閑話2 ティルサ・フォン・リルラの追憶
「じゃあね、ティルサ。私の方でも改めて探ってみる」
そう言ったココオンちゃんと別れ、歓迎舞踏会を後にする。もうココオンちゃんと会った以上ここに留まる理由もない。歓迎舞踏会の中抜けは推奨されていないが禁止されてはいない。
同室の子たち、正確には同室になるように調整したリルラ家分家の従者たちと共に退出した。
ココオンちゃんと話すのはあまりに久しぶりだ。だって、あの事件の前になるんだから。
その事件が起きるまであたしたちは毎日一緒にいた。
あの平和だった日々と、一瞬でそれを崩したあの事件を一生忘れることはないだろう。
あたしは大人しい子供だった、と言っても今は信じてくれる人はあまりいないだろう。…まあ言ったことも聞いてみたこともないけれど。ともかく、人見知りがひどく公爵として部下にテキパキと仕事を指示するだなんて絶対に無理だと思っていた。
だって人と話せない。話したくない。そんな私に公爵は務まらない。
…残念ながらシステル王国の爵位は長子相続。一族の人間は他にもいるけれど、公爵の証である血継スキルの『魔の理解者』を持つのはあたしと現公爵のお父様しかいない。だからどうあがいたって逃げられない運命だとわかってはいるけれど、それを嫌だと思うのは自由でしょう?
そんなあたしの友人は、同じ公爵家のココオンちゃんしかいなかったのだ。いや、今もココオンちゃん以外の友人はできていない。
…作ろうとしないのが正しいのかもしれないけれど、結果としていないのだからどちらも同じことだ。
はじまりは突然、ココオンちゃんがうちの門を叩き壊したことからだった。
自室でだらだらと作った魔道具の改造をしていたら、外から爆発でも起きたような音が聞こえたのだ。
けれど襲撃が起きたような不穏な精霊たちの気配は感じなくって、さらにその時改造していた魔道具が飛翔系であったことも重なり基本部屋に引きこもっているあたしにしては珍しく門の方まで飛んで行ったのだ。
現場に着くと確かに襲撃ではなかった。
だって犯人は門の前でオロオロしているし、アコルデ家から派遣されている門番の騎士は呆れた顔をしていた。その表情は見知った人間に対するもので、貴族の特徴である銀髪・紫目も相まりアコルデ家に類する人間であることはすぐに察せられた。
「あ…えっと、ごめんなさい…壊す気じゃなくて…」
と、明らかに家人であるあたしをみて釈明をしはじめた。
壊す気なくても壊してたら犯罪なんだよ。そう思ったけれど当然口には出さずにいた。
その時、正直扱いに困ったのだ。アコルデ家の人ならリルラ家でも拘束しづらいし、だからといって放置するわけにもいかない。いや、そもそもあまり話したくない。
門番に視線で助けを乞うも首を振られ、あたしは泣く泣く話しかけることにしたのだ。
「なにしにきたの?ここはリルラ家の家だよ」
「えっとその…お父様にリルラ家の当主に渡して来いと言われて…」
お父様に用がある以上、案内にこの場で適任なのはあたししかいない。
その認めがたい事実にたっぷり5拍とったあとため息をついた。
「…いいよ。案内してあげる」
何度もいうがあたしは人見知りだったのだ。勇気を出した(というか諦めた)のを褒めて欲しい。
「ありがとう!私はココオン、あなたは?」
パッと花が咲くような笑顔に直感的に思った。あ、真逆のタイプだと。
しかし、確かココオンとはアコルデ家の次代だ。あたしの推測は当たっていたらしい。アコルデ家本家の人間だとは思わなかったけど。
「ティルサ」
「ティルサちゃん?よろしくね!」
「…呼び捨てでいいよ」
どうやら相手はあたしの名前を知らないらしい。そういえばアコルデ家の次代はあたしの5つ下だと聞いている。それならばこの子はまだ6歳。マナー作法と家のこと(うちならば魔法、アコルデ家なら武術)を除けば教育が始まるのは通常7歳だから知らなくても無理はないかもしれない。
そのあと、父に会ったあとようやくあたしがリルラ家の次代だってことに気づいたらしく
「大変な失礼をしました…」
なんて殊勝に謝るものだから少し面白くなって
「じゃあ、一緒に遊んでくれたら許してあげる」
と、普段のあたしなら絶対に言わない言葉を口にした。
実際、父も使用人も目を丸くして驚いていた。
なんならあたしも驚いた。先程合わないと思ったばかりの、しかも5歳の女の子にこんなことを言った自分が正直信じられなかった。
そうしてココオンちゃんはキョトンとして
「もちろん!いつでも遊ぼう」
と言ってくれた。
そしてその言葉の通り、3日後。アコルデ家に手紙を送りココオンちゃんを呼び出した。
「…本当に来てくれるとは思わなかった」
「なんで?誘ってくれたんだから来るに決まってるじゃん」
「…そんもんなの?」
「そんなもんだよ」
友達がいないから知らなかった。あまり自慢できない事実を披露すると「実は私も。分家の人間とか騎士の人たちはいるけど友達じゃないしね」と笑いながらココオンちゃんは言う。そのことに親近感を持ち、そして内気なあたしが心を開くには十分な事実だった。
それから、毎日交互に互いの家を行き来する毎日が始まった。
ココオンちゃんの家に行く時は騎士の人たちに混ざって槍術を習った。魔法使いと油断したところをぐっさりいければ武器になると。
あたしの家に来た時は一緒に魔道具いじりを。それのおかげというべきか、ココオンちゃんは魔道具の修理はできるようになったんじゃないかな。
そんな平和な交流は2年続きココオンちゃんは8歳、あたしは13歳になった。
本格的に教育が始まり忙しくなったせいで遊ぶ頻度は落ち、週に一度会えればいい方というくらいだ。
そして今日はその日。ココオンちゃんの家に行く約束をしていたあたしは、2年前から改装し続けていた飛行魔道具のテストも兼ねて馬車を断り1人でアコルデ邸に向かっていた。
優雅にのんびり飛んでいた。
呑気に、呑気に飛んでいたのだ。
…下にいた狙撃手の存在にも気づかずに。
「あっ…うっ…な、なにこれ…矢…?なんで、お腹に…刺さって…」
そうしてあたしは制御を失い落下した。
目が覚めるとそこは暗く埃っぽい小さな小屋だった。
上流階級出身のあたしは当然こんな場所に来たことはない。
見覚えのない場所、腹の傷、13歳の女の子が怯えるには十分すぎる環境だった。
「ここは…どこなの?誰か!ココオンちゃん…!」
「とうとうお目覚めか?貴族サマよぉ」
「ひっ…!」
そこにいたのは小屋と同じく薄汚れた複数人の男だった。
「魔法の発動を阻害する枷をつけてるからお前にはもうなにもできない。俺たちに殺されようがなぁ!」
確かにそのような効果を持つ枷は実在する。けれどあまりにも高い。
実態の知れない暗黒大陸から300年以上前に輸出された謎の黒い金属、世界中合わせて10キロあるかないかというほどに希少なそれはただの庶民が持てるような金額ではないのだ。
けれど…効果は本物らしく先ほどから魔法が使えない。
バックに何か大きな存在が付いているのは確実、だけれともその時のあたしにそれを聞き出すだけの余裕はなかった。
「なんで…あたしを…」
「そりゃあ決まっているだろう!貴族どものせいで俺たちはこんなに酷い生活を送らにゃならんのだからなぁ」
「しかしいい話だ。貴族を誘拐すれば大金持ちだなんて。えーてる?の軍人さん万々歳だなぁ」
えーてる…エーテル帝国。
その国は我が国の北に隣接する大帝国。国土の殆どが農地に向かず、常に我が国の土地を欲している長年の敵国だ。
たしかに彼の国ならやりかねない。
少し冷静になった。
冷静になってみると、じきにあたしの不在を感知したアコルデが救出に来るのは見えた。
「じきに、アコルデの部隊が、くる…おとなしくするのがみのた…がぁっ」
「うるせぇ!お前はここで俺たちに無残に、残酷に殺されるんだよ!」
そう言って下郎はあたしの左足に剣を突き立てる。
声にならない悲鳴が出た。それと同時にどこか客観的に見ている自分もいて、もう左足は自由には動かせないだろうなとも悟った。
そもそもあたしが責められるのは可笑しな話だ。
だってシステル王国に住む庶民には税金というものがない。納税の義務を背負うのは爵位を持つ者だけだ。
例えば土地を持つ貴族はその土地の賃料として金を徴収する。不満なら出ていけばいいだけなのだ。だって、システル王国民ではないのだからどこへだっていけばいいのだ。
だからこれは本当にただただ八つ当たりなのだ。自分たちの生活がうまくいかない理由をあたしたちに押し付けた堕落した人間の八つ当たりのせいであたしは殺されようとしている。
…あたしのなにが悪い。
あたしが金を持っているのは魔道具を作って金にしているからだ。
働いた結果の、正当な報酬だ。
…なぜあたしがこんな目に合わなければならない。
ただ爵位を持つ家に生まれただけで順風満帆に行くと思ったら大間違いだ。
例えば貴族はあまりにも寿命が短い。長くても40年も生きられない彼らは幸せなのか。
例えばリルラ家はハイエルフの純血を守るため親族婚、なんなら兄弟婚だって普通だ。あたしの婚約者は叔父。それが普通だ。
ー怒りを抱いたときから、あたしの記憶は途切れ途切れになる。
アコルデ公爵の手により、時間を見れば私が救出されるまで1時間も経っていなかったらしい。
あたりには強大な魔力放出の痕があったという。それで力尽くで枷を破ったのだろうと分析された。
その途切れ途切れの記憶は自分がした行為の断片だ。
風を起こし手足を引きちぎった。
火を起こし体中を焼いた。
水を起こし窒息させた。
人を殺したことが脳裏にこびりつき、意識し続ける。
しかしそれがトラウマなわけでもなく、魔法も今まで通り扱える。なんなら以前より威力と精密さが向上したほどだ。
あたしはどこかおかしいんだ。そう自覚した。
「ならさ、そう振る舞えばいい。私を知った時に絶望されないように、会えば私が壊れていると分かるように。そうすればいい」
それは、確かに今思えばひどく幼稚だった。
もしその時、私の壊れてしまった部分が露呈した時、周りの人が心配してしまうならば。
ならばいっそ、一見して壊れてしまったとわかるようにすればいい。
父はこの事件を深く悲しみ、本来爵位継承の時に譲渡される水の大精霊との契約をあたしに移した。
そして、これ以来あたしはココオンと会わなかった。
唯一の友人を、友人と思えなくなったらどうしようと怖くなったから。
そして、あの事件を哀れまれたくなかったから。
***
「ティルサ様、これを」
歓迎舞踏会の会場の外。分家の従者、アインスに差し出されたのは杖だ。
魔法を使うための杖ではない。歩行補助のための杖。
あたしは普段結構無理をしている。自分専用にカスタマイズした魔術具で無理やり動きづらい脚を動かしている。魔力を魔法に変換することなくそのまま使用する無系統魔法は魔法陣などの魔法補助を使えないため、魔力の消費がとても激しい。しかし、足を動かすようにするなど無系統魔法でしか叶わない。
人より遥かに魔力の多いあたしでもギリギリなのだから一般の実用化など夢のまた夢だ。
だから普段は杖を使う。けれど見栄のために人には見せたくない。だから寮の自室でしか使用していないのだ。
「外では必要ないと言ったはずだけど」
「失礼ながら魔力の消費が普段より多いように見受けられます。本日はずっとお立ちになっておりましたから」
「…いらない」
確かに疲れているかもしれない。けれどこれは意地だ。ぷいっと杖から顔を背けるとアインスはため息をつきながら杖をしまった。
「さっさと部屋に帰りましょ」
「お疲れですからね」
「うるさい」
そうして一歩踏み出した瞬間。
あたしの目の前にナニカが掠った。
「…は?」
見てみると壁に黒い剣が刺さっていた。
「今のは…なに?」
「ティルサ様を狙った襲撃…?ツヴァイ、本家に連絡を」
「了解」
慌ただしく動き出す従者たちを横目にあたしは呆然とした。
「…なぜ、ここに」
あたしはその金属に見覚えがあった。
あの時の黒い枷。それと同じものだ、と直感的に理解はしたものの認められるものではなかった。
「重さは…軽く見積もって5キロ」
魔法封じの金属は世界に10キロほどしかないはずなのだ。
そしてその内訳、どこの国がどれほど持っているかもはっきりわかっている。
5キロも所有する国は存在しない。
…いや、正確には存在する。この金属の原産地の。
そうして、あたしはある一つの可能性にたどり着く。
けれどこれをココオンに話すことはできない。
だから、これは私がどうにかしなければならないことだ。
…それにココオンと話していた時、気になったことがあった。
庶民なんて信用してはいけないという発言。あれはまさに当然のように言っていた。
そして、あたしが長年感じていた違和感でもある。
貴族は、庶民に相反した感情を生まれた時から持っているのではないかと。
例えば、貴族の子供が生まれ祝いに行ったことがある。その時、フードが社会で大流行していて、あたしもフードをつけていたため耳が見えなかった。
あたしたちハイエルフは、長い耳以外には庶民とさして変わるものではない。金髪碧眼は珍しいとはいえ庶民にも存在する色彩だ。
その姿を見た子供は酷くあたしを嫌がった。大泣きして、その家の当主は公爵家のあたしに対するその振る舞いを謝り倒してと場が混沌としていた。
抱っこすれば落ち着くかと思い抱こうとすると子供は激しく抵抗し、その結果としてあたしのフードは落ちる。そして、長く尖った耳を目撃した子供は泣き止み、笑い喜んでいた。
「ああ、なるほど。ティルサ様の御耳が見えて安心したのですね」
「…どういうこと?」
「大変失礼ながら、ティルサ様が庶民に見えたのではないかと愚考いたします」
「…そう、なの」
貴族は、何か意図的に庶民を嫌うように本能に植え付けているのではないか。
ココオンに聞くことはできないけれど、その疑問はあたしの中に残っている。
貴族という種族の違和感を紐解くことはきっと、真実につながる。
そうどこかで確信しているけれど、その方法はわからない。
それに、仮に暴いてしまったらようやく取り戻せたたった1人の親友の道が平穏でないことを確約してしまうような気がした。
いや、違う。結局のところあたしは大事なところで臆病なのだ。あの事件の時に咄嗟に反撃しなかったのは人を傷つけるのを恐れたから。これも真実を知るのが怖いから。
この臆病がいつか殺してしまう気がする。そんな予感を必死で振り払った。
剣は、少し目を話した隙に消えていた。
明らかに過去1番の分量。
ティルサの性格は自分で作っている部分が多いです。そのため、身内である分家のルームメイトという名の従者4人の前だと元の性格が強く出ます。