★【1】異端児
春の日差しを浴び、真っ白の城壁がまばゆいほど輝いている。太陽に照らされた、いくつもの半球体の屋根は臙脂色。世界屈指の規模を誇る城は、来る者を拒むように高い塀でほとんどを覆われている。
兵が守る正門をくぐった先には見渡せるほど石畳が敷き詰められ、その両脇には手入れの行き届いた芝生が広がっている。城の遠くを眺めれば、悠然と木々や山々が臨める。
どこからか漂ってくる花の香りは、風に乗ってくるのだろう。まるで、この世界に君臨している城の品を引き立てるかのよう。
石畳の先にあるのは、大きさに圧倒されそうな最高位の城、鴻嫗城。
城内は天井や窓から差し込む光が多く、初見では室内と認識しにくいほど開放感あふれる。
淡いクリーム色が基調の壁。上部には、繊細な彫刻が刻み込まれている。大理石の床には赤紫の絨毯。その絨毯は永遠に続いていそうな感覚に陥りそうになる──が。
「なぜ一向に捜そうとしないのだ、沙稀!」
唐突に響く声。
これは、王の間からだ。
玉座に座る者が憎々しく言葉を発していた。空気を固まらせ、罵倒した相手までも同様にする勢いで。
『沙稀』と呼ばれた男は、細身だった。一部が鎖骨まである前髪と、ゆるく一本に束ねるリラの長い髪が印象的だ。
束ねているのは、軽い筒状の金属。その先から出る毛髪は、腰に届く。
前髪は短くとも頬骨にあたるが、視界はさほど妨げられていない。美しい顔立ちが見て取れる。
いや、整いすぎた顔立ちは、まるで蝋人形かのようだ。
尚且つ、その肢体は軽装備の甲冑の上からでも筋肉質だと見て取れる。リラのやわらかい毛色とは、何とも不釣り合いだ。
薄い唇はゆっくりと開く。
「なぜ……そうですね」
本来、玉座に座る者の前にいる剣士の相応しい姿といえば、ひざまずいている姿だろう。
しかし、この男ときたら、玉座の前にある数段ほどの幅広な階段を挟んで、立ったままだ。それも、玉座に座る相手を、それに相応しくないと言わんばかりの態度で、視線を合わせてすらいない。
返答を面倒だと言うように、沙稀は長い前髪をかき上げる。そして、玉座に座る者を横目で見据えた。
「今更、だからです」
沙稀は嘲笑う。
「よろしいではないですか。この城、鴻嫗城は貴男様の娘である姫君……恭良様がお継ぎになるのですから」
沙稀の態度に、王はため息をついた。そして、怪訝な態度を露わにする。
「貴様は」
王の表情には、憎しみの色が深く刻まれていく。
一方で、沙稀は片手を上げて、いかにも侮辱するように話し始める。
「鴻嫗城は世界の三大陸に君臨する、由緒正しい城です。歴史の重みを示すように、仕来りが幾重にも存在しています。例えば、世界には『貴族は長髪でなければならない』という一律の規定がありますが、それを定めたのも鴻嫗城だと言われています」
「何が言いたい」
「この鴻嫗城は、代々姫が継いできた城です。ですが、現在は貴男様が『国王』として君臨しています。それは、十九歳になられた今でも、恭姫が未婚だからです」
一度、言葉を止めると、沙稀は王をジッと見る。
「ただし、未婚であっても『父』からの王位継承は可能なはずです。条件は、後継者が『姫』であればいいだけ。……本望ですよ、恭姫が鴻嫗城を継ぐのは」
後半、沙稀の表情と口調は一変し、固いものになった。眼光が鋭くなったのは、対する者も同じ。
「度が過ぎてはいないか。私に対する貴様のその態度は」
『憎い』と今にも呪いが込められそうな王の声。だが、それにも沙稀は動じない。
「『私に対して』?」
確認するように言うと、かえって瞳をより鋭くした。そして、怒りの込められた声は発せられる。
「貴男こそ、誰に対しておっしゃっているのか、ご理解いただきたいですね。……俺が、貴男の前で『どうして大人しくしているのか』を、わかっておられるのでしょう?」
空気は凍る。時さえも凍ったかのように、ふたりは数秒間、睨み合っていた。
だが、
「くっ!」
と、視線を外したのは玉座に座る者だ。言葉を返すわけでもなく、ただ悔しさに歯を食いしばった。ギリギリと、今にも耳障りな音が聞こえてきそうなほどに。
沙稀はその態度にスッと顎を上げた。見下すように瞳にとどめ、
「では、失礼させていただきますね。……『王』?」
と、満足そうに笑う。そして、身をひるがえし、王の間を退室しようと歩き始める。
細かい彫刻で半円をいくつも連ねて縁取るクリーム色の壁。気品を引き立たせている、濃い赤紫の絨毯。この、王の間の雰囲気も、城内と変わりはない。
しかし、現在は壁が妙にもろく思えてしまう。ふたりの緊張が頂点に達し、何かのきっかけで一気に崩れてしまいそうだ。
王の間には、足音だけが響く。沙稀の背中を見ていた王は、咄嗟に玉座の下に手を伸ばした。──手にしたのは、猟銃だ。
すばやく猟銃を構え、引き金に指をかける。
だが、引き金は引けなかった。狙えと言わんばかりに扉の前で立ち止り、振り返った姿に震えたのだ。
「俺の命を、今度こそ奪いたいのなら……いつでもどうぞ」
そう言う沙稀は、微笑みを浮かべていた。