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【44】交差する過去と現世(1)

 裸と意識して、絡まる足に相手の体温が直に伝わっていると気づく。──いつの間に脱がされていたのか。裸なのは、女だけではなかった。

 それなら、余計にこの体勢から逃げなくてはならない。万が一があったらと危惧するのは、身の危険よりもその先の恐れること。

 忒畝トクセは相手のあばら辺りに右手を押し付け、足と同時に左側に押し倒す。絡まる舌は離れ、息は顔にかからなくなり、首に回っていた腕は遠のいていく。その、スローモーションのような感覚の中で、暗闇に慣れた視界は忒畝トクセに呼吸を停止させるような色を見せた。


 ゆっくりと離れていく女は、白緑色の髪だった。暗闇の中では透明感が増し、まるで薄い緑が光りつつも透けて見え──そして、瞳の色がはっきりと見える。

 アクア──その色は彼に恐怖を与えた最初の色。死の宣告、カウントを刻む色味。


 恐怖から逃れようと、瞬時に冷静になろうと努める。──女性が誰かと考察する。恐怖に慄けば、この危機からは逃れられないだろう。忒畝トクセには、身の危険以上に避けたいことがある。これを知り、ふたつあった夢のうち、ひとつを手放したのだから。家庭を築くこと、ひいては恋愛さえも──。

 竜称カミナと母以外で、女悪神ジョアクシンの血を引いている者。残るは妹の悠穂ユオだけ。だが、妹ではないと雰囲気が物語っている。

 では、誰か──そう考えたとき、浮かんだのは帰りの船で悠穂ユオが言っていた存在。忒畝トクセの知らぬ『もうひとり』。

 そう忒畝トクセが思った一瞬の隙に女は素早く動いた。

 忒畝トクセが気づいたときにはすでに足がつかまれ、急速に女へと体が近づく。体の芯に異物が触れ、体が震え、またたく間に痛みが一直線に体内に走る。

「あぁっ!」

 今までに感じたことのない痛みが忒畝トクセを襲う。一直線に体を走った痛みは、芯から滲むように指先まで広がっていく。激痛にのた打ち回ることもできず、体はずっしりと重くなって自由が利かない。

 すると、女はそれを察知したのか、咥えていたものを放し上半身を起こす。そして、そのまま両足を広げ──。


 声にならない悲鳴を忒畝トクセは上げる。

 更なる激痛が、今度は体の芯から放射線状に何度も広がっていく。


 体内の毒素が過剰に増加し加速していく中で、彼は何度も発せない悲鳴を上げた。


 ひどく屈辱的だ。上に乗った女は、毒の沼に沈んでいく忒畝トクセを見下ろして嘲笑っている。──それは、もがき苦しむ姿をさらしているようで。彼には体中を走り、突き上げてくる激痛よりも耐えがたい。

 この先に待ち受ける、彼が絶対的に回避したかったことさえ知っているように思えて。それは、かろうじて浮かんでいる顔を、広げた手で毒沼に沈めてやると言われるのと同じようなことで。

 いや、ここで己の命が途切れるだけなら、彼にはまだ救いなのかもしれない。生きる機能を持たず、人ではないような醜い姿で生まれ、絶命しか道のない次の命を我が子だと目の前で見るよりも。


 女悪神ジョアクシン伝説の資料を食い入るように見ていた十二歳の忒畝トクセが『伝説は、終わったはずだ』と、祈るように読み進めて知ったこと。それは──。

『本来、女悪神ジョアクシンの男は産まれても短命。もし、生き永らえても生殖機能は持たない。しかし、極まれに生殖機能を持ち得る場合がある。ただし、その行為は己の体内に毒素が回り、激痛を伴う。苦痛であり、寿命を縮める自殺行為にすぎない』

 ここまで読んで、忒畝トクセは悩んだ。

 そうして二年かけて結論を出す。自分が短命であっても、苦痛で寿命が縮まるとしても、結婚をして子を残せればいいと。わずかな光を見た。早くに結婚して、早くに子どもができさえすれば、結婚した相手に少しでも寂しさを癒すことのできる者を残せるだろうと。自分の産まれたことも、無にならないと。

 けれど、わずかな光は続きを読んだとき、真の闇へと変わった。それは、描いた未来にまっすぐ進んでいった最中でのこと。父のようになりたいと、ふたつの夢を持ち歩んでいた途中。

 ひとつめは、父の後継者となり、克主ナリス研究所の君主になること。ふたつめは、父が築いたようなあたたかい家庭を築くこと。

 父に君主の試験を受けると告げ、受け終わったあとだった。結果を受けて、告白をしようと決めていた。結婚するなら、この人しかいないと言い切れる相手に。同じ想いを理想として、夢と掲げる人。──その前にと、伝説の資料をもう一度読んだ。ただ、確認するだけのつもりだった。そこに読んでいない続きがあるとは、思ってもいなかった。

『生殖機能があった場合、受精、着床ともに九割を上回る。割合は、ほぼ十割。尚、生きる機能を持たない異形のみが産まれる。その者は数時間から数日で動くのをやめる』

 打ちのめされた。有頂天になっていたと、鼻をへし折られたような感覚だった。何とか前を向いてきたにも関わらず。

 告白は中止だと、待ち望んだ未来の扉を閉めた。扉には鍵をしっかりとかけて、その鍵を自らの手で砕いた。悲しみも悔しさも感情が振り切ってしまったのかは、わからない。涙が浮かぶこともなく、粉砕した。そうして、たとえ望んだ未来を手に入れられないとしても、使命があると立ち上がる。

 君主の試験の合格発表前日、意中の人は、翌日に言おうと思っていた言葉を言ってきた。──ああ、どのみち言えなかったんだ。そう思って、サラリときっぱり断った。そうして、何だか笑えた。幸せになってと心から願えて、こんなに好きだったのかと痛感した。



 ふと、女が動くのをやめ、腰に手を回す。上半身を起こそうとしていると感じた彼は、あえて従うフリをしようとした。どうせ、痛みで自由の利かない身なら、下手に抵抗しようとする方が愚の骨頂だ。

 女は満足そうに口元をゆるめる。──だが、忒畝トクセにとっては、これもひとつの賭けだった。自力で起き上がれないのなら、起こしてもらった方が体力は温存できる。それに、狙いは別にもある。

 痛みがざわめく体を、うな垂れながらゆっくりと起こしていく。忒畝トクセの背中を支えている女は、狙い通り体を反っていた。

 彼はそのタイミングを逃さない。力を振り絞って上半身を起こしきると、女の肩をトンと押す。

 このときに腕をつかまれたら最後だとも思っていたが、他に選択肢がなかった。──賭けは忒畝トクセの勝ちだ。ゆっくりと女が後ろに倒れていくのが見える。

 腕を女が伸ばしても、忒畝トクセのまっすぐ伸びている腕と、次第に天井へと向かう腕が交わることはない。

 更に力を絞り出して忒畝トクセは体を後退させる。繋がっていた体の一部を離す──が、忒畝トクセの抵抗はこれまでだった。

 無理に動いていたせいで、再び強烈な痛みが体の隅々に伝わる。切り裂かれるような、しびれを伴うような痛み。忒畝トクセは体をちいさく縮め、うめき声を漏らす。


 暫時、女は仰向けのまま呆けていたが、体をゆらりと起こし、忒畝トクセに近づこうとする。うずくまる忒畝トクセは万事休すだ。──と、そこへ忒畝トクセの知っている者の声がした。

「やめな、充分だろう」

 ピタリと、女は動くのをやめる。忒畝トクセは意識朦朧としているが、この声は忘れない。竜称カミナだ。

「どうだ? 普通の男なら至福なこのときを、地獄のような痛みが走るその感覚は」

 声は徐々に近づく。

「自分では望まなかった、そんな感じだなぁ」

 笑いの含んだ声。忒畝トクセは憎しみを込めて睨む。──今できる最大限の反抗だ。

 その様子に、竜称カミナはつまらなさそうな表情を浮かべる。

「何だ、忘れてしまったのか」

 ため息をついて呆れたように言い放し、続ける。

「自分で望んだことだったのにな」

 それは冷たい口調で。しかし、忒畝トクセには、竜称カミナの言葉は理解できない。その覚えがまったくないからだ。

「何を……」

「最後に、体が徐々に壊死していく感じと似ていたんだろう?」

 竜称カミナ忒畝トクセには答えていない様子だ。忒畝トクセを見てはいない。いや、忒畝トクセの瞳を見てはいるが、その奥の誰か別の人物と話しているような。

女悪神ジョアクシンの血が流れる男として生まれて、生きながらえただけでは足りずに。愛している人と結ばれたいと、最後の最後に馬鹿げたことを祈ったんだろう?」

「何のことだ?」

「名前を聞けば思い出すのか? 呼んでやろうか……なあ?」

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