4・きれい
笑いをこらえた愛は、
「プロポーズって、もっとロマンチックなものだと思っていたんですもの」
と、笑い声混じりに続けた。
確かに、留唏もロマンチックな雰囲気になるよう色々考えはした。だが、どうにもこうにも恥ずかしすぎたのだ。現実的ではないと、考えをことごとく消した。
それにしても──何が愛の笑いのツボに入ってしまったのか。笑いが止まっても、また留唏の顔を見れば笑い出す。
──今度、また改めるか。
笑い転げている愛に返事を催促する気になれず、仕切り直すのを諦める。冗談で流されたような返事をもらっても困るのだ。後々『冗談だった』と言われたら、もう軌道修正はできない。
結局、留唏は愛をかわいいなと眺め続けた。
帰宅してから、留唏は悩む。
──どう仕切り直すか。
唐突に言ってしまったのが悪かったと反省すれば、恥ずかしさを我慢し雰囲気のある場所に行くか思考を巡らす。
けれど、一度言ってしまっている。もし、計画した場所に行っても、察せられたら──また笑い続けられてしまうかもしれない。
──それなら、場所にこだわらず、言葉を変えてもう一度言うか……。それとも……。
もしかしたら、振り出しに戻ったのではないのかと不安が過る。あれは、断られたと判断すべきか、と。
半ば混乱状態だ。
もう一度伝え直して、もし完全に断られたら。立ち直れる気がしない。
断られたら──その時点で、交際を続けていくのは困難と解釈した方がいいのか。
嫌な方向にばかり考えてしまい、ため息がもれる。
すっかり、弱気になってしまった。一緒になりたいと、先走りしてしまったのかもしれない。
──別れたくない。
ギュッと胸が締め付けられる。
今度は、別れの決心がつくまでは切り出さない方がいいかもしれない──とまで、思うようになってしまった。
気づけば、以前のように愛の家に行かなくなった。
会ってはいるが、お互いに別々のところで働いている。忙しいと言い訳をし、外食をしたり、店を見て歩いたりする程度になり──以前よりも一緒にいる時間が減った。
更に二ヶ月ほど経ったころ、日が経つにつれ会う頻度も減っている。前回会った日から十日も空いていた。
何度も食事をしにきているこの店は、なじみと言ってもいいかもしれない。デートがすっかりルーティーンになっている。
このまま食事が終われば、『また今度』と別れるのだろう──そんな考えが浮かんだものの、何も言い出せないまま店を出てしまった。
──このまま、自然消滅してしまうかもしれない。
すっかりマイナス思考となった留唏の脳裏。そのとき、
「ねぇ……もう一度は、言ってくれないの?」
愛がポツリと言った。
留唏は何のことかと──思ったが、これはチャンスかと自問自答する。
見つめてくる愛の瞳は、まるで催促しているようで──ウダウダ考えていた思考が、煙のように消えていった。
「俺と、結婚して」
二度も言うなんて、心臓に悪すぎる。できれば、もう一生言いたくはない。
──でも、これで『はい』と言ってくれたら……。
留唏の鼓動がドキドキと高鳴る。今度は留唏が見つめていたら、
「はい」
と、望む言葉が鼓膜に届いた。一言、それだけなのに。負の感情が、留唏からバサバサと飛び去る。
目の前には光り輝くような愛がいて。キラキラとした笑みが眩しい。
空間を認識できなくなり、この世にふたりだけしかいないような──ふしぎな感覚に留唏は囚われた。
強い衝撃で我に返ると、胸に愛が飛び込んでいた。留唏の足は、しっかりと地についていて──ぎこちなく両腕を動かす。
そっと包み込む愛の背はあたたかく、すっぽり収まるほどちいさくて──生涯をかけ、守ると誓う。
こうして無事に結婚へと動き出し、しばらくして愛の実家へ行くことになった。
これまで聞いたことはなかったが、愛の実家は由緒ある旅館で『綺』というらしい。
旅館の名は留唏も知っていて、有名なところだと驚く。実際に行ったことはなかったが、目の前にし、大きく立派な建物に圧倒された。
「大丈夫?」
「ああ」
平然を装うと、愛はさほど留唏を気にせずに旅館へと入っていく。留唏は愛の背に付いていった。
『綺』の内部はまるで異世界だ。赤を基調とした飾りが至る所に飾られている。独特の柄に目を取られ、フラフラと歩いていたら、
「こっちよ」
と、愛に意識を引き戻された。
『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉を開け、愛は進んでいく。留唏は一瞬目が丸くなったが、愛の実家に来たのだったと目的を思い出す。
扉の奥を進んでいくと飾りは減ったが、雰囲気は変わらずだ。ただ、飾りが減ったと感じたのは、これまで目線と同じ高さにあった物が減っているだけのようだ。床を見れば、よくわからない置物が増えている。
──伝統……というより、趣味なのか?
そう思いたくなるほど、これまで見たことがないような物ばかりある。
──愛はここで育ったんだな。
思い返せば愛は、初対面のときから独特の雰囲気をまとっていたような気がする。留唏が知らないような物で囲まれ、育ったと考えると、妙に府に落ちた。
「お待たせ」
愛の声に、留唏の視界が上がる。そこには、愛と同じように長く美しい黒髪を持つ女性がいた。大きくグリッとした瞳は、留唏を捉え──留唏はなぜか、目を見開いた。
若々しいが、顔には愛の母の世代らしく、年なりのしわが刻まれている。それなのに、留唏は初めて会ったこの女性を昔から知っている気がした。
「初めまして、留唏くん。話しは愛から聞いているわ」
どこかぼんやりしたまま、留唏は慌ててあいさつを返す。
「初めまして。愛さんとの結婚のごあいさつに伺いました。お時間を作っていただきまして、ありがとうございます」
「女手ひとつで育てたものだから、至らないところばかりかもしれないけれど……大切にしてあげてね」
「もちろんです」
我に返り、先手を取られてしまったと反省しながら深々と一礼する。
「愛、私は貴女が幸せになってくれるなら構わないから。貴女が決めた人に会わせてくれて、ありがとう」
『こんな短い時間しか取れなくてごめんね』と愛の母は、足早に留唏たちが来た道を戻っていく。
なぜか視界が追った。
ひとつにまとめた髪が揺れる後ろ姿を見て、懐かしいとどうしてか思っている。早くに亡くした母を見ているような、安心感もどこかにある。
──『母親』って、存在がそういうものなのかな……。
そういえば愛から父の話を聞いたことがない。愛の母は、先ほど『女手ひとつで育てた』と言っていた。
もしかしたら愛は、父を知らないのかもしれない。留唏は勝手に想像する。
あっという間のあいさつだった。無事に許可を得られた。ホッと胸をなで下ろす。
「今度は、俺の家に来てくれる?」
愛がうれしそうに微笑む。──そういえば、愛を家に招いたことがなかった。
帰宅してから祖母に話し、日取りは早々に決まった。そうして後日、愛は祖母と初対面したが、
「初めて会った気がしないわ……」
と祖母は感動の涙を流した。
両家の了承を得て、晴れてふたりで黎に報告をする。すると、黎はとても祝わってくれたが、突然ボロボロと泣き始めた。
「どうして泣くの?」
驚いて留唏が問うと、
「愛ちゃんと……家族になれるのが、うれしくて……」
黎は愛にキュッとハグをする。
「ありがとう……私もうれしい……」
胸の奥がグッと熱くなる。目の前の光景に、留唏はただただ感謝した。
そうして、およそ一年後。留唏と愛は無事に結婚式を迎える。
「きれい!」
黎がいつにもなく、はしゃいでいる。まるで自分のことのように喜んでくれる黎に、感謝が尽きない。
妹と妻になる人が楽しそうにしている光景を、留唏は幸せそうに眺める。そんな折、愛とふと目が合った。
「うん……きれいだよ」
素直に言うと、愛は気まずそうに目を逸らす。耳が赤い。
照れていると留唏は判断し、ついからかいたくなった。
「うれしいなら『うれしい』って言えばいいのに」
いたずらっぽく言ったのに、
「そんな恥ずかしいこと……」
『言えない』と続く言葉は消えていく。
──本当に照れ屋だな。
こういう照れる姿を見るのが好きだ、とも思う。顔のゆるみがとまらない。
そんな留唏を見て、黎は幸せそうに微笑む。
幸せな時間は刻まれていった。
翌年には子宝に恵まれ、留唏は幸せの絶頂だったと言って過言ではない。
愛おしい娘が生まれ対面したときには、瞳の熱い衝動を必死に耐えたほど。
「私ね、昔から付けたい名前があったの」
それは、結婚した当初から愛は言っていたことで。けれど、決して教えてはくれなかった。
愛の唇が動き、音を奏でる。
留唏は初めて聞いたはずの名を聞き、ドクリと体が震えた。




