第五話 霊長類最強の男の買い物
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「じゃあ今日の所は解散ね。私はこのままクエストの受注を済ませて来ちゃうから、アンタはひとまず宿でも探して一息ついてなさい。あっ、でもその前に色々お店で買い込んどいた方がいいかも」
そう言ってティーは懐から羊皮紙と羽ペンを取り出し、なにやらいそいそと書き始めた。
「一応今回のクエストに必要そうなものを書きこんでおいたわ。ついでにこの町の地図も貸しといてあげるから、買い物がてら色々散策してみたら?」
「感謝する」
少女の厚意をありがたく受け取り、礼儀正しく頭を下げるアラガミ。
「どうってことないわ。私達パーティでしょ」
アラガミの中でこのポンコツは良いポンコツだと評価が改まった瞬間だった。
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その後ティーと別れたアラガミは『明日の明け方六時に噴水広場前に集合』というメモつきの地図を片手にランテスの町を回った。
ティーに聞いてわかった事だが、どうやらこの世界の時間の表記は地球と同一の六十進法二十四時制で、暦の季節も大体共通しているらしい。
洞察力の高い転生者であればここで「何故地球とこの世界の時間表記が同じなのか」と推察する所であるが、アラガミにとってそういうバックボーンはどうでもいいことだったらしく、深く考える事もないまま時の流れを受け入れた。
アラガミという男は必要のない思考実験を好まない。
彼にとって優先すべきは目的と効率であり、無駄な事は思考ですら許さないのである。
「では、こいつを買おう」
だから町での買い物の際も、アラガミは全く無駄のない段取りでアイテム購入を進めていった。
「はいよ。瓶詰めポーション二十四本と麻袋ね。七万三千リルになるよ」
店主の老婆の手に何枚か銀枚を重ね、アラガミは麻袋に包んでもらったポーションを受け取る。
「お兄さん、お釣りお釣り!」
「貨幣価値を教授してくれた例だ。経営の足しにしてくれ」
老婆の感謝の言葉を聞きながら、アラガミはアイテムショップを後にした。
アイテムショップでの買い物でわかったことは、リルの価値がほぼ日本円に近いという事である。
リンゴが一つ百りルで、サンドウィッチが一つ三百リル。
他にも下着や履物が日本のディスカウントストアで売られているものと酷似した値段で売られていた時は、さしものアラガミも少々面食らったものだ。
そしてそんな困惑を乗り越えてアラガミが店で購入したのがポーション二十四本とそれを入れる為の麻袋。ティーの書いたメモによれば、ポーションは飲む傷薬ともいうべき優れた回復薬で、冒険者の必需品なのだそうだ。
さて、そのポーションであるが驚くべき事に一本三千リルもの値段がついていた。日本円に換算すれば三千円。高すぎる程でも無いが、漫画やゲームの様にお手軽に買える価格でも無い。
悩んだ末、アラガミはポーションを豪快に二ダースも買い込んだ。三千リルのポーションが二十四本で合計七万二千リル、ついでに大量のアイテムがしまえると評判の巨大麻袋(一つ千リル)を購入した為、出費の合計は七万三千リルにも及んだ。
この七万三千リル――――日本円にして七万三千円分のアイテムのをアラガミは銀貨八枚で支払ったのである。
実の所この金額はアイテムの購入代金より少し多い。銀貨一枚の価値は一万リル。それが八枚で計八万リルというのがアラガミの出した金額だ。
この場合、当然支払った額と購入代金を差し引いたお釣り分がアラガミの手元に戻って来るはずだが、前述の通り彼はそれを受け取らなかった。
『銀貨は銅貨の百倍の価値を持ち、円に換算すれば一枚一万円程度の価値を持つ(意訳)』と老婆に教わったアラガミが感謝の印として彼女に渡した金額は商品の価格よりも約七千リル程多く、それがそのまま老婆のチップとなったわけである。
授業料約七千円。アイテムショップの店員に渡すチップとしては大きすぎるかも知れないが、アラガミはさして気にしない。
何故なら金は腐るほどあるのだから。
「…………ふむ」
少しだけ軽くなった硬貨袋を覗きこむアラガミ。
彼の精悍な双眸に映るのは数百枚の銀貨と十枚にも満たない金貨の山。
金貨は銀貨の更に百倍の価値がある為、総計すればグランギエータのよこした硬貨袋の中には日本円にして約一千万円以上の金銭が入っているという計算になる。
旅立ちの駄賃としては正に破格。
常人であれば卒倒するような金額だ。
しかし霊長類最強の男にしてあらゆる格闘技の無差別級を制したアラガミにとってはそう珍しい額でもなかった為、彼はさして取り乱すことなく買い物を続けた。
ここで思慮深い転生者であれば、どうして金銀銅の価値が百倍刻みなのか、そしてこの国の流通量が一体どうなっているのかという事に疑念を抱き、経済について様々な憶測を飛ばした事だろう。
しかしやはりアラガミは、そんな事に微塵の興味もなかった為「そういうものか」とすんなり受け入れてしまった。
荒神王鍵。どこまでいっても虚無的な男である。
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一夜明けて翌日。アラガミの異世界生活の二日目は明け方早々に始まった。
昨晩泊った宿を引き払い、三メートル近い体躯を揺らしながら目的の場所へと向かうアラガミ。
背中には、昨日購入したアイテムが詰め込まれた麻袋が提げられており、彼の準備が万端であるという事を物語っていた。
「やっほーアラガミ。どうやら遅れずに来れた様ね!」
時刻は午前五時五十分。約束の十分前に噴水広場へと到着したアラガミは、それよりも早く着いていたティーに迎い入れられた。
「待たせたな」
「まだ待ち合わせの十分前じゃない! 上出来よ上出来。それよりも昨日は良く眠れた?」
「万端だ。アイテムの準備も滞りなく済ませておいた」
そう言って麻袋の中身をティーに見せるアラガミ。
「どれどれ――――って、えぇええええええ!? 何よコレ。大量の回復ポーションに用途の違う解毒剤、それに貴重な刻印魔石まで! ちょっとアンタどうしたのよコレ!?」
全て合わせて合計数十万リルにも及ぶアイテムの数々。その量と質は、どう考えても駆け出し冒険者が用意できるレベルを越えていた。
「買った」
「買ったって!? これ下手したら購入したアイテム分だけで依頼料飛ぶわよ!」
「命は金で買えないからな。万一吸血妃とやらが出た場合の備えとしてはこれでも足りないぐらいだ」
そう言ってアラガミはポーションを十本ほど取り出し驚愕に顔を震わせる金髪エルフに渡した。
「持っておけ。代金はいらん」
「持っておけって……いいのアラガミ?」
「パーティを組む以上、メンバーの安全に気を配るのは当然だ。それよりも馬車の手配は?」
「あっ、うんアリガト。それと馬車の方は無事に取れたから安心していいわ」
「感謝する」
「どうって事ないわ。それより先を急ぎましょ。ラトンルシアニヴァまで三日もかかるんだから早く出発した方がいいわ」
そのままティーに先導される形でアラガミは馬車の待つ場所へと向かった。
(…………もしかしてアラガミってすごい奴? 私トンデモナイ奴に声かけちゃったのかも!?)
その時横を歩いていた金髪エルフが何を考えていたかなど、当然彼は知る由もない。