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【Program1】4

「神父! 魔物が近づいてきたとこの子たちが騒いでいます!」

「荒野は、まだ遠い存在だったのに……」

「日に日に神如シンジョに近づいているようです!」

 幾分しっかりした表情になった琉菜磬ルナセに、シスターたちが詰め寄っている。身長は相変わらず伸びていない。どうやら琉菜磬ルナセの成長は上限らしい。

琉菜磬ルナセ様……」

 黎馨レイカは決断を静かに迫る。


 この教会は、琉菜磬ルナセにとっても、孤児やシスター、黎馨レイカにとっても大切な場所。けれど──命よりも大切なものはない。

「わかった。明日にはみんなで避難をしよう」

 おだやかではない決断だが、皆を守るためだ。孤児とシスターたちを連れて、一時この地を離れる決意を琉菜磬ルナセはした。


 その日の夜中だ。

 ひとりの男が、教会を訪れたのは。


 男は入ってくるなり、琉菜磬ルナセの姿を見てすがりつこうとした。溺れるように伸ばされる救いの手。その手は届かず、ひざまずき泣き崩れ、声にならない声を上げる。

 琉菜磬ルナセはやさしく見つめる。けれど、距離はなかなか縮まらず、みるみるうちに男は床に両手を這うようにして、項垂れ落ちる。

 木霊するように響く、嗚咽──。

 琉菜磬ルナセはゆっくりと近寄り、しゃがむ。静かに背中をさすり、落ち着くまで待った。


 あふれる感情は、出してしまった方が楽になると知っている。




 数十分経つと、男はようやく顔を上げた。落ち着きを取り戻すように、涙を拭く。──そうして、少しずつ話せるようになっていた。

「母親の違う妹がふたりいた。ふたつ下の妹と、年の離れた幼い妹……。幼い妹の方は目が不自由で、自分がいないと、ふたりとも生きていけないとわかっていた……」

 ポツリポツリと呟かれる懺悔。恐らく、もう戻れないと知っている深い後悔だ。

「もう何年も……付き合っていた女がいた。腹違いの妹たちがいると話していた。身勝手に、一緒になれないと……でも、俺を支えるようにいてくれて……」

 途方のない戦いにも、いつかは終わりがくると男は信じていたのだろう。

「戦いが終わるまでは、兄妹三人で暮らしていくつもりだった……本当だ、神に誓ってもいい」

 そう言うと、再び男は声を詰まらせた。十字架を睨むように見て、涙を落とす。こんなはずではなかったと。

「でも、そいつが妊娠して俺は……妹たちを売ったんだ。保身のため、大金を得るために」

 腹違いの妹たちは、女悪神ジョアクシンの血継ぐ者だったのだろう。──珍しい話ではない。金に困り、開発所に売る。売る方が悪いのか、高値で買うと言い出した開発所が悪いのか。

 そういえば、数年前に来た女悪神ジョアクシンの血を継ぐ者は、どうなったのだろう。戦いは終わらず、女悪神ジョアクシンの血を継ぐ者たちは不足しているのか。開発所が高値で女悪神ジョアクシンの血を継ぐ者たちを集めるようになって、悲劇は連鎖していく。

 一方で。

 琉菜磬ルナセ黎馨レイカ、シスターや孤児たちは平穏に暮らそうとしている。琉菜磬ルナセに、それを否定するつもりはない。

「開発所で手続きをしてから……家に、どの面下げて……だから、出ていくしかなかった……」

 涙ながらに話す言葉は、命の重さは変わらないはずなのに、選択をしてしまったと後悔しているように聞こえる。

「それで、あなたは幸せになりましたか?」

 琉菜磬ルナセが静かに聞くと、男は教会に来たばかりのときのように、崩れていきそうになりながら涙を流す。

「自責の念にかられている。身が引き裂かれそうだ! 妹たちがこれから……どんな目に遭うのか想像しただけで! ……今は、せめて早く楽に、生きるよりも命が尽きた方がいいと……願ってしまっている」

 うつむく顔。同時に、声は力を失っていった。

 涙を落としながら男は更に続ける。

「せめて、ふたつ下の妹には逃げてほしいと願っていた。下の妹は……まだちいさい。命を落としても、よくわからないままかもしれない。だから、生きていくよりも、ある意味幸せだ。だけど……ふたつ下の妹は、そんな幼い妹を見捨てられないだろうな。俺とは違う……」

 嘆きを聞き、琉菜磬ルナセは思う。──男には、他に選択の余地がなかったのだろうと。咄嗟の行動に出て、後悔して、こうして懺悔している。人は間違いを犯すもの。結果はよくもなれば、悪くなることもある。だからこそ、琉菜磬ルナセは男を責める気持ちが沸かなかった。


「祈るのです……生きているように、と」

 琉菜磬ルナセは、男に向けていた視線を掲げられた十字架へと移す。

「魂は皆……同じです。孤独、劣等感、自責の念……そして友情や恋愛、家族……誰もが愛情を求めます。誰もが同じです。貴男が特別に悪ということもないのです。それを、神はご存じです。神の前では誰もが無になり、平等。罪を忘れずに祈りを捧げなさい。神は、きっと願いを叶えてくださいます。いつも、あなたを見守ってくださっています」

 琉菜磬ルナセには男が羨ましくも思えた。


 この男には未来がある。──この男の子を宿した女にも。

 だからこそ、どうか。おだやかに過ごしてほしいと願う。

「祈るのです。妹さんたちの、少しでも幸せな未来を。……神は死を望みません。どんな罪も祈り続ければ望みは届くでしょう……これから先、輝くその先を想像し、自らの罪を忘れず、祈り続けるのです。信じましょう。妹さんたちの未来を。貴男の未来を」

 男には周囲をステンドグラスで囲まれた琉菜磬ルナセが天からの使者のように見えたのか。頬から涙を落としながら、まばたきをせずに見つめる。

「幸せになれるといいですね」

 琉菜磬ルナセの表情は、声と同じく、おだやかだ。


 男は琉菜磬ルナセをしばらく見つめ、ゆっくりと口角を上げる。

『こんな自分が幸せになれるはずはない』と自嘲しつつも、望みを持ち続けて生きようと思ったように、琉菜磬ルナセには感じられた。


 男は、『今度は女とともに来る』と言い、教会を出た。




 必死に前を向こうとしている男の姿が見えなくなると、黎馨レイカが姿を現す。琉菜磬ルナセ黎馨レイカに静かにうなずく。

琉菜磬ルナセ様」

 黎馨レイカ琉菜磬ルナセに身を委ねてきた。

 琉菜磬ルナセはやさしく受け止める。抱き合い、想いを重ねる。


 夫婦の想いは同じ。ひとつになりたいと願う。唇を合わし、指と指を交わせて合わせ、求め合う。──しかし、どんなに願ってみても。願いは叶えられない。

 琉菜磬ルナセの体は成長を止め、とっくに身長も伸びなくなっている。死は、確実に彼の体を蝕んでいた。

 そう、確実に蝕まれているはずなのに、黎馨レイカと交わると苦痛が和らいでいく。ふしぎだった。彼女の体液は、まるで麻薬のよう。琉菜磬ルナセから痛みを解放していく。朽ち果てていこうとする体を、黎馨レイカの想いが伝わるかのように、朽ちていくのをとどめる。




 何度も夜と朝が過ぎていった。

 琉菜磬ルナセは戦場が厳しいと聞きながらも、ギリギリまで男を待っていた。


 しかし、男は姿を見せてはくれない。──決断は急がねばならなくなっていた。これ以上、この場を動かなければ、どうなってしまうか。


 琉菜磬ルナセは改めて祈る。男の無事を。


 祈りが神に届くことを願い、掲げられた十字架を見上げる。

「どうか、神のご加護があらんことを」


 こうして、この地とのしばしの別れを選ぶ。

 琉菜磬ルナセは後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、シスターや孤児たち、黎馨レイカを魔物から守るために、教会をあとにした。




 時はさかのぼったのか。

 辺りはシンとしていて暗い。深夜だ。

 教会から、ひとりの男が出てきた。──これは、教会を出た男の光景か。


 男は、走っていた。その方向は、魔物がいると琉菜磬ルナセが耳にしていた方向。急げ、急げと思わんばかりに、ずっと男は走っている。

 しばらく走り、前方に周囲をキョロキョロとする女が見えた。

 男が手を上げる。

 すると、女も手を上げ、歓喜した。──男はあのあと、無事に女と落ち合っていたらしい。


 落ち合ったふたりは、罪の意識を持ちながらも、幸せになると互いの手を取った。何があっても、手を取り合って生きていこうと微笑み合っている。

 そうして、ゆっくりと歩き始める。女の体調とお腹を気にかけながら。


 男は、確かに女とともに教会へと向かっていた。──だが、ふたりが教会に姿を現すことは二度となかった。そう、魔物はすぐ近くまで迫っていた。


 幸せをつかんだと思っていたふたりは──。けれど、約束はきちんと守られようと。


 最期まで、このふたりは互いの手を離さなかった。来世で幸せになろうと誓い合うかのように。

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