【Program1】2
高窓のステンドグラスが美しく並ぶ袖廊。大きなバラ窓の下、左右には半分ほどのバラ窓があり、その下には長細く四枚のステンドグラスがある。
その前には、祭壇とそびえる十字架。
ここで祈ることだけを心の支えにして、ひたすら神に祈りを捧げる者がいる。
小柄だが、少年という言葉はあてにくい。目元を覆うほどの前髪と、耳をすっぽりと隠してしまうほどの髪の毛は、雪のように真っ白で。
「琉菜磬」
名を呼ばれた彼は、祈りから目覚めるようにまぶたを開く。その瞳は晴天の空を思わせるアクア。
琉菜磬は組む手をゆるめ、振り返る。
「神父様」
そこにいたのは、彼に名を与えた神父。目元のしわが横に伸び、年月を物語るように深く刻まれている。
「琉菜磬、話がある。おいで」
やさしい口調に琉菜磬は急いで立ち上がる。目を大きく開き神父を見つめたあと、自然と表情がほころぶ。まるで、降り注ぐ光に驚いたあと、それを喜んでいるかのよう。
「はい」
彼は駆け出す。
神父は背を向けて歩き始めた。琉菜磬は神父の背を見上げ、幸せそうに歩く。神が具現化するならば、神父のような存在だと信じているかの様子で。
離れていくステンドグラスは、ふたりを神秘的に照らす。ステンドグラスの前の十字架もまた、同じ光を強く浴びて。
天井が高いドーム状の礼拝堂を通り抜け、神父が向かったのは内陣。教会堂の中央交差部にある礼拝堂より東側にある、聖職者しか入れない場所。
一歩踏み入れた神父は琉菜磬に手招きをする。一方の琉菜磬は驚きを隠さない。
琉菜磬も修道着を着ているが、それは白でツルンとした裾の長いもの。聖職者というよりは孤児のうちのひとり。
それに比べ、手招きをした神父は、黒衣──リヤサを着用し、丸い首飾りであるパナギアと十字架を首から下げている。知識がない者でも、その格差は歴然。
立ち止まったままの琉菜磬に神父は微笑み、うなずく。琉菜磬は戸惑ったものの、促されるまま足を踏み入れた。
そこで神父が言った言葉は、高い天井へと吸い込まれていく。
響いたのは、静寂。
しばらく呆然とした琉菜磬は、目を見開きながら言葉を出す。
「僕に……教会を……です、か?」
迷いを含む言葉も、天井へ消えていく。
あまりのことに、琉菜磬は言葉をうまく出せなかったのだろう。けれど、神父には琉菜磬の表情が意外だったようだ。
琉菜磬は銃口を向けられたような表情を浮かべていたから。
「どうした、琉菜磬」
彼のこんな表情を見たのは、神父も初めてだったのか。神父は目を丸くする。
琉菜磬はうつむき、何も言わなかった。ただ、首を横に振る。
神父は琉菜磬の心に寄り添うように、言葉をかける。
「生きていることが、素晴らしいと……お前は思えないのか?」
その一言は、琉菜磬には神の声に聞こえていたのか。顔を上げ、救いを求めるかのような言葉は、発せられていた。
「僕は、生きていてはいけない存在なんです。本当は、本当はっ! 産まれてすぐに命がなくなる存在だったはずでっ。駄目なのです、生きていては……」
首元から微かに見えた焼き印。一部だけだが、鎖骨の下には『NO.』のあとに『3』がかろうじて見える。
決して消えない焼き印に、神父には慈悲の心をこぼす。
「そうか、お前は深い闇に苦しめられているのか」
心を見透かされた琉菜磬は、一気に涙をあふれさせる。
「だから、僕はわざわざ裏口に捨てられたんです。こんな忌々しい焼印まで付けられて。こんなにも愚かしい血を受け継いで……」
「そうか……そうか……」
神父は琉菜磬に手を伸ばし、大きな手で頭をなでる。
「それでもお前は生きていた。今も、こうして生きている。それは、神の思し召しだとは思わないか?」
ふと、琉菜磬は顔を上げる。涙を拭くことも忘れ、神父の──いや、神の言葉を聞いているかのように。
「ずっと、ずぅっと、毎日毎日神に祈りを捧げている姿を、私は見てきた。教会にいる誰よりも、お前は神を思う心が強い。お前に教会を任せるのは、私の判断ではない。神の思し召しだ。……それを、拒むのか? これからも、そうして生かされていることに感謝をせず、空気だけを吸うように生きていくつもりか?」
光が天から神々しく注がれているかのごとく、琉菜磬は食い入るように神父を見上げている。──考えたことがなかったのだろう。『生かされている』と。
「神父様……」
琉菜磬は降り注いだものを、全身で受け止めようと息を呑む。
「明日、私は教会を発つ。娘の黎馨には話してある。シスターたちをまとめて数年だが、それでも、お前の手助けをするだろう」
神の思し召し──それに抗うなど必要か。答えは、考えるまでもない。
急激に琉菜磬の記憶が流れ込む。
黎馨は神父の一人娘。二年前に亡くなった神父の妻のあとを継ぎ、十代からシスターたちをまとめている。十代中頃ですでに彼女は妖艶な美しさを持っていた。月からの使者のように。
「教会に眠る妻も、喜んで見送ってくれることだろう。何ひとつ、案ずることはない」
首にかけた丸い首飾りと十字架を神父はゆっくり外す。パナギアに口づけをすると、琉菜磬の首にスッとふたつをかけた。
「神のご加護があらんことを」
空がうっすらとした明かりに包まれている。
翌朝の早朝──神父は琉菜磬と黎馨に見送られて、静かに教会を去っていった。
行先は──『神の思し召しあるままに、歩いていく』と神父は言って。
降り積もった深い雪が残る道を、神父はただただ歩いていき、姿を消した。