表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
392/409

36▶琴瑟相和 2:唯一無二

「本当によかったの? 俺と一緒に暮らし始めて」

 朝のあいさつを互いに交わしたあと、沙稀イサキがポツリと言った。

 沙稀イサキはあれからすべてを捨て、ルイの家へと来ていた。一晩明け、ルイが起きると沙稀イサキはすでにキッチンに立っていたのだ。

 何て贅沢だろうとルイはホレボレし、吸い込まれるように対面に立つ。

沙稀イサキ様こそ、よかったんですか?」

 ルイはのぞき込んで言い、クスリと笑う。

「俺は構わないよ。この先だってずっと独り身だから」

「ふふふ……私もです」

 楽しそうに笑うルイとは対照的に、沙稀イサキの表情は変わらない。

「気になっている人ができたと思っていたのに」

「気になっている人のままですよ。だってその人、既婚者ですもの」

 ルイは変わらずふんわりと言ったのに、場の空気が固まる。けれど、ルイは気づかないふりをして、また『ふふふ』とおもしろおかしそうに笑った。

「世の中たくさんの恋人たちがいるのに、両想いって奇跡なんだな~と思います」

「そうだね」

 ──沙稀イサキ様もなんですけどね。

 口には出せない言葉を心に留め、ルイはやんわりと笑む。

沙稀イサキ様、私をもらってくださいません?」

「自分を大事にしてよ」

「あら、沙稀イサキ様ほど私を大切にしてくださる方は、他にいないと思ったんですけど」

 真顔で返せば、沙稀イサキは苦笑いだ。

「そんな風に言ってくれるのは、ルイちゃんだけだ」

 冗談と流した沙稀イサキは、手際よく朝食をテーブルに並べる。

「ご飯の用意、ありがとうございます」

「今日から無職だからね。このくらいは」

 そうは言っても、沙稀イサキが相当貯金をしていたのは知っている。恭良ユキヅキとの新生活に備えていたものだ。恭良ユキヅキと別れてからも散財せず、抜け殻のようにまるでお金を使わなくなった時期もある。

 沙稀イサキが自身の身なりを整えるのに使う出費も、恭良ユキヅキがいたからこそだったのだろう。

 外見よし、性格よし、その上料理までできて散財もしないとあれば。沙稀イサキを選ぶのは、ルイにとってはまったく妥協ではない。むしろ、もったいないくらいだと思っている。


 ──周囲の女の子たちは、放っておかなかっただろうなぁ。


 どれほどの子たちを泣かせてきたのか。そう思ってみても、その誰ひとりにも、昨日の号泣していた姿は見せたくないと思ってしまう。

 この妙な独占欲は幼なじみという特別枠ゆえか、はたまた『妹』枠に収まってしまったゆえか。どちらにしても、恭良ユキヅキ以外の女子には嫉妬してしまう。

「あの……私が異性と暮らしていると知るだけでも、ずい分安心してくれると思います」

『誰が』と言わずとも、

「ああ、なるほど」

 と、沙稀イサキが応える。どうやら的確に伝わったらしい。

 カモフラージュだとごまかしても、沙稀イサキはまったく不快な態度は示さなかった。かえって、気が楽だと言われたような気がする。


 ──もし、私が沙稀イサキ様を好きだったら、モヤッとするのかしら?

 以前、無自覚で気移りしていただけに、己と向き合う。自問自答をし確認するが、まったくモヤモヤした気持ちはない。

 やはり、沙稀イサキに対する感情は恋愛とは別の、特別な感情らしい。

 ルイ沙稀イサキへの気持ちを整理していると、沙稀イサキが席に着く。そうして、ルイに着席を求め、食べ始めに釘を刺された。

「でも結婚は別。それはやっぱり……好きな相手としてほしいな」

 ──自分は一生しないと宣言しているみたい。

 スッパリ線を引かれたようでおもしろくない。それに、一ミリも女性と見られていないと伝わってきたのも、おもしろくない。

「だから、ルイちゃんの好きな相手が未婚のときは、俺すぐに出ていくからね」

 こんなことを、やんわりとした口調で沙稀イサキは言う。


 ──ああ、沙稀イサキ様が『女性』と見るのは、唯一無二なんだなぁ……。


 どれだけ傷付いても、想い人は変わらない。恐らく永遠に。

 それは忒畝トクセにも通ずるもので、ルイの心はズキリと痛む。

「そういう人が、現れてくれるといいのですけど……」

「現れるよ、きっと」

 どの口が言うのかと思いながらも、沙稀イサキは単に励ましてくれているだけだと思い直す。

 近頃、心が歪んでしまって仕方ない。──ただ、沙稀イサキの無垢な笑顔を見ると、心が浄化される気がする。

 ──今日も一日頑張ろう。

 この思いも恋ではないのかと自問自答をして、ルイは職場へ行く準備を始める。




 心おだやかに職場に着き、仕事を開始する。

 今日は特別な日だった気がする。瑠既リュウキと出会うのが気まずくて、ルイは卒業と同時に実家を出て一人暮らしを始めた。何年もひとりの日々だったせいか、沙稀イサキが家にいてくれるだけで心がずい分潤った気がする。

 いつもよりも気分よく、手早く準備が進められ、それもまた気持ちがいい。うっかり鼻歌まで歌いそうになる。

 足音が聞こえ、ルイはうっかりしなくてよかったと心底思った。忒畝トクセが来たのだ。

「準備ありがとう」

 何気ない一言なのに、とてつもなくうれしい。今日は、何ていい日なのか。

「他に必要な物はありませんか?」

「きちんと整っているよ。ありがとう」

『いつも助かるよ』と、続いた何気ない一言が、胸をつかむ。こういう一言があるから、心が忒畝トクセから離れられない。

 ああ、何て移り気の多い女なんだろう──己で思ってしまうのだから、どうしようもない。

 負の感情を奥底に押し込めて、ルイは懸命に微笑む。

「よかったです」

 こういう形でもそばにいられて──とは、口が裂けても言えない。


 ルイは進路を決められないまま学生生活の最後の年を迎えた。それを気づいたときには、これまで目標がなかったと青ざめる。当時のルイは、学ぶことしか己には残ってないと絶望したものだ。

 だが、発想の転換で。ルイは学業に全力を注いだ。

 結果、メキメキと順位が上がり、幸か不幸か忒畝トクセの目に留まって声をかけられた。

「卒業したら、薬学部にきませんか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ