29.悪意と暴風
「マリス……じゃあないか」
動く様子もないその身体は一瞬マリスの遺体が掘り起こされたのかとも考えたが、よく見るときちんと呼吸はしているようだ。
僕の隣にマリスの幽霊がいる以上、この子は他人の空似か、あるいは姉妹か何かかもしれない。
ちなみに顔が拘束衣で隠れているのに何故分かるのかと言われれば、角の形状や髪形が全く一緒だったからだ。
「これは……魔人種か。ウィンストンめ、いくら他種族とは言え子供を攫うような真似までしているとは!」
「すぐに助けてやりたいけど、今騒ぎを起こすのは得策じゃないか……」
「いいのか? この少年は貴様の知り合いなのだろう?」
「いや、似ているけど別人…………ん? いま少年って……」
マリスは女の子だったはずだが。いや、この子はマリスじゃないから正確には分からないのだが。
「少女……じゃないの?」
「貴様……観察眼は鋭いのにそう言うのには疎いのだな。たしかに髪形は少女のようだが、こいつは少年だ。間違いない」
うーん。言われてみれば他人の性別に頓着しない性分なのであまり気にしていなかったが、髪が長いから女だというのは確かに短絡的か。
「一応聞くけど、アネモネは女だよね?」
「あ、当り前だ!!」
「スミスが女性だったりとかは…………?」
「うっ、き……気持ち悪いことを言うな…………。ついでに言っておくが、くるりも更紗殿も女だからな」
良かった。とりあえず今までの人たちに関して誤った認識はしてないようだ。
特にスミスはオークだから、人間の容姿基準で性別を測れないから少し不安だった。
そんな無駄話をしていると外から話声が近づいてくるのに気付く。
これ以上ここに居るのはまずいと判断してすぐに馬車を出ることにする。
マリス似の少年に関してはもう少し調べたうえで、不当な扱いを受けているようだったら何とかして助け出すようにしよう。
馬車から降りると、丁度戻ってきたらしいウェアウルフを引き連れたウィンストンと目が合ってしまった。
ちなみに幽霊の方のマリスはすでに姿を消している。
「おいお前ら! 神聖な教会の馬車に何をしている!?」
こちらに気付いたウェアウルフたちは一斉に取り囲んで槍を向けてくる。
「おや、アネモネ様ではありませんか。仮にも教皇の娘ともあろう方が人様の乗り物に悪戯とは感心しませんなあ」
「ふん、これは高位聖職者用の御料車だ。貴様などには分不相応だと思ってな。それより更紗殿の件、貴様の思い通りになると思うなよ」
すごむアネモネに対して、ウィンストンは何がおかしいのか小馬鹿にしたように笑っている。
「あっははは、貴女に何が出来るというんですか! あまりの無能ぶりに母親である教皇聖下にも見限られ、聖職位も剥奪された哀れな小娘が!」
アネモネは怒りに震えながらも何も言い返せないでいる。
彼女の事情について深く聞いたことは無かったが、黙って言われるままになっているのがそれが事実である証拠だろう。
さらに畳みかけるようにウィンストンが辛辣な言葉を投げかけてくる。
「風のうわさでは、何やらオークと組んでレジスタンス活動をしているとか? 下賤な豚などとつるむだけでも汚らわしいのに、教会の名を使って反体制活動など、恥を知りなさい」
「ち、違う! 私は教会に翻意するつもりなど無い! 私は異界人から信徒たちを守るために――――」
「黙れ下賤な小娘が。聖下もこのような愚物を生み出してしまったことをさぞお嘆きになっていることでしょう。私がこの場でその憂いを断ってあげましょう」
ウィンストンの合図でウェアウルフたちが一斉にアネモネに襲い掛かる。
だが当の本人は言われた内容にショックから抜け出せないのか、成す術もなくその凶刃に倒れようとしている。
「僕の仲間に、これ以上の侮辱は許さない」
抜き放ったフリントロック銃には特性のスモーク弾を装填している。
それをアネモネの足元に撃ち込み、彼女を中心としたウェアウルフの集団を包み込むように炸裂させる。
「顔を伏せろ! アネモネ!」
「ネム!? くっ…………」
僅かの後、スモークが晴れた場所には必死に顔を覆ったアネモネと、顔を抑えてうずくまるウェアウルフたちが現れる。
スモークには催涙ガスが含まれており、獣のように嗅覚や皮膚感覚の強いウェアウルフには効果は絶大だろう。
「もう顔を上げても大丈夫だよ、アネモネ」
「ネ、ネム……、すまない、助かった」
部下たちが無力化された様を見てウィンストンは一瞬呆けていたが、自分の権力の優位性を思い出したのか、今度は僕に向かって声を荒げて脅しをかけてくる。
「……貴様、どこの種族の者か知らんが、教会に逆らって無事でいられると思っているのか!」
「君こそいい加減にしろよ。アネモネは僕と更紗を助けてくれた恩人だ。僕たちだけじゃない、君らが見ぬふりをしてきた多くの人たちを、無能な神の代わりに救ってきたし、これからもそうしてもらう予定なんだよ」
「ネム……貴様…………」
銃の弾を込め直し、ウィンストンに向かって照準を合わせる。
解析スキルで確認した所こいつのクラスはテイマーで、おそらくウェアウルフたちを操っていたんだろうが、それらはあと一時間は動けない。
武器を失った哀れなテイマーに、今度はこちらが一方的な暴力をちらつかせる。
「しばらく様子を見るつもりだったけど気が変わった。君に更紗は預けられない。それからアネモネにもきっちり謝罪してもらおうか」
銃を前にしてひるむかと思ったウィンストンは、思いのほか冷静で、むしろ嘲るような笑みまでたたえて僕に対峙する。
「くく、ははは! 何者か知らんが全くもって身の程を知らん奴だ! 私に謝罪しろだと? 雑兵を倒したくらいで図に乗るな! この男を殺せ! ミゼル!!」
ウィンストンがそう叫んだ途端、背後にあった馬車の扉が内側から弾け飛ぶ。
そこから飛び出した人影は一足飛びで僕の目の前まで近づき、暴風のような勢いで回し蹴りを放ってきた。
咄嗟に腕でガードはしたものの、その強力な一撃は僕の身体ごと吹き飛ばして近くにあった木造家の壁を突き破ってようやく止まった。
片腕はへし折れ、身体中擦り傷だらけだが、幸い内臓に損傷は無さそうだ。
「ネム! 大丈夫か!!」
慌てて駆け寄ってきたアネモネは僕に治癒魔法をかけるが、あいにく彼女の魔法レベルでは擦り傷を治す程度の効果しかない。
「アネモネ……鞄にポーションが入ってるから飲ませてくれ。腕が折れて動かない」
ポーションによって完治した姿で木造家から出てきた僕を見て、ウィンストンは訝し気な視線を送ってくる。
「ミゼルの一撃を食らって無傷だと……? その小娘には高位の治癒魔法は使えないはずだが……、貴様何をした?」
どんな怪我でも瞬間回復させるエクスポーションの存在は、キングダムにいる者を除けばまだこの世界の住人には知られていない。
建物の中で回復したので彼には僕が攻撃を無傷でやり過ごしたように見えても不思議ではない。
おかげですぐにトドメを刺そうとせずに警戒してくれるおかげで、対応策を考える時間が出来た。
ミゼル――――あのマリスそっくりの少年の力は尋常じゃない。何か手を考えなければ次は即死させられかねない。
恐らくテイムの力によって操られているのだろうから、先に操者の方を何とかできればいいのだが。
「そこまでだ! 鬼人の領地で勝手な争いは許さぬ! 双方とも矛を収めよ!」
騒ぎを聞きつけた村人に連れられて現れた飛炎の一喝で、なんとかその場は治められた。
「ウィンストン神父、事情は知らぬが里内での殺しは遠慮してもらおう。更紗は引き渡す。里を出た後は関与せぬ故、好きにされるがよい」
「飛炎殿! 貴方は肉親を売り渡すつもりか!?」
納得のいかないアネモネは食って掛かるが、飛炎はその鋭い眼光を持って黙らせる。
「まあ……いいでしょう。背教者どもの処刑はこのあとゆっくり行うとしましょうか。さあ。それではその娘をこちらに……」
飛炎の脇に控えていた更紗に手を伸ばすウィンストンの腕を、飛炎は杖で制する。
「お渡しするのは明日だ。せめて別れを惜しむ時間くらいは、創造神もお許しになるだろう」
「はあ? そんな勝手な言い分が許されるとでも――――」
反論しかけたウィンストンは、しかし飛炎の総毛立つような凄まじい殺気に続きを声に出すことは許されなかった。
「譲歩できるのはここまでだ。明日の朝、日が昇るまでは孫はもちろん、その恩人方にも一切の手出しは遠慮願おう。それが我らの誇りが許す限界だ」
気付けば周りの村人たちも殺気だってウィンストンに憎しみの目を向けている。
本来は亜人種最強であるはずの彼らが、これまで受けてきた圧政による屈辱の恨みがそこには込められているのだろう。
傲慢な態度を崩さなかったウィンストンも流石に彼らを敵に回す度胸は無かったのか、悪態をつきながらもこの場を引き上げていく。
「ネム様、お怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だよ。それより、やっぱり君を――――」
「この先にとと様のお墓があるそうです。良ければお付き合いいただけますか?」
僕は更紗に押し切られるように炎王の墓へと向かうことになった。




