【Program2】9
──二度と後戻りはできない。
──無駄な血をあまりにも流してしまった。
これは、冷静になり押し寄せてくる彼女たちの後悔か。
──この罪は償いきれない。
感情とは裏腹に、荒んだ光景が映る。
食べ物がない。
薬がない。
そんな叫びが飛び交い、目の前では強奪が起こる。──これは、人々の争いだ。時に、人が人を殺めている。
けれど、聞こえてくる言葉は。噂は。
『四戦獣』──彼女たちが関与していなくとも、もう、すべての悪の根源の象徴になってしまったようだ。
悲しみの声が聞こえる。
「この地はボロボロになってしまった……自分たちのように」
ひとり歩いているのは、刻水。かつて生まれ育った土地を刻水は踏み締めている。
彼女たちがひとりになることは珍しい。──もしかしたら、彼女たちはもう終わらせようとしているのかもしれない。この地で過ごした日々に終止符を打つために別行動を。悔いを残さないために。景色に溶け込んだ悲しみが、それをヒシヒシと伝えてくる。
心の支えだったものを、気がかりだったことに見切りを。片付けを。──それは、彼女たちなりのけじめだろう。
刻水の気がかりは──そう、妹の悠水ではないだろうか。この道のりは、見覚えがある。刻水の生家へ続く道だ。
大きな街の緋倉も、すっかり元気をなくしている。あれだけ賑やかだった街が、ひっそりと影を潜め閑散としていた。一部の店だけが残り営業をしているようだが、活気はまったくない。
刻水は横目で一瞥したが、興味なさそうに街の外れへと足早に歩いていく。
しばらく歩いたその先に、生家はなかった。跡形もなく、家が建っていたとは思えない荒れ地があるだけだ。
荒れ地を前に、刻水は呆然としていた。悠水の身を案じているのだろう。風が刻水の伸び放題の髪を揺らす──そのとき。
「お姉ちゃん!」
遠くから高い声が響いてきた。
けれど、刻水は声の主を確認しようとはしない。かえって、胸をなで下ろし、来た道を戻っていく。──それは、今の姿を妹に見せまいとしているようで。
悠水の声は何度も響く。
何度も悠水の声が響いていたが、エコーのようにそれはちいさくなっていった。変わりに大きく聞こえたのは、時林の声。
「竜称も、刻水も……過去を断ち切るために行っちゃったね」
密林の中でふたつの影が揺らめいている。──時林と邑樹だ。
「私は、戦いに行く前に全部失っているから……」
「そうか、奇遇だ。私にも何もない」
言葉を途中で遮ったのは邑樹のやさしさか。時林はが気の強い性格ではなさそうだ。
「私のせいで、辛い思いをたくさんさせたね。ごめん」
「そんな! 励ましてもらったし、色々してもらったよ。……感謝してる。ありがとう」
時林はワタワタと両手を動かしてから礼を言う。邑樹はその様子をかわいいと思ったのか、にこりと笑った。
覚醒していても、邑樹の笑顔は美しい。照れたのか、時林は視線を逸らす。ふと、時林は何かを思い出したかのように、遠くに視線を投げた。
「私ね、双子の姉がいたの」
「その子は?」
時林は静かに首を振る。
「開発所に。もう今は……ないもの」
あの戦いが嘘のように今は、静寂が辺りを包んでいる。──ふと、廃墟を前にした四人が映る。村人たちを切り裂き続け自棄になり、勢いで四人は開発所へと足を向けたことがあったのだろう。開発所に辿り着き、四人は呆然としていた。
すでに開発所が廃墟と化していたからか。
ひどい異臭が鼻をつく。
不気味なほどに静かで、それが一層、建物の中の光景を異常なものに見せる。──器具、薬剤などが雑に放置され、裸の女たちだったであろう個体が放置されている。寝台に横たわったもの、相打ちしたように向かい合ったもの。他にも無差別に積み重ねられたもの、赤ん坊のようにちいさいものまで。どれも、腐敗が激しく判別は不可能。
唯一判別できるといえそうなものは、白衣を纏っている躯が科学者だろうということくらいだ。
そんな光景を見て、彼女たちは泣きも怒りもしていない。ただただ虚しいだけだったのだろう。だからこそ、人々に本能のまま『力』を使ったと、冷静に戻ることができたのか。
だが、それをよかったと例えられはしないだろう。彼女たちは激しい後悔に苛まれ、この光景を胸に焼き付けたのだろうから。
「あの扱いはひどかったな」
自分たちが行っていたかもしれない場所。邑樹は心のどこかで、そう思っているのだろうか。
「あそこにあった赤子。いくら……女悪神の『力』は、男は継がないからと言っても」
「え?」
「知らないのか? 『女悪神』というだけあって、この『力』は女のみが引き継ぐ。男の胎児には大きな負荷がかかる。膨大な『力』だからね。無事に産まれても短命。生きながらえても生殖機能を持っていないことが多い。つまりは開発所にとって、言い方は悪いが……開発所では男の赤子は『不要』だったのだろう。……でも、あの扱いは。私はね、弟がいたんだ。三歳でこの世を去った」
「え? 待って。私には物心ついてからずっと頼ってきた兄が……三人で楽しく、過ごして……」
時林の声は徐々にゆっくりになり、消えていく。
「ああ、そうだったんだ。流行り病で亡くなる直前、私たち姉妹に言おうとしたのは……そういうことだったんだ……」
「まったく私は……また余計ことを言ってしまったようだね」
面目なさそうに言う邑樹に、時林はまた焦ったように両手を振る。
「ううん。私が終わる前に……兄が伝えたかったことがわかってよかった。血の繋がりがなかったのに、あんなに……両親が亡くなってからも最期まで私たち姉妹を心配してくれたこと、今まで以上に感謝しなくちゃ」
「いい家族だな」
「邑樹は?」
「私の家族も……いい家族だった。父がおかしくなるまでは」
邑樹は大きく息を吸う。それは、涙をこらえているようにも見えて。
「そういえば弟が亡くなってからだった。父がおかしくなったのは。父は……ヤツは母を、実験体にした」
ため息と同時に聞こえてきた邑樹の言葉に、時林は息を呑む。心配そうに邑樹をのぞき込む。
「きれいな母だった。その母をグチャグチャにされてね。……止められなかった。今度は私が父を、滅茶苦茶にした」
邑樹は微笑した。うっすらと瞳に涙を浮かぶ。
「頭のキレる父だった。今にして思えば、私の行動さえも父の思惑だったのかもな。それなら……ヤツは天才だ。計算高いよ、本当」
「邑樹……」
時林の悲しそうな声に、邑樹は申し訳なさそうに笑う。
「私はね、戦いに行く前に覚醒していたんだ。だから、覚醒しないまま生き残れる子がいたらいいと思っていた。そのままの姿で……戦いを終わらせたかった」
涙を落とし邑樹は何度も謝る。洞窟で起こった一件に邑樹は大きな責任を感じているのだろう。
「ううん。邑樹が謝ることじゃ……」
邑樹は首を横に振り、時林の声は止まってしまった。
「いや、いつかはきちんと時林に言いたかった。こうして謝りたかった。時林が恐ろしい思いをした、あれは……私のエゴが招いた結果だから」
時林はワタワタと焦る。邑樹の頭がどんどん下がっていって。
違うと言いたいのかもしれないが、それでは邑樹の気持ちを受け止められない。
ボロボロと零れる涙を前に、時林が言ったのは意外な言葉だ。
「もし、こんな戦いがなくて出会えていたら……私たち、『友達』って言えたのかしら?」




