1.初めての暗殺。
リリアナの家には何度も来たことがあった。
その内部構造はよく知っているし、子供の頃から裏庭で遊んでいた。だからそこに、秘密の抜け道があるのも分かっている。
少しだけ窮屈だったが、通れないことはなかった。
「不用心だな。まぁ、それはそれで助かるけど……」
長い廊下を歩きながら、不意にボクは思わずそう呟く。
いくら深夜だからといっても、警備が手薄すぎた。見かけただけでも、外に数名。さらに屋内を巡回しているのが数名だけ。
特別に訓練を受けたわけでもないボクでさえ、簡単に突破できてしまった。
「まぁ、見られても良いんだけどさ」
最後の角を曲がりつつ、そう漏らす。
どうせボクを待っているのは、破滅しかないのだ。だったら、ここで見つかっても何の問題もない。むしろ話が早くて助かるほどだった。
そして、そんなことを考えている間にケイウスの寝室に辿り着く。
「鍵もかかってない、か。どれだけ気持ちよく眠ってるんだ……」
些細なことにも、心がささくれ立つ。
しかし、これで最後なのだ。ボクは深呼吸をしてから、部屋に入った。
「ホントに、間抜けだ」
ベッドでは、大きないびきをかいて眠るケイウス。
しばし観察してから、おもむろにナイフを取り出した。一歩、また一歩と、彼の眠るベッドへと近付いていく。無警戒な、仇敵に迫っていく。
そうやって傍らまできた時。
ボクはふと、ケイウスと話しがしてみたくなった。
コイツは、どんな思いでボクの父を殺したのか、と。
「――――――おい、起きろ」
静かに、しかし彼の耳には届く大きさでそう口にした。
するとケイウスは、微かに目蓋を動かす。
「む、なん――」
「騒ぐな。騒げば、その喉を斬る」
「ひっ……!?」
すかさず、声を上げようとした仇敵の喉元にナイフを這わせた。
冷たい感触が伝わったのだろう。寝惚け眼を大きく見開き、言葉を詰まらせ、ケイウスは一気に青ざめていった。
その滑稽な姿に思わず笑みがこぼれそうになった。
しかし、それを押し止めて問いかける。
「何故、シェフィールド家を陥れた?」――と。
微かな震えが、ナイフから伝わってきた。
「お、お前は誰――」
「いいか。質問にだけ、答えろ」
無駄口を叩こうとするケイウス。
そんな彼に最後の警告を与えながら、少しだけ手に力を込めた。すると彼の皮膚に刃が食い込み、少量の血が流れる。
暗く不鮮明な世界の中、痛覚だけが過敏になっているのだろう。
間抜けな男は、蛙を潰したような音を漏らした。
「もう一度、聞く。何故、シェフィールド家を陥れた?」
そこへ、同じ問いを投げる。
ケイウスはカタカタと歯を鳴らしながら、こう掠れた声で言った。
「憎かった」――と。
冷や汗を流しながら。
「なにをやっても、私より優れていたアイツのことが憎かった。アイツがいなければ、私のプライドは傷付かなかった。すべてアイツが悪いのだ。私はなにも悪くはない。シェフィールド家は――」
さも、当然のように。
「『報い』を受けたのだ」――と。
その言葉を聞いて。
ボクの中から、スッと感情が消えていくのが分かった。
あまりに一方的な感情による行い。それに対する怒りもなにも湧いてこない。強いて挙げるとすれば、いまボクの中にあるのは軽蔑。
そして、このようなゴミに何もかもを奪われたという事実。
「…………そう、か」
最後の迷いが、その瞬間に消え失せた。
自分のものとは思えないほど、冷淡な声が聞こえる。そして――。
「なら、お前も『報い』を受けても文句はないな?」
手に、力がこもった。
その瞬間、目の前のゴミは何かを叫んだ。
断末魔なのか。それすら判別ができないほど、醜い音に聞こえた。
「………………」
確実に頸動脈を切った。
勢いよく血が吹き出して、ベッドをじっとりと濡らす。
その様子を他人事のように見守るボク。世界の時間が弛緩していくような、そんな変哲な感覚に溺れながら部屋の出入口を見た。
すると、そこには――。
「あぁ……」
――見ていたのか、と。
扉にすがり付きながら震えるリリアナを認めて、そう思った。
「お父、様……?」
崩れ落ちる幼馴染み。
そんな彼女の脇をすり抜けて、ボクは立ち去った。
なにやら、騒がしい。
当然だろう。当主が殺されたのだから。
それでも、どこか別世界の出来事のように思えた。
「…………終わった、な」
正面玄関から、外に出る。
そして、漆黒の空を見上げてボクは――。
「何もかもが、終わった……」
ただ一言。
そう、呟くのだった。