28.決死の自由か報われぬ平和
更紗を拘束する。その言葉を聞いたアネモネが激昂するのをなだめ、飛炎は自分が説明すると言ってウィンストンを退室させることでその場は一旦落ち着いた。
僕とて言いたいことはあるが、まずは事情を知らなければ反論のしようもない。
当の更紗も状況は理解しているだろうに落ち着き払っている。
「さてネム殿と言ったか。見苦しいところを見せてしまったな」
「いえ、見苦しかったのはアネモネだけですので」
「おいネム貴様!」
「ごめん冗談だ。君の気持は理解できるし僕も同じだけど、まずは話を聞いてからだ」
しかし納得がいかないのか、アネモネはそっぽを向いて座り込んでしまった。
短気なのは問題だが、仲間のためにすぐさま怒れるのは少し羨ましくも思う。
「脱領の罪……と言っていましたが、村を出ることが罪になると?」
「お主はよそ者なのか? 左様だ。亜人種は数が多いのでな。種族ごとの争いが起きぬように割り当てられた領地から勝手に出ることは教会によって禁じられている」
「捕まるとどうなります?」
「大人の場合は良くて軍属、悪くて斬首というところか。更紗はまだ幼子であるから修道女として教会で教育を受ける事になるだろう」
なるほど。命の危険が無いからこそ、この祖父も孫の危機に際して比較的冷静でいられるという事か。
それにしても一生を村の中で過ごすとは、確かにあの炎王なら戒律など無視して出ていくだろうことは想像に難くない。
彼は自由や広い世界に憧れを持っていた。
それを娘にも知って欲しいと思ったのもまた親心なのだろう。
「あなた方の事情は分かりました。しかし僕も炎王から末期の言葉で更紗を任されました。なんとか刑罰を逃れる手は無いでしょうか?」
「……かつて亜人種は三十を超える種族による戦乱の時代があった。それを平定し纏めたのが創造神教だ。その戒律を破れば教会はわれら鬼人族を根絶やしにするだろう」
確かに宗教は時として人の心に大きな影響を及ぼす。キングダムもまさに同じ経緯で誕生したからよく理解はできる。
しかし僕はそれが支配権力となってしまうことを良しとはできない。
「アネモネ、君は創造神教の神官だったんだろう? 教会は具体的にどういう組織なんだ?」
「……教会の権力は主に二つの派閥に分かれている。調和と自由を尊ぶラヴレス派と、戒律と制裁によって権威を示そうとするフェイスレス派だ」
フェイスレス――――たしかラヴレスを終わりの空間に閉じ込めた相手だと記憶の片隅にある。
「現教皇はフェイスレス派で、亜人種を厳しい戒律によってまとめ上げ、魔人種や他の領地にまでその勢力の拡大を企てている。おそらくだが炎王殿が村を出たのも、最強の鬼人族の中でも突出したその力を戦力として利用しようとされたからだろうな」
「たしかにあの馬鹿息子は秀でた戦闘能力を持っておった。拘束の為に派兵された戦士たちをたった一人で返り討ちにしてしまう程度にはな」
「ではその炎王殿の娘である更紗殿にも、その力は受け継がれているのではないか?」
「……更紗は女子だ。戦士としての指導はしておらん」
更紗のステータスについてはさすが亜人と言うべきかかなり高い。
しかしその動きを見る限りアネモネと比べても決して戦えるというレベルのものではない。
「ならば指導を行えば選りすぐりの戦士になる可能性もあるのではないか?」
「それは…………」
たしかに遺伝的にそういう可能性はありうる。
事実更紗は実戦こそ難しいが、敵の欠点を見抜く力や状況判断はとても子供とは思えないほどなのだ。
アネモネもそれを肯定するように言葉を続ける。
「あのウィンストンと言う男は教会の兵士育成機関の者だ。おそらく炎王殿の娘と言う才能に目を付けて、自分の子飼いの戦士に育て上げるつもりなのだろう。そしてそれは教育などと言う生易しいものでは決してないぞ、飛炎殿」
「……だとしても致し方あるまい。この子は罪人なのだ。孫娘とは言え、たった一人のために一族を滅ぼされるわけにはいかぬ」
「……本気で言っているのか飛炎殿!!」
アネモネはまたしても激昂しているが、僕は考えようによってはこれは都合がいいのではないかと考えている。
ここに来たもう一つの目的は同盟交渉で、独立宣言をしたキングダムと繋がるという事はどの道教会とは反目することになるのだ。
ならば更紗だけでなく、鬼人族そのものの庇護を約束できれば喜んで同盟――――いや、傘下に入ってくれるだろう。
あまり気は進まないが、ここは彼らの信仰するラヴレスに説得してもらえば――――。
「更紗は教会に参ります」
「更紗殿! 本気か!?」
更紗は僕の考えを打ち切るように言葉を続ける。
「キングダムの規模を考えればいま教会に睨まれるのは得策ではありません。それよりも鬼人族は教会に恭順するふりをしながら、裏でキングダムと同盟関係を結んでおくのが最善だと思います。いかがですか? ネム様」
この子は…………。
たしかに更紗の言う事はもっともだ。
僕も考えなかったわけではないが、感情的に採用できなかったことを自ら進言されてしまった。
「更紗よ、お前は一体何の話をしておる? キングダムとは何か申してみよ」
「全てお話しいたします、大じじ様。ネム様と出会ったときから、この時に至るまで起こった全てを」
そうして更紗は全てを語って聞かせた。
炎王の目指したもの、その無念の死。僕がそれにどのように関わり、そして今、ラヴレスと共に何をしようとしているのかを。
最初はたわ言と話半分に聞いていた飛炎も、ラヴレスとスミスの名を出されて険しい表情へと変わっていく。
「スミス……あの賢しい小童か。あの男が認めたと言うのであれば、ラヴレス様から神託を賜ったという話もまんざらたわ言とは切り捨てられぬな」
更紗の言葉を疑っていた訳ではないのだろうが、子供故の過剰評価だと理解していたところに、スミスの存在がその言葉に信憑性を持たせるに至った。
「ここだけの話だが、儂は神の威光に心酔しているわけではない。しかしだ、その威光が戦乱を治め、この地に平和をもたらしたことは事実なのだ」
「飛炎様、失礼ながら貧しい村に閉じ込められ、幼い子を兵士として取り立てられる状況を貴方は平和と言えるんですか?」
僕は率直に感じたことを伝える。
少なくとも僕には、今のこの村はまるで飼いならされた飼育場のように見える。
垣間見えた村民はみんなボロを纏い、長の家屋ですらこの様だ。
比べてあのウィンストンの華美な装いと豪華な馬車を見れば、この村は搾取されるだけの畜生にも劣る人生を強いられているに等しい。
「お主に何がわかる? 儂にはこの村と一族を存続させる義務があるのだ! あの馬鹿息子の放り出した責務がな!」
「教会は鬼人族を恐れているのだ。だから決して武器を与えず、満足な食料を与えず、日々衰えていく中から才能のある物を引き抜き、さらに追い詰めていく。それが今の教皇のやり方だ。それで満足か? 飛炎殿?」
アネモネのダメ押しの言葉に、流石の飛炎も言葉を詰まらせる。
彼も解っていたのだろう、教会が自分たちを決して人として生きることと許さないと。
「ネム様、アネモネ様、あとは更紗がお話します。お二人は離れで待っていてください」
孫である更紗には飛炎の葛藤が理解できるのだろう。
よそ者には見せられない嘆きもあるだろうと、僕たちは更紗を残して一度この場を退席することにした。
小さなボロ屋敷を出たところで突然影が揺らぐ。ラヴレスかと思ったが、現れたのは黒い少女のシルエットをしたマリスだった。
「うわっ! ネ、ネム……なんだそれは! おばけか!?」
そう言えばマリスの事はスミスやアネモネには話していなかったな。
以前くるりの危険を知らせてくれたときは近くにいたが、モンスターとの戦闘中で気付いていなかったようだ。
「失礼なことを言うな。この子はマリス。……詳しくは分からないけど、まあ幽霊みたいなものだよ」
「幽霊って……、やっぱりおばけじゃないか!」
幽霊とおばけの厳密な違いはさておき、彼女が現れたという事は近くになにか危険にさらされているNPCがいる可能性が高いということだ。
しかしこの子、最近現れるたびに姿がだんだん鮮明になってきているような気がする。
そのうち完全に生前の姿に戻りそうな……。
マリスの影はいつもの幽鬼のような無機質な動きと違い、少し興奮しているような素振りである方向を指差す。
「あの方向は……、たしかウィンストンの馬車が止めてあるはずだけど」
示された方向に歩き出す僕に恐る恐るついてくるアネモネ。
「お、おい! 本当に大丈夫か! あの世に誘われたりしないか!?」
記憶通り村の出入り口に止めてある馬車を見つけ近づいてみる。
幸い部下のウェアウルフたちは近くにはいなかったので、こっそりと馬車の扉を開けてみると中に居たのは目と口、それに手足を拘束衣で縛られた、生前のマリスにうり二つの魔人種の少女だった。




