2.安らぎの時間。
国王は自室で、ワイングラスを片手に口角を歪めていた。
そうしながら、戻ってきた暗殺者を出迎えるように空いた手を掲げる。静かに扉が開かれ、一人の男性が入ってくる。彼の名は【A】――貴族の身分階級にありながら、外道に手を染める者。
主として、アンデルだけはレオの素性を知っていた。
その生い立ちから、ここに至るまでの道程を調べ尽くしてある。
「ご苦労だ、レオ・シェフィールド」
「王陛……アンデル――今の私は、レオではありません」
「くくく。そういった細かいところを気にする男だったな、お前は」
二人であることを確認しつつ、国王が彼の本当の名前を口にする。
するとレオは、あからさまに不愉快そうに答えるのだった。口調こそ丁寧ではあるが、鋭利な殺気が込められていることに気付かないアンデルではない。
茶化すようにして笑うと、本題だと言わんばかりに目を細めた。
「それで【A】よ。お前は、なにを望む……?」
それというのは、今回の報酬について。
二年に渡り、成功報酬という形式で二人の関係は繋がってきた。今回もまた、それに見合った物を与えようと、アンデルは提案したのだ。
しかしレオは首を左右に振ると、こう口にした。
「いつも通りで構いません。――それでは」
そう言い残して、踵を返してしまう。
国王はそんなレオを呼び止めることもなく見送る――かと、思われた時だ。
「あぁ、待て。もう一つだけ、小さな依頼を受けてもらおう」
「………………今日も、ですか?」
ニッと笑って、そう言った。
それを聞いてレオも足を止め、肩越しに振り返る。
「……はぁ、分かりました。少しだけ、顔を出しましょう」
そして、しばしの間を置いた後にため息をつき、渋々ながら何かを了承した。
国王は満足げに彼の後ろ姿を見送り、退出を確認してから立ち上がる。窓際へと向かい月を見上げ、その綺麗な円形に息をついた。
「本当に、面白い男だな――レオ・シェフィールドよ」
◆◇◆
ボクは城の一室で普段着に着替え、ある部屋を目指した。
そこは王城の中でも、王族しか入ることを許されない場所だ。警備の兵士もいるが、例のごとく自分は認識の範囲外にいるらしい。
顔パスならぬ、ただのパスで通過。
そうして進むこと数分。
「まぁ、彼女に会うこと自体は嫌ではないけど」
一つの部屋の前で、ボクは念のため服装を整えた。
そして深呼吸をしてから、扉をノックする。
すると……。
「あぁ、あぁ――来てくださいましたのね! レオ様!!」
その先から、見目麗しき少女が姿を現した。
「あぁ、こんばんは。――ミレイナ王女」
ボクは自然と頬が緩むのを感じながら、彼女の名前を口にした。
この少女の名前はミレイナ・ガリア・クレオリス。その名の通り、アンデル国王の一人娘であり、この国の王女だった。
長く美しい金の髪に、活発そうな真紅の瞳。
まだ幼いながらに顔立ちは非常に整っており、国内に彼女を慕う者も多い。さらに噂では、通っている王立魔法学園に非公式ながら親衛隊まであるとか。
もっとも、ボクはそこまで干渉しようとは思わない。
したがってただの情報、というだけだった。
「さぁ、お入りください!」
「いや今日は、とりあえず挨拶だけと思って――」
「そんな寂しいこと言わないでください! さぁ、遠慮なさらず」
ミレイナは半ば強引に、ボクの腕を引いて笑う。
こうなることは分かっていたので、否定を口にしながらも素直に従うことにした。どういうわけか、彼女はボク――レオ・シェフィールドのことを慕ってくれている。その思いを無碍にするのは、駄目なようにも思えたのだ。
それに、何よりも。
こんな女の子は、他にいなかったから。
「ミレイナ王女は、ボクを憶えていてくれるんだね……」
「え、なにを当たり前のことを……?」
お菓子の準備をしながら、キョトンとするミレイナ。
それを見て、ボクはまた笑ってしまった。
「いいや、なんでもないよ」
「おかしなことを言うレオ様、ですね……?」
そうだったのだ。
ミレイナは数少ない、ボクを認識し、記憶できる人物。
ボクにとってのミレイナは、特別な存在だった。