ll 信じること
「只今戻りました」
重々しい雰囲気に踏み入れた者は、深い闇に向かってひざまずく。
ひざまずく者は、深い闇の奥にいる存在の正体を知っている。この奥には、決して姿を見てはならない、偉大な存在がいるのだ。
「ご苦労だったな。忒畝…いや、『月と太陽の神』よ」
重くずっしりと響く『音』に、ひざまずいている『月と太陽の神』は静かに微笑む。
「恐れ入ります」
「どうだった、下界は」
「楽しかったですよ」
「そうか? 苦しみを味わってきただけではなかったか?」
「修業は苦を伴わなければ意味がありません。魂を磨く行いですから」
『音』は場を埋め尽くすような、壮大な笑い声を響かせた。それはそれは、実に愉快だというかのように。
楽しんでもらえたなら何よりと、『月と太陽の神』は微笑みを絶やさず話を切り込む。
「そういえば、私に一度会いにいらしてくださいましたね」
「気付いていたか」
『はい』と笑みを返す。
「大神のおっしゃっていた通り、女神回収は無事にできたようですね。ところで、いつまで下界にまだいる者たちの様子をご覧になるのですか?」
「妻が心配ではないのか?」
『月と太陽の神』の妻は、『生と死の神』──大神のひとり娘。
『生と死の神』は、本来『女神回収』のプログラムには組み込まれていない。だが、『月と太陽の神』が知っているのは、そこまでだ。
思い返せば『月と太陽の神』は、確かに『生と死の神』と下界で巡り会った。けれど、『女神回収』のプログラムが発動されたときに命を受けていない者が──ましてや『生と死の神』が──なぜ下界に降りてきたのかは知らない。
推測するしかない。大神がこうして直に問うのだ。
恐らくだが──『月と太陽の神』を追った。そんな勝手をしたのかもしれない。娘が勝手をしたとなれば、夫である『月と太陽の神』にこのような質問がきてもおかしくないだろう。
そして、これまでの話の内容からして、『生と死の神』はまだ戻らないのだ。大神にとったら、心中おだやかではないということか。
三回の転生と条件を付けられたのは、『女神回収』のプログラムに関わる者たちだけ。自ら落ちた『義憤の神』同様、神格を持ったまま──いや、と『月と太陽の神』は考えを改める。
──彼女なら……本能で帰還できる。
解を導けば、『月と太陽の神』はまっすぐと──見えない偉大な存在に対して──微笑み、声にする。
「いずれ彼女は私のもとへ戻ってきます。気長に待つまでです」
「そうか」
大神は『月と太陽の神』を試したのだろう。
『音』には、満足が含まれていた。
帰還後の謁見を終え、『月と太陽の神』は大神の神殿から出る。久しぶりの天界だ。身にしみるものがある。
『月と太陽の神』は、元来下界に生を受けた者だった。そのときの記憶は、まったくない。人から神になるということは、そういうことだと、『月と太陽の神』は認識している。
けれど、今回は違う。
神格を持ったまま下界へ行き、そのときの記憶を──別人格のものとして──持ち帰ってきた。
だからか、心がザワザワとする。
元来は人だったのに神上りして──天界へ来て、大神の娘に見初められた。彼は『月の神』となり、いずれ大神の跡を継ぐ柱となった。
いわば、新たに天界で生まれたのだ。番古い記憶は、慈しみの眼差しを向ける『生と死の神』の姿。
恋も、愛も知らぬまま、夫婦となった。
下界に行き、『月と太陽の神』は恋も愛も、夫婦も知ってきた。──だから、心がザワザワとするのだろう。
下界で、『生と死の神』の夫となった者がいた。その者は、天界の者。畏怖を感じ、天界で恐れられている存在だ。
『女神回収』のプログラムの発動に、大きく関わった者でもある。
視界に収め、心身が強ばる。
あんな賭博のような真似をしておいて、『月と太陽の神』よりも早く帰還していたとは。
畏怖で視界にとどめていたのも束の間、猛猛しい姿に見入った。──こんなことは、初めてだ。
下界にいたころとも違う。あのどこか人懐っこそうな雰囲気は皆無で、気品が周囲を遠巻きにしているのだ。
ふしぎだ。
『月と太陽の神』は、初めて話したいと思った。
これまで接してはいけないと感じていた存在──『義憤の神』と。
『義憤の神』は、昔々から下界に降りる使命を持っていた。
『月と太陽の神』が知っている限り、幾度となく下界へと行き、大神の命で様々な事柄を壊滅させてきた。
人々が囁く『大地の怒り』という表現は素晴らしいほど。
繰り返し、繰り返し、それこそ数え切れないほどの人生を送ってきているはず。
けれど、許されるのか──とも迷う。
『義憤の神』は──『義憤の神』が孤立している理由は、大神の意思だからだ。
『義憤の神』がまだ『戦いの神』だったころ、『愛の神』と夫婦になったのは大神の意思ではない。
ただ、交われば『力』を失う『戦いの神』の結婚を大神が許したのは、似た宿命を持つ『愛の神』だったからだろう。交わらない者同士なら、万が一が起きない。
誤算は──『戦いの神』が『愛の神』のことを、いつからか特別に思っていたことだろう。
『義憤の神』となり、大神の命に耳を傾けないほど。
大神もまた、『義憤の神』が特別だったのだ。
『女神回収』のプログラムという、新たな命を下すほど。
かつて──『生と死の神』が結婚するまでは──大神の神殿の外に出る者の中で、『義憤の神』は唯一大神の姿を知る存在だった。
いつだったか、大神に言われたのだ。
『戦いの神』ではなく、『月の神』が後継者になれ、と。
それが『月の神』には理解不能な言葉だった。──けれど、天界に戻ってきた今なら理解できる。
『戦いの神』は、大神の純粋な一部──息子なのだ、と。
『戦いの神』の使命や『力』は、いわば『破壊と再生』。すなわち、大神に等しいものだ。
皆が慄くよう、大神は『戦いの神』と呼び、孤立させた。結婚をしてからは、神格が格上げされたにも関わらず、『義憤の神』と怒りの象徴と印象づけるかのように呼ばれるようになった。
大神は、『義憤の神』との関係を知られないよう、孤立させたのだ。
大神の意思を感じるからこそ、『月と太陽の神』は欲求に迷う。
意識してしまえば、『義憤の神』が気になって仕方ない。
『義憤の神』は生まれながらの神であるのに、数多くの人生を歩み、記憶している。
存在は大神に最も近く──心情は人間に最も近しい神。きっと、『月と太陽の神』の心のザワザワを共感できるのだ。
なぜなら彼は、下界で『生と死の神』の夫となった者なのだから。
『女神回収は無事にできた』と、『月と太陽の神』は感覚的にわかったが、『義憤の神』の周囲に『愛と美の神』の姿がない。
回収が困難と思われていた『愛と美の神』がどう帰還できたのか、『月と太陽の神』は知らなかった。
『義憤の神』が帰還しているのだから、必ず『愛と美の神』も帰還している──そう思考し、『月と太陽の神』はドキリとした。
感覚として伝わっていたのだ。『愛と美の神』だと。先ほど、大神の神殿で会っていたのだ。
戸惑う。
どういうことか、見ているものを信じられない。感覚との不合を起こす。
『愛と美の神』が、『月と太陽の神』の知る姿ではなかったから。




