【Program2】6
「『龍声』という名前は、私が付けたんだ」
洞窟の奥でパチパチとちいさな炎が燃えている。竜称は眠る龍声にやさしいまなざしを向けた。
「生きる気力を失いかけたときがあってな。あれは、末の妹から話を聞いたあとか。……背後から魔物が迫っているとわかっていたのに、腕を上げることも、足を動かすことも億劫になってな」
「お姉ちゃん、危ないッ!」
竜称が話していたはずなのに、急に龍声の声が聞こえてきた。そうかと思えば、青空が見え、場所はいつの間にか岩肌の目立つ荒野になっている。
魔物を背にしている竜称の体がピクリと声に反応した。意識を取り戻したかのように竜称が振り返ると、魔物が八つ裂きにされている。肉片と血しぶきの奥から見えてきたのは、幼い少女──龍声だ。
竜称は目を見開く。それもそうだ、少女はすでに『覚醒していた』。それも、きちんと自我を保って。
色んな衝撃が竜称の心を乱したのだろう。
「おい!」
はっきりとは聞こえないが、竜称は助けたことを一方的に責めているようだ。一方の龍声は驚き、口をパクパクさせ、次第に下を向いてしまっている。時折、一言、二言、詰問に返すのがやっとという状態。
竜称には許せないことがあったのだろう。
「私を『姉』と呼ぶな!」
ふと、聞こえた鮮明な声。竜称の中では、亡き妹たちから責められているような衝動に駆られたのかもしれない。
けれど、龍声にとっては理不尽極まりない。知らない年上の女性を、他に何と呼べばいいのか。
困った挙句、龍声からこんな言葉がもれた。
「ごめんなさい。私はコードNo.91802。あなたは?」
悲しげに笑っている。──その笑みを見て、竜称も悲しみに包まれたのか。声を失ったかのように、言葉は出ない。
「刻水と初めて会ったとき、私は龍声に助けられたときのことを思い出した。龍声に助けられたあと、知ったのは、コードNo.だ。コードNo.は、開発所で『作られた』という証。言ってしまえば、利用されるためだけに作られた命だ。龍声には、戦地に来る前にも『普通の生活』と呼べるものはなかったのだろう」
再び、周囲は薄暗くなっていて、頼れる灯りは焚のみ。
『私は竜称だ。今度からは『龍声』と名乗りなさい』
どこからか聞こえたような、やさしい声。
「私は自分の名前をもじって『龍声』と名付けたんだ。女悪神の血を継ぐ娘たちは『神の祝福を受けた』という証として名前の最後に『な』を付けるのが習わしだからな」
「そんな理由があった……の?」
静かに聞いていた刻水がポツリと聞く。すると、竜称は首肯してから、ふうとため息をついた。
「本家の、次期当主だった者として恥ずかしいが、私は同じ血を継いでいる者は皆、誇りを持ち生きていると思っていた。この地に来てから愕然としたよ。……私は、何と無知だったのかと」
竜称は、刻水や他の者たちのように、ひっそりと暮らしてきたわけではなさそうだ。どちららかと言えば、教育環境がかなりよかったのかもしれない。
スッと、刻水の手が竜称の手を覆う。
「貴女が悪いのではないわ」
「お前は、龍声のようだな」
「え?」
「こんな状況になっても、他人を思いやることができる。なかなかできることじゃない」
竜称が言うと、刻水はクスクスと笑う。竜称が面食らっていると、
「貴女も、よ?」
と微笑む。
フッと竜称は笑い、『これは憶測だが……』と口を開く。
「龍声の覚醒のきっかけは母親の死かもしれないと私は思っている。開発所のヤツらは、覚醒に至る経緯を知らないだろう。恐らくは事故だ。龍声の物心ついてすぐ、龍声の前でだったのではないかと思っている」
突如、暗転する。
遠くからうっすらと繰り返し誰かの名を呼んでいる。
聞こえるのは、竜称の声だ。
「刻水!」
ハッと、息を吹き返すように刻水はまぶたを開く。その風景は、いつも寝床にしている洞窟。刻水は仰向けで横たわっていた。
刻水は顔を歪め、痛みに右腕をピクリと動かす。その腕には布が巻かれ、刻水のものと思われる血で染まっている。
「私は……」
痛みに耐え、刻水がそう呟いたときだ。ふと、竜称の奥にもうひとり、姿が見える。その姿は、刻水や竜称同様、覚醒している。ただし、面影はうっすらと残るもので。彼女は、美少女だっただろうと推測が容易なほど、顔のパーツの配置が美しい。身長も竜称より拳ひとつ分ほど高いだろうか。
彼女の姿を見た途端、刻水は思い出したのか、息を吸い、口を開く。
「そうだ、私は魔物に囲まれて……ありがとう、助けてくれたのは、貴女だったのね」
「礼はいい。手遅れにならずによかった」
低音でも透き通るような声。声もとても美しい。
「一匹だと思って、油断したわ……私、囲まれて……」
「いや。あれは、はめられたんだ。四方八方に囲まれても君は、諦めずに戦おうと決めていた。華麗な戦いを見ていたが、フェイントに君がひっかかったから……見ていられなくなってね」
「いいえ。鮮やかだったわ。薄れゆく意識の中だったけれど、覚えているわ。この地に来て、あまり経っていないようだけど……貴女の戦い方は、かつて見たことがないほど、見事だった」
「ほう」
刻水の話を聞き、竜称が唸る。けれど、言われた方は無関心だ。
「それじゃあ、お大事にね」
踵を返す。
「待て」
止めたのは竜称だ。
彼女は足を止めたが、振り返らない。
「このまま私たちと行動をともにしてくれないか」
「断る」
即答。振り返り、こう告げる。
「誰にも縛られたくはないんだ」
彼女の返事には強い意思が感じられる。強い眼差しにも。
竜称もそう感じているのか、口は開かれない。──代わりに聞こえたのは、幼い声。
「一緒にいて」
いつ、ふたりの間に来たのか。龍声は、まっすぐに彼女を見ている。彼女と同じように、強い眼差しで。
「お前は……」
言葉が詰まる。恐らく、彼女も初めて龍声を見たときの刻水同様、その幼さに動揺しているのだろう。
一方の龍声は、きょとんと首を傾げる。髪が揺れ、ちらりと見える焼き印。
「なぁに? 私は、龍声」
手を差し出し、無邪気に笑う。
彼女もコードNo.を見ただろう。けれど、それを見なかったというように彼女は美しく微笑む。
「わかった。ともにいよう。私は、邑樹という。よろしく」
邑樹は、龍声の手をやさしく取った。
再び突如、暗転。
「魔物たちが……焦っている」
龍声の声だ。
「彼らも、この地を必要としている」
いつにない、悲しい声。
「でも、私たちも、この地を譲れないのさ。生憎ね」
今度は竜称の声、それは、やさしく諭すようなもの。
朝焼けなのか、夕焼けなのか。荒野に龍声と竜称が佇んでいる。
『そうだろう?』と言うように、竜称は龍声に視線を送る。それを受け取ると、龍声に元気が戻った。
「そうだね! 私たちは、この地を守らなくっちゃ! みんなが……待っていてくれているもんね」
竜称が首肯すると、龍声は気合を入れるように両手を空に伸ばす。その姿を見て、竜称は少し寂しげに笑う。
その微妙な変化を、龍声は気づいたのか。──ふと、一瞬見えたのは、竜称が指輪を投げ捨てた風景。
「お姉ちゃん。元の生活に戻っても、ずっと、ずっと一緒にいようね」
龍声が竜称を『姉』と呼んだのは、出会ったとき以来だったのか。竜称は一瞬驚いたように息を止めたが、
「ああ、龍声」
と、やさしく微笑んだ。