1・転生したその先に
繋がりが切れてしまった『愛と美の神』は、単独では追えない。
ただし、『生と死の神』が下界で待っている。
『愛と美の神』の魂は、『生と死の神』の加護によって再生されるだろう。
『生と死の神』との縁の中に、『愛と美の神』はいる。
繋がりが切れてしまった『愛と美の神』を追えないとしても、下界で深い繋がりを得た『生と死の神』とは、人として再び転生したその先にまた巡り会うだろう。
ぼんやりと、意識が定まらない。
昔から、何度も何度も繰り返し見ているような──夢を見ていた。
この夢を見ると、決まって体がだるい。けれど、今日は休むわけにはいかない。不運なことに試験だ。
「留唏、大丈夫? 顔色が悪いわよ」
フラフラと一階に降りていけば、祖母に心配をされた。祖母は、多少過保護な面がある。
早くに娘夫婦を事故で失った。だからと解釈すれば仕方ないかもしれない。唯一の血縁者だ。もう十年以上前の話だが、祖母の気持ちもわからなくはない。
「一夜漬けに失敗したな~、と……思って」
親変わりである祖母に心配はかけたくないと、苦し紛れに悔しそうな表情を作る。
祖母は『もう』と、困ったように笑った。
祖母とは四十ほど離れているのに、若々しく見える。
ゆったりとした、ゆるいウェーブのかかった髪。その色彩は、鮮やかなクロッカス。瞳も同色。珍しい色彩で、一歩外に出れば目を引く。
その昔、クロッカスの色彩は上位貴族の象徴だったらしい。特に祖母は、特定の伝承者だ。
はるか昔、世界に君臨した貴族の直系だという。留唏は、代々受け継がれてきた血統を示す証を、母や祖母からいくつか伝えられてきた。
ひとつめは、絵本童話。
背景が抽象的なわりに、神々が子ども向けのイラストで描かれているのが印象的なちいさな本。
もう何百年前のものかもわからないのに、それほど昔の物とは思えないほど美品で──何度かレプリカが作られ、残っているのは複製物という噂もある。
噂もあるというのは、世間一般にも広く絵本童話は知られているからだ。ただ、現存している物を見たことがある者は、家族以外はいないだろう。だから、『噂』だ。
子どものころ、留唏は何度も母に読み聞かされ、映像も文章も鮮明に脳裏にしみついている。
恐らく、そうして大事に継承されてきたのだ。──ただ、根底にあるのは口伝なのかもしれない。
それに、本当に口伝もある。古い言い伝えは、祖母から聞いたもの。
古くから繋がるこの家系は、真に愛し合う人との間に授かる初めての子が、女の子だと言われているらしい。
『らしい』というのは、この口伝は確かめようがないからだ。
たとえば、留唏の場合。母は体が弱く、何度も流産をしてやっと留唏を産んだそうだ。つまり、母が最初に授かった命の性別はわからない。
留唏に至るまでの間、気づかず流産をしたご先祖様も多くいただろう。
ともかく、無事にこの世に生を受けた母の子は、留唏だけだった。家族は性別関係なく祝福してくれ、性別に負の感情を抱いたことはない。
他にも数多の言い伝えや仕来りがあったらしいが、留唏が聞いているのは、数えられる程度だ。
母は先祖代々に受け継がれてきた、家柄らしい教育を留唏に強要しなかった。自由に興味を持つことを優先し、のびのびと育ててくれた。
祖母も母の意思を尊重し、留唏を育ててくれた。
母と過ごした時間は少ないが、数多くのことを感謝している。
「お兄様、おはようございます」
妹──と言っても、同い年──がにこやかに声をかけてきた。
双子ではない。
両親は再婚同士で、妹は父の連れ子だ。留唏の方が誕生日が早く、同い年でも『兄』となった。
「おはよう、黎」
初めて会ったとき、これから兄妹になるというのに、名に『様』を付けて呼ばれた。名に敬称を付けなくていいと話していたら、互いに今の呼び方で落ち着いてしまったのだ。
黎は育ちがよかったのか、初めて会ったときから言葉遣いがとてもいい。それと、ホワッとした笑みをよく浮かべる。それもまた、育ちのよさを感じるのだ。
偶然、髪の毛の色も、瞳の色も留唏と同じクロッカスだった。兄妹と言っても不自然ではなく、ふたりの年齢と事情を知らなければ誰も疑わない。
高貴な者の証と言われている、クロッカスの髪の毛と瞳の色。数百年前までは人口が多かったらしいが、あるときを堺に激減したと言われている。その理由は最近判明した。
高貴な血の割合が低くなれば消失する、純血度によるもの。また、突然変異によっても消失するというもの。
原因がわかっても、すでに希少となった。お陰で、良くも悪くも有名になりやすい。
「準備終わるの、待っていますね」
黎は、思春期になっても『兄』を待つのをやめない。だから、『兄』としては妹が心配になる。
ただ、変な虫が寄り付かないと思えば──黎が恋をするまでなら、このままでもいいとも思う。
何だかんだ妹はかわいらしく、大事なのだ。
直接の血縁関係はなくとも、同じ色彩を持つ者ならどこかでは繋がっている。いや、物心ついたころに出会い、十年近く一緒に生活をしていれば、色彩が違ったとしても今のように家族だっただろう。
大人しく妹は椅子に座る。大事な妹が待っていれば、自ずと準備が早くなった。
「黎、先に食べてて」
バタバタと身支度を整えながら留唏が声をかけると、
「ではお言葉に甘えて、お祖母様の料理が冷めないうちにいただきます」
と、両手を合わせてから箸を持つ。所作を見れば、黎の方が祖母の直系なのではないかと思うほど。
留唏はこの数年、実の兄妹ではない事実に違和感を持つほどになっていた。
「お待たせ」
準備を整え黎のとなりに座り、朝食をいただく。まだ黎は食べていて、向かいに座る祖母は箸を持った。
賑やかな食卓は、ものの十分ほど。兄妹はほぼ同時に食べ終わり、食器を片付ける。そうして、いよいよ出かける準備を整えた。
「それではお祖母様、行って参ります」
深々と黎は頭を下げる。
続いて留唏も同様にあいさつし、仲良く家を出る。
ふたりが向かう先は、克主病院付属学校。世界で名立たる一貫校だ。病院付属と言っても、働き先は売店や食堂など多岐に渡る。そのため、幅広い分野を学べると人気の高い学校だ。
躍起になって子どもを入学させたがる親もいるらしいが、幸い留唏たちはそうでなく、各々が志願した。もっとも、留唏の場合は家から近いという単純な理由だったが。
「今日、試験なのに転校生が来るらしいのです」
「へぇ、美人だったら紹介してよ」
すでに見えている大きな校舎を見ながら留唏は返答する。
「お兄様ったら」
クスクスと笑う黎。
──そこは、軽蔑してもいいと思うんだけど……。
いつまでも純真な妹に安心しつつ、一抹の不安も過る。思春期らしい発言をしても、黎は嫌がる様子を見せない。
だから、留唏はあえて言う。
「俺も、格好いいヤツがいたら紹介するからさ」
「あら。お兄様以上の方がいるかしら?」
ほんわりと返ってくるから『根っからのお嬢様だな』と思わずにはいられない。
「そういう風にばっかり言っていると、ブラコンだって言われるぞ?」
からかえば、『ふふふ』と笑う。そんな黎を見て、悪い虫が遠巻きになるなら悪くないとも思うから、己こそ妹離れしなければと自戒する。
校舎に着き、各々にクラスへ向かう。留唏のクラスは出入り口から近く、一分もかからない場所だ。
教室に入れば見慣れたメンバーがいて、定位置に座り一日が始まる。幸い、いつの間にか寝起きのだるさは消えていた。
変わらない日常だが、退屈ではない。試験に集中すれば、過ぎていく時間は早かった。
試験の合間や昼には友人たちと言葉を交わし、笑い、一日の終わりのホームルームを迎える。
一日を締め括る一礼が終わり、ふと、今朝の妹との会話を思い出す。
美人だったら紹介してと冗談を言ったが、どんな人物が転校してきたのか見てみたいと気になってきた。
黎のクラスに立ち寄る。これまでも何度も黎のクラスに来たことがあるが、ストレートの真っ黒な髪を持つ見慣れない女子がいた。
『この子が転校生か』と思うよりも先に、留唏はその美しい黒髪に思考を奪われる。
真っ黒な髪なのに、輝いて見えるほど美しい。
──冗談も言っておくべきだな。
今朝はいい冗談を言ったと、口角が上がった。




