31ll焦がれる
沙稀からメッセージが届いても、恭良は返さない。
送り返さなければ、いつかは途絶える。
沙稀が家に来ることはない。
──送信しない方がいい。
どんなに返事をしたいと思っても、送信してしまえば希望を持たせてしまう。
そう思うのは、恭良が逆の立場ならそう思ってしまうからだ。
けれど、恭良と沙稀は違う。案外、恭良が一言送れば、沙稀はすんなり諦めるかもしれない。
そんな想像して、うっかりメッセージを送ってしまいそうになるから、辟易してしまう。
ポメを部屋に残して廊下に出ると、長兄と出くわした。
「お兄様」
息を呑む。正直、長兄は苦手だ。
長兄に何かをした記憶はない。けれど、物心ついたころから毛嫌いされていた。ただ、苦手な理由はそれだけではない。
嫌なのだ、恭良も。長兄の視線が、どうも昔から苦手で──別の誰かの意識が流れ込んでくる。知らない記憶が混ざってくる。
沙稀が帰っていった日は特にひどかった。誰かが乗り移ったかのように、ベラベラと口が動いた。
敵に襲われないよう虚勢を張る──くらいしか、恭良はできない。年齢差もある。男女の差もある。どうしたって負けが確定している相手だ。強がって弱さを見せないようにするしかできない。
なのに、グラグラと視界が波打った。だから、精々立っていられるようにしていた──だけだったのに。
遠くで、会話を聞いていたようだった。
『沙稀に『何が幸せか』を聞いて?』
自室に戻ってから、己の口から出た言葉がグッサリと胸に刺さった。もし、長兄に相談できたなら──沙稀と、兄妹としてでも、話せる仲に戻れたかもしれない。
──甘え……だなぁ……。
つくづく都合がいいと嫌になる。それに、また話せる仲に戻れたとしても──残る特別な感情は消せないだろう。
沙稀が恭良に向ける感情も、決して消えてほしくない──と、願うだろう。
全部、己に都合のいいように、結局は考えている。
──私は、心の中に嫌なものが棲んでいるんだな……。
何かを恭良は受け止める。
きっと、何かに気づいているのが、目の前の人物なのだ。
瑠既はまだ、恭良が別れたと知らないだろう。──だから、
「私、もういらないから」
と、精一杯演じる。こうしておけば、瑠既が沙稀に会ったときに食い違いが起きにくいはずだ。
不機嫌を装ってすれ違い、階段を足早に降りる。これでよかったのだ。相談できる間柄ではなくて、よかったのだ。
よかったと思っているのに、ふしぎと視界が滲んできた。
──何日経っても、会いたくてしかたない。
家族といれば、無理をしていられる。寂しさを紛らわせて、忘れたふりをできる。
──沙稀は今、どうしているんだろう。
誰かと一緒にいるのか。気を晴らせているか。──食事は、しているのか。
無性に会いたくなる。考えずにいるなんて、不可能だ。
そういえば、恭良を忘れるために告白された人と付き合ったと、沙稀から聞いた。
あれは、『元彼女』の話になったときだったが──真似してみるのも悪くないと、過去に告白された記憶を思い出す。
誰だったか、いつだったか──恭良は思い返そうとする。しかし、興味がなかったからか、顔も名も、いつだったかもわからない。
もし、告白された人を思い出せたら──今度、告白されたら。付き合ってみて、悪い人でなければ結婚してしまおうか。短絡的かもしれないが、沙稀と離れるにはそのくらいしなければ無理な気がする。
恭良が結婚すれば、沙稀もポメを解約し、メッセージが届かなくなるかもしれない。沙稀には、きっとその方がいい。
ポメを回収には来ないだろう。沙稀はポメを捨てるかもしれない。
恭良は、一生の宝物として思い出にするだろう。そのくらい、許してほしい──なんて想像をして、名案だと自画自賛する。
呆然と生きていたような時間をしばらく過ごしていたが、目的ができると生き生きするもので。恭良は記憶を懸命に思い出し、学校の男子と照合する日々を過ごす。
すると、幸か不幸か、数日間のうちに三人の男子から告白された。
恭良は、前に告白された男子がいるのかがわからなかった。選べず、一先ず三人とも保留にする。
そうして、何日か経ち、再びいい案が浮かぶ。恭良はその方法で相手を選ぶことにした。
「お母様、私、結婚する」
学校に行く前に言うと、母は驚いたようだった。
沙稀との一件があってから、そんなに時間が経っていない。驚いて当然だと恭良も思っている。だが、家族の皆が幸せになるには、一番いい方法だと恭良は信じている。
「好きだって言ってくれる人がいるの。だから、結婚する? って聞いてみようと思って」
皆が幸せになるならうれしいとにこにこ話したのに、
「それでいいの?」
と、母は心配そうに恭良に言ってきた。
今度は恭良が驚いて、ポカンとする。
「駄目?」
首が傾く。
母の表情が先ほどより曇った気がした。
「恭良がいいなら、いいのよ」
行ってきますと、恭良は家を出た。トボトボ歩きながら、母の言葉が再生される。
『恭良がいいなら、いいのよ』
いいわけないと返しそうになった。
沙稀が好きだと、ずっと一緒にいたいと言いそうになった。
でも、グッと呑み込んだ。
何よりも望むのは、沙稀の幸せだから。
恭良が覚えている以上にきっと、沙稀は何度も何度も『家族』を維持しようとしてきた。
沙稀のやさしい口調は、言葉は、深い愛情のひとつひとつだったのに、そのことに当時は気づけなかった。
気づいた今は、溺れそうなほど苦しい。
子どもだったから気づけなかった。言い訳かもしれないが、沙稀はそれも考慮して何度も何度も、恭良が理解するよう──いや、理解できないと考慮して、何度も何度も言いたくない言葉を言ってきたのだろう。
誰でもない、恭良のために。
我が儘を言い続けた。甘え続けた。沙稀が大好きで、やさしかったから。
苦しめていると知らずに。困っていると、沙稀のことを思いやることができずに。叶わない寂しさを、ぶつけ続けてきていただけだった。
──だから、今度は。
どんなに辛く悲しくても、恭良は本心をしまい込むと決断する。
恭良が願いを叶えるための行動をすれば、沙稀はまた、皆と『家族』に戻れるかもしれない。
沙稀への想いはもう微塵もないと──家族皆を偽れれば。




