5・還れる者
『愛と美の神』の魂は、『生と死の神』の加護によって再生されるだろう。
『生と死の神』との縁の中に、『愛と美の神』はいる。
繋がりが切れてしまった『愛と美の神』を追えないとしても、下界で深い繋がりを得た『生と死の神』とは、再び人として転生したその先にまた巡り会うだろう。
昔から何度も何度も繰り返し見ている夢が、脳内を駆け巡る。
「どうしたの?」
愛が──かつての『愛と美の神』が──大事そうに抱く赤子は、みすぼらしい少女の姿と重なる。いつの記憶か、判断は付かない。
──ああ……。
心の中で嘆くも、口には出せない。
幸せが吹き飛んだ。数多の記憶が回っている。目眩がしそうだ。
「悪い……ちょっと外の空気を吸ってくる」
フラフラと出ていく。これが精一杯だ。少し、ひとりで頭を整理する時間がほしい。
水を求めるがごとく、留唏はひとりになれる場所を求め、壁伝いに歩く。
ヨロヨロと歩き、屋上に着いた。留唏は大きく息を吐く。
何度も見ては、忘れていた夢。繰り返し見ていたが、たかが夢だと気にしなかった。けれど、もう、受け止めなくてはいけない。
整理はできずとも、断片的に過る記憶のような映像の意味がわかってしまった。パースが揃ってしまったのだ。
訳のわからない映像のままだったら、この先も『人』として生きていけたのかもしれない。
ホロリホロリと、瞳から雫が落ちる。どうしてずっと愛に惹かれ続けたのかさえ、知ってしまった。
愛は、かつての『愛と美の神』だ。その証明は、すでに済んでしまっている。
これまで愛を呼ぶときに何度も留唏の口からなぜか出た、言語として認識できなかった言葉──真名。
言語として理解できない言葉にも関わらず、愛は強烈に反応していた。
これまで言語化できず、何と言っていたのか──なぜ言っていたのかもわからずにいたが、理解ができている。
それは、留唏自身が『人』ではない証明だ。
『憤りの神』だったころ、かつての『愛と美の神』を求め、探しに──下界へ堕ちたのだ。
いくつもいくつも雫が頬を伝い、流れている。
『人』でなかった悲しみ。『愛と美の神』を見つけられた喜び。そして、絶縁したはずなのに切れなかった、『愛と美の神』がすべてを捨ててまで守ったもの。
赤い実をともにかじってしまう恐ろしさを実感する。
そもそも、一度融合してしまったのだから、個として再生できただけマシと思うべきか。切りたかった縁を断絶できなかったのも、致し方ないかもしれない。
意志を思い出し、天へ帰還する力を認識する。すると、左手の親指の付け根には青紫に輝く紋章が微かに浮かび上がった。──『憤りの神』が持つ『力』の証だ。
断片的でも己の記憶とわかった時点で、すでに『人』ではない。いつでも天界へ還れる者だ。
ただし、下界で『人』として過ごす術は知っている。
かつての『愛と美の神』が、現世では『人』でも──彼女とは、ともに帰還できる。
『憤りの神』の真名が、かつての『愛と美の神』の記憶のどこかに刻まれているはずだ。
彼女が思い出せばいいだけ。神格がなくても、深い深いところに刻まれているはず。要は、呼び起こせばいい。
だから、問題は一点に絞られる。
──赤子を……置いていきたくないと、言うだろうな。
年代の判別のつかない過去が、また重なる。
「私に『命を見捨てろ』と言うの?」
同じ言葉は二度と聞きたくはない。
しかし、どんな因縁か。忌み嫌った者を娘に持つとは。
声にならない声で、留唏は嘆く。
思えばこれまで、接点はずっとあった気がする。留唏は忌々しい者をいつも赤子時代から見てきた──ような気がするのだ。
これまではきっと、理由がわからずに忌み嫌ってきた。だが、今回は不快感の原因が明確にわかる。
わかる──のだけれど。わかるからこそか、新たな感情が湧き起こる。
──新しい命に、罪はない。
赤子時代から見てきた気がするが、今回は愛おしい者に宿ったときから慈しんできた。それは、特別な感情だ。
愛おしい存在だからこそ、絡み付いてくる憎しみが、心をえぐるように苦しい。
父として、どれだけの愛情を『娘』に注げるかはわからない。
何も知らなければ──いや、そうであれば幾度と見てきたこれまでのように──嫌悪しか向けられず、思い詰めていたかもしれない。
だが、知ってしまったところで愛せるのかも、わからない。
愛は赤子に微笑んでいた。
これから愛は、赤子に無償の愛情を注いでいくのだろう。
大事にしていく様子を想像すれば、留唏も愛おしさをじんわりと感じてくる。
神格を実感したからこそ、人であったからこそ、幾度となく重ねてきた憎しみに隠れた感情が見えてきた。
はるか昔、このふたりを見て感じていたものは──嫉妬だ。