【Program1】5
「壬、どうしてこの男に加担したんだ?」
壬は偉そうな男に問い詰められている。その周りには数人の監守がいる。恐らく、中央にいるこの偉そうな男が、開発所の所長なのだろう。
スラリと伸びた背。壬よりも十センチほど背の高い男は、べったりと髪に油を付け、前髪をひとまとめにし左斜めに流している。年齢は三十代に見えるのに、年齢に似つかわしくない潔癖さが漂う。白い手袋をシュッと両手にしっかりと着け、しわひとつもない軍服を身にまとう。
壬は、来葵と来た道を戻り、裏口を開けた。──そのときに、所長が目の前にいた。現行犯を見られたも同然。言い逃れはできない。
来葵と一緒にいた壬を所長が責め立てていた。来葵は庇おうと前に出た。
だが──それが所長の気に触れたのか。ゴミを見るかのような目で所長は一瞥する。ふと、顎が浮いた。次の瞬間、来葵は汚物のように監守に抓まれ、死骸の山へと投げられる。
背中の衝撃に、来葵は虫ケラのような微かな声を上げた。
『あの焼印係は処罰されるだろうな』──来葵の脳裏に壬の声が再生されたのか、来葵の目は見開かれる。次は、己の番だと。
「ほら。お前、人を切ってみたいと……以前に言っていただろう?」
所長は壬に長剣を渡す。──この状況では、壬は受け取るしかない。壬が無表情で受け取ると、所長は満足そうに壬の頭を愛おしくなでる。
壬は長剣を凝視する。以前の言葉を後悔しているのか。いや、そうではないのか。
所長はさも楽しそうな笑みを浮かべている。横では、監守たちが息を呑んでいる。まるで所長に怯えているかのように。
「さぁ、遊んでおいで」
壬の耳元で所長が艶やかに囁き、首元に口づけをする。所長の唇が離れると、壬はゆっくりと来葵に向かって歩いていく。
「来葵、私はね……君に会うために開発所にもぐりこんだ。どんな手段を使ってでも、たとえ虫唾が走るような男に身を委ねることになろうとも」
所長や監守たちには聞こえないのか。壬のちいさなちいさな呟きは、来葵の鼓膜を強く強く振動させる。
「大神の命に従い、君に再会できたときは感動したよ。君は知らないだろうけれど、私は……ずっと……」
壬の解釈しがたい独白は続く──かと思われた。
「けれど、君の役目はもう終わった」
冷たい笑みを壬は浮かべる。──もう、舞台から降りていいと。いや、そうするべきだと。
「壬……」
来葵は動揺する。壬は来葵を『ヒト』として見てはいない。その瞳に映っていたものは、すでに『物』。急激に壬は笑みを消す。
「なれなれしくヒトの名前、呼んでんじゃねぇよ」
人が変わったかのような壬は、来葵に長剣をスッと向ける。ポカンと開いた口に剣先を入れると、ためらいなく床まで突き刺す。
来葵は声にならない苦痛を上げた。
壬は長剣を抜くと、踵を返す。背後でのた打ち回る来葵を無関心に。
「ねぇ、あれ……うるさいから黙らせて」
ひとりの監守に血のべったりと付いた長剣を渡し、壬は淡々と言う。──それは、来葵の命の終わりを言い渡した瞬間。
「どうだった、壬。楽しんだか?」
所長は両手を広げて壬を迎え入れる。壬は──足を弾ませて所長に飛び込むと、甘えたような声を出す。
「ん~……思っていたよりも、つまらなかった……かも?」
そうかそうかと、所長は壬をなでる。抱き締めて匂いを嗅ぎ、至福の表情を浮かべる。そうして満足したのか、所長は壬から腕をほどき監守たちを引き連れて開発所内部へと歩いていく。
足音が聞こえなくなり、壬は体中を払う。ふと、目に付いたのか、赤い水たまりの先に視線を泳がせる。
「ねぇ? 来葵。『処罰を受ける覚悟』があったから、ここに戻ってきたのでしょう?」
壬は冷たく笑っていた。
『君と同罪で構わない』と言っていた、数時間前。あの壬の発言は、嘘の感情とは思えない言葉だったにも関わらず。──直後、来葵の体はダラリとし、瞳は人形のようになった。
壬の目の前でおびただしい血液があふれている。来葵は肉の塊に化した。
「壬?」
ふと聞こえた声。壬の体に緊張が走る。咄嗟に壬は、おもしろおかしいと言うように笑ってみせた。
「あ~あ、また、生臭いのが増えただけか」
「楽しそうだな」
所長は満足そうに笑っていた。壬はそれを見て同じように笑う。
「そりゃあ、もう」
壬は、何にそんなに楽しそうに笑ったのか。──所長と開発所の最後だ。忌々しい終わりを早く待ち望んでいた。
彼は、傍観者。その命を受けた彼は、自ら手を下すことはない。天命に従うのみ。意志とは違う。彼は、来葵は、琉菜磬は──忒畝は眠りから覚めるように、意識を遮られるように場面は消灯する。
『傍観者は、悪を最後まで見届けよ。それが使命だ』
──誰の声だろう。
知っている気がする。けれど、忒畝は知らない声。
──そうだ。
壬は傍観者だと自ら言っていた。彼が最後の使命として担っていたのは、根源となった開発所を最後まで傍観することだったのか。
しかし、直後の映像で忒畝は真実を見る。
開発所とともに命を落とすはずだった彼の最期を。
二十代に見えていた壬は、一気に所長と同年代になっていた。所長は、更に年を重ねている。彼らの目の前には、十歳になったばかりの少女。彼女は実験台に乗っている。
人間離れした姿を見て、所長は歓喜の声を上げた。──刹那、その少女に心臓を一突きされ、絶命した。壬は信じられないと言わんばかりに目を見開く。倒れていく所長から目を放し、少女に目を向けたが──見えたのは、己の血しぶきだ。
少女はコードNo.91802。ここで生まれ、育った少女だった。
忒畝は息苦しさに目を覚ます。目の前には、李色の瞳が心配そうに見ていた。
「忒……」
黎馨の声は塞がれて消えていく。
救いを求めるかのように伸びた忒畝の腕は、黎馨を包む。けれど、それは数秒間だけで。ダラリと力は抜け落ち、唇は離れていく。
慌てたのは黎馨だ。
忒畝が起きたと思い、手を離したにも関わらず──忒畝は再び過去の記憶へと落ちていってしまった。
ただ、それだけではなく。現状は、ベッドからも落ちてしまいそうで。
黎馨は必死に忒畝を支え、ベッドに何とか戻す。ふう──と、黎馨が脱力したのは束の間。今度は強く忒畝に引き寄せられて、黎馨もベッドに横たえてしまった。
危険を承知で忒畝は過去を見ると了承してくれたと黎馨は痛感する。そっと両手を包み込み、黎馨は願う。
──忒畝様、こちらです。
忒畝に呼びかけ、意識を探す。懸命に、懸命に。




