【40】継ぐ者1
「瑠既様が誄姫とご結婚されることです。そのタイミングに合わせてなら、沙稀様のことも……本来のことを公表できるでしょうね」
「そういうことか」
独り言のように呟いた言葉は、大臣には届かなかったようで、
「はい?」
と正面で首を傾げる。
瑠既の中で腑に落ちなかったことが、スッと落ちた。──倭穏に言われて、誄を訪ねたとき、誄は生憎不在だと誄の両親に足止めされた。再会を喜ばれ、お茶を出され──なるほど、あれは大臣の算段かと。
あのとき誄に会えば、瑠既は婚約解消する気だった。だが、本人に告げるより前に、その両親に破断を申し立てることはできない。瑠既は誄の両親に特別にかわいがられていた。無下にできるわけもない。そもそも昔、婚約の行動に出たのは瑠既の方だったわけで。
無言で食べる瑠既はいささか──ではなく、不機嫌だ。返事を待つようにジッと見る大臣を、見もしない。
「ごちそーさまでした」
深々と言い、席を立つ。
「瑠既様」
「考えておく」
遮るようにその場だけの返事をしたにも関わらず、
「では、明日の朝食もお迎えに上がります」
と、大臣は律儀に返答期限を告げてきた。
静かな夜は更けていったが、瑠既の寝付きは悪かった。胸がムカムカするほどの不快は収まらず、爽やかな物言いでドロドロとした大臣のあの発言は、まとわりつくばかり。
瑠既にとっては考えるでも、迷うでもない。断る一択だ。ただし、断るのなら。沙稀を元来の地位に戻す方法は、瑠既自身が考えなければならない。
無理強いをせず、沙稀自ら望むような──そんな方法を。
コンコンコン
ノックの音が聞こえて、目を覚ます。ふと時計を見れば、綺ではとうに営業が始まっている時間。
「今行く!」
慌てて叫び、気づく。どこにいるのかを。
「かしこまりました。お待ちしております」
聞こえるのは大臣の声。
「ああ……」
浮かんだのは苦笑い。返事をしてしまったのなら、その発言に添う行動をしなくてはならない。頭を抱えても、遅い。
適当にウォークインクローゼットから衣服を取り、急いで着替え、髪は手で無造作になでて顔を出す。大臣には、いかにも寝起きだとバレバレだが、
「行きましょう」
と、昨夜の会話がなかったかのように時は流れ出してくれた。
胸をなで下ろすのも束の間。昨夜の二の舞を起こさぬようにと、気を引き締めて朝食に挑む。
「いただきます」
「いただきます」
変わらず、大臣は瑠既より深く言う。恐らく、瑠既が今の大臣並みに深く言えば、より深く言うのだろう。
「そう思えば、大臣は『大臣』なんだよな」
独り言のつもりが、
「何ですか?」
と今度は聞こえていたようで、
「いや、何でもない」
と、瑠既は警戒する。
大臣のことだ。また、どう流されるかわかったものではない──その思いが伝わったのか、
「お心は、決まりましたか?」
と、サラリと聞いてくる。
瑠既は迷う。何と答えるのが、最もいい答えなのかと。ヘタに答えれば、瑠既の意志とは真逆に動いてしまう。
「ああ、決まった」
一か八か──そう答えると、
「そうですか! よかったです」
大臣はうれしそうに答える。──結婚するとは一言も言っていないにも関わらず。
「ああ、そう」
大臣のテンションを落とさない程度に返す。大臣は安堵の表情を浮かべているが、瑠既にはこれで都合のいい方に転がると思えた。
近々、大臣は誄を鴻嫗城に呼ぶだろう。断るのにこんなにも好都合なシチュエーションは、瑠既には用意できない。
逆手にとられたなら、大臣の行動も逆手に取らせてもらうのが一番という、賭けだった。
食後、その場で大臣と別れた瑠既は自室に戻る。大臣が誄を呼ぶ前に、沙稀と話さなければならない。いや、正確に言えば、誄に会って破談にする前に、沙稀のことにケリをつけておかねばならない。
そのためには、どうするか──じっくり考えなくては。
部屋の前に着くと、止まっている時間を動かすようにノブを押す。大きく息を吐いて瞳を開けると、そこには沙稀がいた。
「あれ?」
瑠既は思わず間抜けな声を出す。となりと間違えたかと思って。だが、沙稀は現在違う部屋を使っているはず。すると、沙稀はばつが悪そうに口を開く。
「悪い。勝手に入った」
瑠既は扉を閉め、もたれかかる。
──さて、どうするか。
良案がかんたんに浮かぶなら苦労はしていない。
「その……何て言うかさ……」
言葉を探しながら言う沙稀を、瑠既は黙って待つ。
「何日も経っていないのに、こんなことを言うのも何だが……誄姫、いつかは会ってあげてくれないか?」
今にも『悪い』と沙稀の口から出そうで、瑠既はおかしな感覚になる。大臣と違い、まるで誄本人からの言づけのようで。
「会うよ。たぶん、近々」
「本当か?」
それは、息を呑むような。
あまりの勢いに、瑠既は呼吸を一瞬忘れる。待ち望んだ願いが叶うかのようなリラの瞳を見て、罪悪感が湧く。
「そうか……よかった。ありがとう」
「ああ、いや……」
これで『断るつもりでいる』とは言い出せない。気が重くなるが、すでに決めたこと。変える気はさらさらない。
胸をなで下ろす沙稀に、瑠既は自然と言葉が出ていた。
「恭良のこと……」
「え?」
予想だにしていなかったのだろう。その名は、沙稀から安堵の表情を奪う。
「好きなら『好きだ』って、言った方がいいと思うよ」
「何……」
唐突な言葉に戸惑っていると一目瞭然だ。沙稀の目は泳ぎ、言葉を失っている。動揺は明らか。
「姫として認識するようにしてるとか、昔のこととか、色々と考えるんだと思うんだけどさ。そういうのって、あとからじゃ……駄目なわけ?」
「いや……駄目でしょう」
沙稀らしからぬ返答に、瑠既は追い打ちをかける。
「手遅れになってからの方が、駄目なんじゃなくて?」
現状を言っているかのような言葉。──あえてだ。今だからこそ、今しか言えない言葉だからこそ、堅物の沙稀を打破できるような気がして。
沙稀は口を閉ざす。動揺は激しくなる一方で、瑠既は確信する。
落ち着きのない指の動き、小刻みに震える両腕、力が抜けていく首──どれも、想いを否定しようと、封じようとするからこその反応であると。
瑠既はため息をつく。恭良が大嫌いだから。憎くてたまらないから。それなのに、こんなにも沙稀が想いを寄せているから。
そもそも瑠既は、沙稀に幸せであってほしい。それには本来の地位に戻れるのが、一番だと思っていた。ただ、それは少し違っていたようで。想いを寄せる人と結ばれ、結果、本来の地位に近しいところに戻るのであっても、それはそれでいいようにも思えてきた。
一歩、足を出して歩き始めると、沙稀は比例するように更にうつむく。ソファの前に立つ沙稀のとなりに着いたときには、長い髪が顔をすっかり隠してその表情は見えない。
瑠既が大袈裟に座ると、沙稀がチラリと見た気がした。
「座れば?」