18.学生服とマミー少女
アネモネに案内されたのは小さな村だった。
異界人に襲われた周囲の村から逃げ出してきた者たちを受け入れているらしく、小さな小屋の中には怪我人が所狭しとベッドに寝かせられ、広場では炊き出しに小さな子供の亜人や女性が列を待っている。
「おいネム、間違ってもその仮面は取るなよ? 貴様が異界人だと知られればこの場でリンチにあっても文句は言えないんだからな」
異界人であることを隠すようアネモネに言われ、僕は顔半分を覆う黒い鬼の角をあしらった仮面を着けている状態だった。
特に意識したわけではないが、人間以外の特徴を出すためにまず思い浮かんだのが炎王の立派な二本の角で、それを遠慮して少し短めの角にデフォルメして錬成した。
「よく見ておけ。みな異界人に村を追われ、家族を奪われた者たちだ。今のレジスタンスには全ての村を守るだけの力は無い。こうやって難民を見つけ出して匿うのが精いっぱいなんだ」
見回してみると女子供は無傷な者が多い。
擁護するつもりは無いが、インペリアルの法は最低限度の戦時モラルは守られているようだった。
「……負傷者の治療はしないのか? 亜人種には治癒魔法を使える神官がいると聞いてたけど、アネモネは使えないのか?」
スミスはアネモネを神官騎士と呼んでいた。
プレイヤーには発見されていないクラスだが、神官と名の付く以上は多少の治癒魔法も使えるのではないかと思ったのだが――――。
「くっ……腹立たしいが私は未熟だ。かすり傷程度ならともかく、致命傷を癒すほどの高位魔法は司祭様でもなければ不可能だ」
そう言いながら拳を握り、唇を噛みしめている。
プレイヤーのクラスでも魔法職と近接職の複合はかなり難易度が高い。
彼女が高位魔法を使えないのも仕方のないことなのかもしれない。
ならばまずやるべきことは彼らの痛みを取り除き、再び立ち上がれるようにすることだろう。
幸いにもそれは僕が最も得意とする分野だった。
「近くに薬草類の取れるところはあるかい? 出来ればポーション用のガラス瓶もあれば望ましい」
◇◇◇
「はぁっ!!」
アネモネがモンスターを相手にしている隙にポーションの原料となる薬草を採取していく。
この辺りは千代田区と違って文明の残骸はほとんど無く、辺りには木がうっそうと茂り森としての体裁を成している。
おかげで薬草の選別にも苦労はしなかった。
「君、モンスター相手にはかなり強いんだね。僕はそっちはからっきしだから手伝ってもらって助かるよ」
「き、貴様と言う奴はまた私を馬鹿にしているな!?」
「いや、今のは本当に感謝して言ったんだよ。僕はモンスター相手には勝ったことが無いからね」
「本当か……? まったく、何故そんな男がラブレス様の寵愛を賜ったのかまったくもって不可解だ」
そんな風にお互いの仕事に専念していると唐突に僕の影が揺らめき、人の形を成して傍に立つ。
「マリスか。どうしたんだい? また誰か困ってる人をみつけたのか?」
僕の質問には答えず、マリスは森の奥の方を静かに指さして訴えてくる。
彼女がなにかを訴えてくるときはその先に必ず困っているNPCがいるのだ。
僕は迷わずその指示に従い森の奥へと走り出した。
「すまないアネモネ。そのモンスターを倒したら後を追ってきてくれ」
「なっ、おいネムどこへ行く!? まさか逃げる気か!」
その言葉を振り切って進むと森の奥の開けた場所に小さな池が見えてくる。
そしてそのそばには小柄な人影と、今まさにそれに襲い掛かろうとしている四足歩行のモンスターが地面を蹴って宙に舞う。
間一髪でその人影を抱え込み、モンスターの爪が僕の肩口を掠りながら二人して地面を転がるように倒れこんだ。
「え、あ、あの……あなたは一体…………?」
突然押し倒されるようになった体勢でその人影は驚いたような表情で訪ねてくる。
短めの薄紫色の髪と顔全体から足先まで、眼と口元以外すべてを覆うように巻かれた包帯、それにこの服装は――――。
「学生服……?」
女性と思われる人影が着ているのはブレザータイプの学生服のような出で立ちだった。
まるで世界観に合っていないその格好に疑問を覚える間もなく、狼に似たモンスターは再び地を駆け襲い掛かってくる。
まずい、今武器になりそうなものは鉄製ナイフ一本しかない。
肉弾戦でどうにかなるものだろうか。
「あ、あぶない……!」
ミイラ少女の伸ばした腕の包帯がほどけるとどうやって収納していたのか、中からは真っ黒な長い爪を持った悪魔のような腕が飛び出し、襲い掛かってくる狼型のモンスターを鷲掴みにする。
「だ、だめ……勝手に動いちゃ……!」
逃れようとするモンスターをそのままリンゴのように握りつぶした黒腕は、まるで本体とは別個の意思があるように今度は僕の方へと狙いを定めてくる。
「お、お願い……そのナイフで、腕……切り落として…………!!」
次に死んだらもう生き返れない――――その恐怖が一瞬僕の背を押し、少女の腕を切り落とすべく動き出す。
しかし――――――
「その程度の決意なら、最初から君たちを守るなんて口にしていない――――!!」
僕はナイフを放り捨て、彼女の上腕ごと身体を抱きしめて固定し倒れこむ。
「その不釣り合いに肥大した前腕だけじゃ密着した本体には触れられないだろう?」
二メートルほどに伸びた前腕は僕を引きはがそうともがくが、構造上その掌が僕に届くことは決してない。
「え、え……あの、あの…………」
突然抱きしめられた制服少女――――ミイラ少女? どちらでもいいか――――は大きな瞳で僕を見つめて戸惑っている。
そんな本体の心情に感化されたのか、あるいは諦めたのか、巨大な黒腕はもがくのを止めて静かに地面へと垂れ下がった。
「……これは、もう大丈夫なのかな?」
「え……あっ……は、はい! 私の警戒心に反応して襲い掛かってただけだから、……もう、大丈夫……です」
恐る恐る彼女の身体を解放するが、自由になった腕は襲ってくる気配は無い。
まさかこんな形で再び死の危険を感じることになるとは思わなかった。
死ぬことに慣れ切っていた心に久々に感じた恐怖で、身体までがドッと疲れた気がする。
「あ、あの……ホントにごめんなさい。大丈夫……ですか?」
肥大化した腕に包帯を巻きつけながら少女が訪ねてくる。
不思議なことに包帯で覆うごとに腕は収縮していき、巻き終わる頃にはすっかり華奢な少女のサイズに戻っていた。
「ああ、大丈夫だよ。すまない、どうやら余計な手助けだったみたいだ」
これだけの能力があればあの程度のモンスターは恐れるに足らないだろう。
僕が割り込むことで却って彼女の邪魔をしてしまったのかもしれない。
「そ、そんなこと、ないです。私ボーっとしてて……ホ、ホントにありがとうございます」
そういってペコペコと頭を下げてくる。
「結果として僕もモンスターから助けてもらったわけだし、ここはお互い様ってことで」
「は、はい。あっ、肩……血が出てます」
最初にモンスターから庇った時に受けた傷だろう。
大した傷ではないし、折角なのであとでアネモネの治癒魔法とやらで直してもらおう。
「血…………」
僕の傷口――――いや、血を見て陶酔するように瞳を潤ませている。
もしかして――――
「血……飲みたいの?」
彼女の特徴は亜人種や竜種ではなく、魔人種の特徴であろう角も無い。
とすれば残るは不死種、ミイラ少女と見せかけてまさかの吸血鬼の類なのかもしれない。
「そ、そんな! 初めての人の血を飲むなんて……は、はしたない事…………」
そう言いながらもチラチラと流れる血を覗き見ては喉を鳴らしている。
「僕なんかの血でよければどうぞ。死なない程度なら構わないよ」
「ご、ごめんなさい……じゃあ、少しだけ…………」
許可を得た少女は遠慮がちに僕の傷口に舌を伸ばしてくる。
なんだかこんな状況が前にもあった気がする。
そうだ、マリスに命を与えていた時だ。
少し異常だとは言え、平和で満たされていた日々を思い出してなんだか懐かしくなる。
僕はもう一度あの穏やかな日常を取り戻せるのだろうか。
傷を舐められるくすぐったさに耐えながらそんな物思いに耽っていると、不意に何者かの足音が近づいてくることに気付く。
リズム的にどうやらモンスターではなく人の足音のようだが。
「おい、ネム! 勝手に動いて一体どういうつも……り…………」
現れたアネモネの目にはさぞ問題のある光景に映っただろう。
なにせ服をはだけた男の肌にうら若い少女が舌を這わせているのだから。
「き、貴様! ちょっと目を離したすきに、こっ……こんなふしだらなことを!! やはりこの場で叩き切ってくれる!!」
制服のミイラ吸血鬼少女に説明してもらおうと思ったが、大声で叫ぶアネモネに気付くそぶりも無い。
僕の血はそんなに美味なのだろうか?
どうやらレイピアを抜き放ったアネモネの説得は僕の役目らしい。
「じつに面倒なことだ」




