【41】継ぐ者2(2)
言葉を返す間なく、大臣をまくし立てる。
「もう王はいない。恭姫が継ぐのに、何も問題ないはずだ。それとも瑠既が戻ってきたから、瑠既にとでも……」
「では、沙稀様もご結婚されますか?」
「は?」
沙稀は怪訝な声を出す。何を言っているのかと。
「先延ばしにしていたでしょう? 今まで瑠既様がいらっしゃらなかったから」
それは瑠既が帰城する前に、絵画の部屋で話したこと。終わったと思っていた話をされ、勢いは止まる。
「確かに、前は……そんなことがあった。しかし、俺に結婚する気はもうないと……」
「お相手が、決まっているとしても?」
予想外の言葉に、口をつぐむ。母が存命していたころを思い返すが、婚約したことも、会ったことも、話さえも浮かんでこない。婚約の相手が決まっていると言われても、沙稀にはまったく覚えがないことだ。
ただ、瑠既が婚約をしたあと、後継者は沙稀だと母から告げられた。それからすれば、相手が決まっていてもおかしくはないとも思えてくる。
「まさか……本当に? 俺に婚約者候補がすでにいるとは、思ってもいなかった……けど……」
沙稀は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。動揺は視線に表れ、ふと扉に辿り着く。
よく見ると、少し開いている。そして、誰かがいるような──沙稀はゆっくりと扉に近づき、開く。
すると、会うのが気まずい人物がしゃがみ込んでいた。
「恭姫」
思わず名を発すると、恭良はスッと立ち上がり、走っていく。
沙稀は、無意識で走っていた。恭良の背中を追って。
『恭姫!』そう呼ぼうとしたとき、前方に瑠既の姿が見え、声は出なくなった。代わりに聞こえたのは──。
「お兄様っ」
救いを求めるような、恭良の声。
沙稀の足はゆるやかに止まる。目の前の光景を見て、力が抜けていく。
瑠既は呼ばれて振り返っていた。恭良はそのまま瑠既に飛び込む。その肩は、震えていて胸の中で泣いているように見えた。
沙稀は恭良の背中を見つめ、これから支えるのは瑠既であればいいと願ったことを思い出す。胸を締め付けられても、この光景を理想と描いたことを。
瑠既がふと顔を上げる。ふたりは視線が一瞬合ったが、何かを思い出したかのように沙稀は踵を返した。
昼食は恭良のところへは行かず、自室で食べた。忙しかったわけでも、時間がずれたわけでもない。一緒に食べるならちょうどいい時間で、いつもなら恭良のところへと行っていただろう。
昼食は日々ケースバイケースだからこそ、余計に気まずくなることはない。しかし、問題は今日もやってくる夕食、明日もくる朝食、そして、それが繰り返しやってくることだ。
いや、それ以前に護衛ならば、訓練の時間が終われば顔を出しに行くのも仕事の一環。考えれば考えるだけ気が重くなる。
護衛を辞退しても、剣士たちを束ねる立場は変わらないだろう。鴻嫗城にはいられる。恭良に会うことが極端に減るだけだ。そう、それだけ。
辞退を申し出るなら、誰かを選任しなくては。──そんなことを考えながら訓練場に向かう。
誰がいいかと見ながら訓練をしていたら、あっという間に時間が過ぎていってしまった。数時間で決められるほど、かんたんなことではないと思い知る。
そんな折、大臣がやってきた。ようやく恭良から離れる決意ができようかとしていたのに、こんなことを囁く。
「瑠既様は、恭良様と昼食をともにされました」
耳を疑う。あんなに恭良を嫌がっていた瑠既が、ふたりきりで食事をするとは。
だが、物は考えようで。沙稀はフッと笑うと、
「よかったじゃないか」
と言う。どういう経緯か不明でも、瑠既が恭良と仲良くする気になったのなら、こんなにありがたいことはない。
何かがうまくいかないと思っていたのは、思い過ごしだったのかもしれない。かえってずれていたものが噛み合うように、少しずつ修正されていただけなのかもしれないと、考えを改める。
いつ選任できるかにもよるが、恭良の護衛でいるのも長くても数ヶ月だろう──そう思えば、これから恭良のところへ顔を出そうとも思えてくる。
大臣は沙稀に違和感を抱きながらも、
「そう……ですね」
と相槌を打つ。すると、
「今度、大事な話がある。すまないが時間を作ってほしい」
と沙稀は告げる。それは、どこか清々しい雰囲気をまとったものだった。
沙稀はこれまでの日常と同じように、恭良のもとへと歩く。時間を頭の隅におきながら、恭良の行動を予測する。
──今日は絵画を描いていないだろうし、宮城研究施設にもいないだろうな。
そうなれば、誄とお茶をしているかもしれない。誄と会うお気に入りの客間は知っている。そこへ向かおうと二階に上がり、何気なく一階に視線を向けたときだった。沙稀の予想を裏切り、来た道──稽古場の方へと向かう恭良を見かける。
思わず、沙稀は凝視する。恭良の行動とは思えなくて。
理由はふたつ。
ひとつは服装だ。『肩を露出するドレス』をまず身につけないのに、どうしたことか。まるで昔、侍女に選ばれるがまま服を着ていたころに戻ったかのように、両肩を露出している。
もうひとつは、日常では歩かないところだということ。恭良は最高位の姫。直接会える者は限られている。それは、城内でも同様。
城内で使いの者ばかりがいる場所は、一部の通路を除いて使用しない。尚且つ、その一部の通路は、半年に一度使いの者たちを労うために、姫が直々に声をかけに行く際に使用するだけだ。そのときは、もちろん沙稀も同行している。ただし、その日は今日ではない。
沙稀の血の気が引いていく。来た道を全力で走る。
階段を降りると、瑠既の姿が見えた。沙稀は大臣の言葉を思い出し、つかみかかりそうになる。恭良の行動は、昼食のときに瑠既が何かを言ったとしか考えられなくて。
沙稀が足を止めると、瑠既も気づいたようで立ち止まる。そこは運よく階段の下。影ができ、周囲からは見にくい場所。
「何を言ったんだよ」
静かに問う沙稀の声は、一直線に瑠既だけに届く。
「別に。ただ、『自分はこれからどうしたらいいの』って聞かれたから、『普段通りにしとけ』って言っただけだよ」
沙稀に苦渋の表情が浮かぶ。
「あれじゃあ、昔と同じだ」
恭良に瑠既の言葉がどう響いたのかはわからない。いや、朝食のときに沙稀が侍女の提案をした。侍女がいたら昔のように意見を言わず、他人優先だったころに戻ると恭良は感じて──昔のようになってしまったのかもしれない。
沙稀は瞳を閉じ、拳を握り締める。意を決したように瞳を開くと、恭良へ向かっていく。
沙稀が恭良に追いついたのは、稽古場より手前の厨房だった。恭良は立ち止まっている。沙稀は嫌な予感がして、足を早める。
剣士たちは自分たちで料理を賄うため、厨房では使用人や客人たちの食事が作られている。もちろん、恭良の食事もこの奥で作られているが、シェフは専任がいる。そのため、恭良の好みは専任シェフしか知らない。
厨房では、恭良に会ったことのある者が『姫が来た』と周囲に言ったのか、騒がしくなってきた。それでも恭良はその場を離れそうとはしない。
沙稀の予感が当るように、何やら器に入った物が運ばれてくる。おもてなしをしなければ失礼だと厨房の者たちは思ったのだろう。しかし、それは恭良の専任シェフの手がけた物とは限らない。
ガラスの器に入る、透明でフルフルとやわらかいものに覆われた、三日月の形をした蜜蝋色の果実。その器が恭良の手に渡る──と思いきや、手に取ったのは沙稀だった。