32■宮 9:死中求活1
後悔を、重ね続ける。
瑠既は何度も何度も『IF』を繰り返す。
──どこからだ? 一体、どこからなら……。
懸命に記憶を辿り『IF』を探す。
それでも、時は遡れない。
『IF』を見つけられたところで、戻れはしないのだ。
そんなことにも瑠既は気づけないまま、時が無情に流れていく。
恭良が十六歳になる年、結婚すると突然聞いた。
なぜか瑠既の心はズキリと痛んだが、グッと耐える。
恭良は何かを言いたげに瑠既を見たが、口を開かずスッと姿を消した。
翌日、瑠既は沙稀のもとへと向かう。
沙稀は引っ越しも、職を変えてもいなかった。それが瑠既にはとても不安なようで、安心でもあった。
訪ねれば、すんなりとドアが開く。顔を合わせた瞬間、沙稀の表情に微妙な変化があった。──誰と期待したか、嫌でも伝わるもので。けれど、瑠既はその感情を流すように捨てた。
「久しぶり」
他愛のない言葉をかけられたのに、落胆が伝わってくる。これでも沙稀は、感情を隠しているつもりだろう。
『どうぞ』と部屋に招いてくれた沙稀に付いていき、室内に入る。背後はしっかりとして見えるのに、
「どうしたの」
と用事を聞かれても、生気がまるっきり感じられない。
「ん……まぁ……」
室内で目に付いてしまったのは、以前見た流行り物。
──まだ……手放せないのか。
まさか子犬のインテリアにはしていないだろうと思えば、未だ立ち直れていないと容易にわかる。瑠既が心配しているように、まだ想い人は変わらないのだろう。もしかしたら、まだ戻ってくるのを待っているのかもしれない。
そんな不安が過れば『元気か』とは、到底言えなくなる。
「会いたかったんだよ、俺が」
茶化さず言えば沙稀はフッと笑い、
「やめろ、気色悪い」
と冗談交じりに言った。
気の沈んだ様子はあるものの、しばらく世間話をすれば沙稀の表情が明るくなった。そこで、瑠既は本題に入る。
「結婚、すんだとさ」
『誰が』とあえて名を出さずに言ったのに、沙稀は固唾を呑んだ。あからさまに表情が曇り、出迎えられた当初に戻ってしまった。
「そう」
「来るか?」
驚いたような瞳は一度だけ瑠既を見、我に返ったかのように反対へと逃げていく。
数秒間で沙稀は色んなことを考えただろう。嘘だと思っただろうし、瑠既がそんな嘘は言わないとも。
恭良が挙式をすると告げた以上に、出席を促すのは酷だ。しかし、結婚式に顔を出さなければ、相手の親族などは違和感しかないはず。
瑠既は、どちらと言うつもりはない。これは、沙稀が決めることだ。すぐに決められることではないかもしれない。だから、急かさずギリギリまででも待とうと瑠既は思っていたが──。
「行く」
沙稀はきっぱりと答えた。世間体を考えたのか、吹っ切るためか──瑠既の方が複雑な気持ちになってしまう。
「そっか」
きっぱりと答えた割には、沙稀は沈んだ顔をしていて。見ている方が辛い。思わず、瑠既は言う。
「でも、ほら。花嫁を連れ去るってのはナシな」
「しないよ」
瑠既が冗談を言えば、沙稀は嘲笑する。
その笑顔は寂しげなものだったが、瑠既には微かな希望に思えた。
恭良の誕生日の二ヶ月ほど前に、挙式は決まった。
その月の花嫁は幸せになれると噂があるとかないとか。
正装をした瑠既はジャケットを脱ぎ、沙稀を待っていた。本当に来るかといささか不安だったが、瑠既の心配をよそに沙稀は姿を現す。
瑠既でも見惚れそうになった。女子が見たら誰もが恋に落ちるのではないか──そう瑠既が思うほどの姿だ。
「シングル?」
「ダブル」
一見して同じベストかと瑠既は聞いたが、沙稀は即答で否定した。誰かに選んでもらったのかと瑠既は続けたが、沙稀は答えなかった。
もしかしたら、誄に選んでもらったのかもしれない。
「恋人?」
探りを入れると沙稀は否定し、
「『親友』……と、近頃は言われる」
と返ってくる。これは、沙稀の言葉ではない。だからこそ、瑠既は深掘りをする。
「沙稀はどう思ってんの?」
沙稀は横目で瑠既をチラリと見ると、
「妹……って、こういう感覚なんだろうと思っているよ」
と言った。
どうやら、瑠既の勘は当たったらしい。
沙稀は知っているのだろう。瑠既が誄を振ったことを。
「瑠既は恋人に選んでもらったの?」
ドキリとした。
倭穏は恭良と同い年。あと三ヶ月で十六歳になる。──それを、なぜだか沙稀に知られたくないと思ってしまった。
「一緒に選びたいと言ったから、買い物には付き合わせたけど……」
『あと何年か経ってそれから考える』と言ってから三年が経った。いつまでも保留にしておくわけにはいかないと気づく。
「へぇ……。相手の方は、好きなんだろうね」
無意識で目を見開いてしまったり、息を吸ってしまったり──そういう些細な体の反応は、意識して止められるものではない。
だから沙稀に見通されただろう。もしかしたら、頬の色が変わっているのかもしれない。
「自覚があるなら、はっきりしなよ。振り回させる方は迷惑だ」
グサリと刺さる。年齢を盾にして、先延ばしにしてきたと実感しただけに。
「沙稀は? 誄ちゃんのこと……先延ばしにしてねぇの?」
自己防衛で責める言葉が出てしまった。
瑠既は大真面目に言ったのに、なぜか沙稀は笑い出す。
「何だ、そっちの自覚もないのか」
「何が?」
「誄ちゃんは瑠既のこと、今でも好きだよ」
『だから』と、ジャケットの下に着たベストをつかむ。
「これ、瑠既を意識した選び方だと気づかない?」
混乱で言葉が出なくなる。
沙稀は恭良と別れてから、恭良には会っていない。
誄も瑠既に振られてからは、瑠既と会っていない。
双方は、まだ想い人が変わらないというわけだ。
沙稀は瑠既の代役と承知の上で、誄を慰め、癒やすように同じ時間を過ごしているのか。もしかしたら、そうすることで沙稀は、自身を維持できているのかもしれない。
そう解釈すれば危うい関係にも感じる。
だが、双方の気持ちは同じ方を向かない。だからこそ『親友』であり、『恋人』には決してならない──と、言われた気がした。
もし、誄を沙稀が想い迫ったら、誄は傾くかもしれない。
けれど、この場に来た沙稀の心情を考えれば、口には出せなくなる。
それに、沙稀は責めているのだ。誄が瑠既を想っていると知っていたのに、早く答えを出さなかったことを。こればかりは、しっかりと瑠既が受け止めなくてはいけない。
ふと、先ほど『同じことは繰り返すな』と、忠告されたのだと気づく。
「俺にはある程度、主張してくれる子の方が合っているのかもしれないな」
観念するしかない。挙式が終わったら、倭穏に言いに行こうと腹を括る。もう年齢を言い訳にしていられなくなった。
「いささか予想外だな」
「そうか? 沙稀も多少振り回される方じゃないかと思うんだけど」
「まさか今、俺たちの好みが似ていると言ったか?」
「違うか?」
「ああ、まったく違う」
沙稀がやっと笑い、瑠既は安堵する。
──今日一日が、無事に終わるだろう。
安易だった。
瑠既は知らなかったのだ。──最期の決断を。
今以上に後悔する日がくることを。
『IF』なんて、たぐり寄せられないことを。
そう、気づいたときには遅く──修復できなくなったと気づいたのは、挙式が終わってからだ。
談笑をして安堵した瑠既は、定刻前に沙稀と挙式の場へと向かう。
すでに両親がいて──両親と沙稀が会ったのは、久しぶりだった。恐らく、沙稀が父に殴られ頬を腫らした日以来だ。




