【5】絵本童話(2)
神々が子ども向けのイラストで描かれ、背景は抽象的に描かれている幻想的な表紙。沙稀は懐かしそうに手に取る。その表情は感激に近く、手はかすかに震えている。
長年、見ることも叶わなかった絵本童話──記憶と相違がないか確認するようにゆっくりと頁はめくられる。
しかし、それは束の間。
沙稀は時計を見ると、サッと本を置く。手早く一通り支度をし、無感情で本を手に取り夕食の場へと向かった。
いつもより早足で姫との約束の場へと向かったが、すでに姫はいた。行儀よく、黒いソファに腰かけて。
「申し訳ありません。お待たせいたしました」
一礼をし、部屋に入る。黒いソファに白い衣服はよく目立つ。しかし、一際目立つのは、恭良が浮かべる上品な笑み。
「待ってないよ」
言葉に甘えることなく、沙稀は素早く恭良の前にひざまずく。そして、本を広げようとした、そのとき、
「沙稀はこっち……でしょ?」
ポンポンと、恭良は己のとなりを叩く。
「はい」
沙稀は逆らわずに了承の返事をした。スッと立ち上がり、頭を下げる。
「失礼します」
「うん」
となりに座ったときにわずかにあけた隙間は、弾むように返事をした恭良によって埋められる。ピタリと合わせるのは、衣服なのに、伝わってくるものは衣服ではない。
軽装備を解き、洋装で赴いた沙稀は一瞬だけ時間が停止した。わずかな間だが、明らかな動揺だ。その間を、深く息を吸うことで沙稀は埋めた。
「それでは、読ませていただきます」
場を繕うように、絵本童話の朗読は開始される。
お空のずっと上に、神様の住む世界があります。
そこには知性の神、戦いの神、愛の神などたくさんの神々が住んでいます。
そして、その神々を統治する神様は大神と言いました。
大神は、それぞれの神様たちに約束ごとを与えました。
約束は守るものです。
その約束ごとを破ってしまうと災いが起きてしまうため、神々は与えられた約束を守って暮らしていました。
ある日のことです。
いつものように戦いの神と愛の神が地上に降りて、世を統治していたとき、愛の神は悪魔の子に会いました。
やさしい愛の神は、悪魔の子に手を差し伸べてしまいます。
すると、たちまち愛の神は悪魔の子に魅了されてしまいました。
世の統治が終われば、天界へと還らなくてはいけない戦いの神と愛の神。時間は刻々と迫ります。
愛の神は悪魔の子と離れたくないと、天界へ連れて還ってしまいます。
大神は怒りました。
天界に悪魔を連れ込むのはタブ─だと、誰もが知っているからです。
大神の怒りは、誰も止められません。
大神は悪魔の子とともに、愛の神を地へと堕としました。
そのときです。
天界が大きく揺れ、大神を守る女神も天界から堕ちてしまいました。
そして、戦いの神は堕ちた愛の神を追って、地へと堕ちていったのでした。
「これが梛懦乙大陸に伝わる絵本童話です」
沙稀は本を閉じると、恭良に渡す。感嘆をもらしながら、恭良はその表紙や裏表紙、中をジッと見つめた。
「女神様は、どうなったんだろう」
「さあ……ただ、この大神を守る女神は、楓珠大陸に伝わる女神、女悪神のことではないかという説があります」
「沙稀は別の大陸のことも、よく知っているよね」
『そう、沙稀は別の大陸のことも、よく知っているわね』
幼いころの記憶を辿って話したせいか、沙稀には懐かしい声が聞こえた気がした。
「でも、他に女神様は出てこないけど?」
幼さが残る声に、沙稀は我に返る。
「愛の神が、女神だったのではないかと」
「そうなの?」
「ええ。そうでなければ、戦いの神は恐らく追っていかないかと思います」
ふうん、とふしぎそうに恭良は言ったあと、
「ねぇ……女神様は幸せになったと思う?」
と、問う。
「はい。とても幸せになったのではないかと……幼いころは思いました。よろしければ、この本はそのまま恭姫がお持ちになっていてください」
「え、いいの?」
沙稀はにっこりと微笑む。
「はい」
絵本童話の本は、貴重品だ。今や流通はされておらず、語り聞くのが主で、あっても限られた城に一冊あるかないかだ。
しかし、そのことを恭良は知らない。昔見たぼんやりとしたかすかな記憶が目の前に現れ、手にあることをただ喜んだ。