イヤな予感
──イヤな予感がする。
起き抜けに、目覚め一番にそう思った。
何でだ。
どうして朝っぱらからそんなものに苛まれねばならんのだ。
こんな爽やかな早朝から、俺は既に渋面だった。
「……………」
ともあれまあ、今日一日は覚悟して過ごそう。
俺の『イヤな予感』はよく当たる。
と言ってもまあ人間普通に生活していたって不運や不幸の一つもない一日なんてまずないんだから、何の気なしに「イヤな予感がする」と言ったところでまず外れはしないのだろうが。
運のなさには自信がある。
だからこそ、覚悟を決めておけるのだ。
俺は自室を出て、階段を降りていった。
とりあえず、いきなり階段から転げ落ちたりもせず階下に辿り着く。
ふむ。
リビングに入ると、いつもならキッチンで朝食や弁当を作っている母の姿はなく、妹が一人席について新聞を読みながら味噌汁を啜っていた。
「……母さんは?」
「今日は朝から仕事だって。昼はコンビニか購買。お金はそこ」
新聞から顔も上げずに淡々と答える。テーブルの隅に小銭が詰まれていた。
「……………」
いや、この程度は『イヤな予感』にカウントされることではない。そこまで珍しいことでもないし。
俺は朝食をとろうと食パンを二枚トースターに突っ込んだが、
「それ壊れてるよ」
「……壊れてんの?」
「さっき父さんが壊した」
「…………」
うちで朝食にトーストを食べるのは俺と父さんだけだ。父さんはトースト食ったのか。
「…………」
この程度でもない。
「ご飯も味噌汁ももうないよ」
「…………」
これでもない。
だが俺は仕方なく、ただの食パンをもそもそとかじった。
ボイラーも壊れていた。仕方ないから冷水で歯を磨き、顔を洗った。風邪をひくかと思った。
「…………」
これも違う。
天気予報は快晴だったが、一応傘を持って行くことにして家を出た。俺はバス通学だ。ラッシュよりいくつか早い時間にいつも乗っている。
が、そのバスが今日はかなり遅れてきた。案の定、バスはぎゅうぎゅうに混雑している。しかしこれを逃すと遅刻しかねないので無理に身体をねじ込む。
「…………」
まだだ。こんなものではないだろう。
息苦しい。正面のおっさんから加齢臭が漂ってくる。背後の誰かはバスが傾くたびに遠慮なく体重を掛けてくる。足場が小さいから押されるままに圧迫される。
「…………」
違う。
三十分程の辛抱だと思っていたら、なぜかバスは突然バス停でも何でもないところで止まった。しばらくした後で、どうやらパンクしたらしいとわかった。
「…………」
これでもない。
他のバスに乗り換えになったが、オバサンが運転手を一方的に罵り始めて降り口を塞ぎ、その間に後続のバスが通過していった。
「…………」
いや違う。
その後更に遅いバスに辛うじて乗って、また圧迫されながらもようやく学校に着いたが、しっかりと遅刻して、一時間目の途中から教室に入った。
事情を説明したので、この件はお咎めなしだった。
バスのお陰でコンビニに寄る時間がなかったので、四時間目が終わるやいなや全力疾走で購買へ向かったが、その授業がやや長引いていたせいで既に全て売り切れていた。
「…………」
だがこんなものでもないはずだ。
教室にすごすごと戻ると何やら席替えが開催されていて、俺の席は既に最前列中央に決定していた。
「…………」
これも違う、かな。
五時間目の授業で教科担から集中砲火を浴びた。一つも答えられなくて説教を長々と食らったが、その後で教科担が他のクラスと進度を間違えていたことが発覚した。教科担からは謝罪の一言もなかった。
「…………」
これでもあるまい。
下校中、天気予報は快晴だったが突然土砂降りになった。しかもバスを降りてからだ。こんなこともあろうかと傘を持っていた俺だったが、横殴りの暴風雨で傘は開くなりぶっ壊れた。
「…………」
結局ずぶ濡れで帰宅した。
しかしこんなものでもない。
その後も、何かあるはずだ、よっぽどな不幸があるはずだと構えながら、自室のドアノブを壊し、本棚の角に小指をぶつけて悶え、ボイラーの故障を忘れて風呂で冷水を浴び、喉の奥に刺さった鮭の小骨に苦しみ、映りの悪いテレビに回し蹴りをしてとどめをさし妹にラリアットをかまされたりして過ごした。
しかし、寝るために布団に入るまでただの一度も、今朝起き抜けに直感した『イヤな予感』級のイヤなことは起こらなかった。
「……ふーん」
こんなことも、あるんだな。
俺の『イヤな予感』が外れることも。
まあ、悪いことじゃあないな。
そんなことを思いながら、俺はいつもよりちょっといい気分で眠りについた。
時空モノガタリと重複投稿。