頼厚き家臣であったと記憶にある。
「炎王様、どうかご命じ下さい。我らに、自由と誇りのために戦えと!」
「俺はお前らの長じゃない。決めるのはお前ら自身、そうだろう? ジジイ?」
飛炎に視線をやると、眼を細め、見極めるように僕と更紗、そして鬼人族の集団を見つめている。
気付けば彼らも決意を固めたのか、男衆たちは女子供を守るように一歩前に出て、現行の長の言葉を待っている。
「…………我らは生きながらに死んでいる、か。それでも儂は我らの種を守りたいと思う。その意思に変わりはない――――しかし、だ」
飛炎は持っていた杖を一つ打ち鳴らすと、決意したように鬼人族たちに告げる。
「お主たちが真に生きたいと願うなら、それに応えるのが長たる儂の務めなのだろうな」
「大じじ様、それでは――――」
「戦える者は武器を持て! 我らはこれより生きるために戦う! 女子供を守り抜き、真の生存を勝ち取れ!!」
その瞬間、鬼人族たちから森を揺らすほどの雄叫びが響き渡る。
状況に飲まれて静観していたウィンストンも亜人兵たちも、そのあまりの怒号に一瞬怯えを見せざるを得なかった。
だがさすがにそこは兵を束ねる者。すぐに正気を取り戻したウィンストンは兵たちに指示を出し、誰も逃がさぬよう包囲の陣を敷く。
「やってくれたな飛炎殿。……いや、恐れ多くも神の使徒を騙る貴様だ! 信者たちを誑かし、神のご意志たる私に刃を向けたこと、万死に値するぞ!」
「俺はお前に感謝しているよ。命より価値のあるものを教えてくれたんだからな。お礼に信仰する使徒様に会わせてやるよ。お前の敵対しているラヴレス様の方だがな」
殺意を向けられたウィンストンはすぐさま亜人兵をけしかけてきた。
ウェアウルフ、リザードマン、ケンタウロス。いずれも戦闘力に長けた勇士なのだろうが、鬼火のひと薙ぎで体に燃え移った火を消そうと必死で地面を転げまわることになる。
「炎王様、これを!」
戦角が投げてよこしたのは、かつて炎王が愛用していた野太刀だった。
遺品として大事に保管されていたのだろうそれは、汚れ一つなく、抜刀してみるとまるで打ちたてのようにきらめく刀身を露わにした。
「俺の身体には少々大きすぎるが、振り回して気絶させるには丁度いい重さか」
刀を構える僕にさらなる追撃を命じるウィンストンだが、すでにほとんどの亜人兵は鬼人族との戦いに必死で、とてもこちらまで手が回りそうにない。
鬼人族の倍の数の亜人兵だが、それを圧倒するほどに鬼人族の戦闘力は一方的だった。
これなら僕が手を出すまでもなく決着は付くだろう。
結局彼らに必要だったのは力による助けではなく、その背中を後押ししてくれる存在だったのだ。
「どうやら空いているのはお前だけみたいだな神父様。直接手を下すことすら厭うお前の狡猾さ、死んで贖え」
「ゆ、許さん、許さんぞ! 神を愚弄する貴様ら背教者どもなどに、敬虔なる我が信仰が屈することなどあってはならないのだ! ――――ミゼルッッ!!」
名を呼ばれた瞬間、ウィンストンの背後にあった馬車は爆発するように弾け、天井を突き破り飛び上がった拘束衣の少年ミゼルは、操り人形のような歪な動きで僕の前に立ち塞がった。
しかし予想に反してすぐに襲い掛かってくるようなことにはならず、まるで何かを探るように辺りをきょろきょろしている。
「何をしているミゼル! その異教徒ともども背教者を皆殺しにしろ!」
ミゼルは怒鳴っているウィンストンに振り向くと、まるで肩を竦めるように身体をひねる。
こいつ、まさか……。
「「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」」
突然地鳴りでも起こすような強烈な叫び声をあげるミゼル。
それは音波による衝撃か、はたまた何かのスキルなのか、ミゼルの顔半分を覆っていたマズルはまるで朽ちるようにボロボロになって崩れ落ちた。
口枷が取れたミゼルは新鮮な空気だと言わんばかりに深呼吸をしている。
そして匂いを辿る犬のように鼻をひくひくと動かすとようやく目的のものを見つけたのか、僕の方を向き、サメのような歯を見せニヤリと笑う。
「ごちそう……、見ぃ~つけたっ♪」
そんなセリフとともに、獲物に食らいつく狼のように、襲い掛かってきた。




