表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
379/409

23■宮 4:大間違い

 瑠既リュウキは停滞していた。

 沙稀イサキが二年も先に卒業をして、己も最終学年になったというのに。未だ進路を見出せずにいる。


 瑠既リュウキが立ち止まったままでも、時間は刻々と流れ──同じような日が過ぎていくだけのような感覚に陥っていた。


 そんなある日のこと。

瑠既リュウキ先輩!」

 研究授業が終わり、帰ろうと靴を履き替えた直後だ。

「好きです!」

瑠既リュウキ先輩』と呼び止められただけでも驚いたのに、瑠既リュウキにとっては寝耳に水だった。

「あ……わ、私、瑠既リュウキ先輩と同じ研究授業で……」

「知ってる」

 確かに知っている。世の規則を知らず、影ながら瑠既リュウキを名で呼ぶ後輩がいるのは耳に入っていた。

 ただ、面と向かって呼ばれたことはない。だから、勝手に言っているだけだと瑠既リュウキは放っておいたのだ。

 その呼び名で、まさか呼び止められる日がくるとは思っていなかった。それに、唐突に感情をぶつけられるとも。

「あの……わ、倭穏ワシズと、いいます……」

「うん、知ってる」

 あまりにも倭穏ワシズがワタワタとしているものだから、瑠既リュウキは知っているか否かしか返答をできなかった。

 黒い髪をひとつに丸めているのに、毛先まで丸めず長く垂らしている。そんな独特な髪型なら印象深く、瑠既リュウキは一目見て覚えていたのだ。

 活発で明るい女の子──と言えばいい表現で、のびのびしていると言っても言い表現で。はっきり言えば、自由奔放でお転婆な印象がある。

 瑠既リュウキよりもずい分とちいさくて、いくつなのかと椄箕ツグミに聞いてみたら、妹と同い年だった。

 だから自由に呼ばせておいた──というのは理由にならないと瑠既リュウキ自身も思うのに、他の理由が思いつかない。

「か、彼女さんが、いるのは……知っています。でも、どうしても伝えたくて……」

 黒くて大きな瞳が瑠既リュウキを見上げ──沈んでいった。

 今年、瑠既リュウキは卒業する。最後の年だ。だから、『どうしても』伝えたかったという意味だろう。

 そう噛み砕いてみても、瑠既リュウキにはどこか腑に落ちなかった。

「ありがと」

 スッと出た言葉に、パッと倭穏ワシズの顔が明るくなる。

 満面の笑みを浮かべた倭穏ワシズは、

「じゃあ、瑠既リュウキ先輩。卒業まで『瑠既リュウキ先輩』って呼ばせてください!」

『そんなことなら』と、言おうとした。

 だが、声にならなかった。

 それなのに、倭穏ワシズは一方的に喜んで、はしゃいだ様子で──瑠既リュウキの前から姿を消した。


 倭穏ワシズが姿を消したあと、どうしてだか涙がじんわりと浮かんできた。


 誰かを好きでいる、好きだと伝えることは、あんなにも浮かれてしまうことだったのだ。


 胸が痛んだ。

 はっきりと気持ちを自覚した。


 ──俺は、ルイちゃんのことを……。

 好きではない。そう、くっきりと浮かび上がってしまった。


 知ってしまったら、これまでどんなにひどいことをしていたのかと痛みが増してくる。

 何をしたわけでもない。

 昔からの付き合いで、手を握ったことはある。ただ、それは沙稀イサキだって一緒だ。

 家の前でルイが待っていたから、一緒に通っていただけのことで。沙稀イサキが早く家を出るようになってからも、それを瑠既リュウキルイも知らなかっただけで。ふたりしかいなかったから、ふたりで行くようになっただけだ。

 それが、ずっと変わらなかっただけだった。

 瑠既リュウキにとってはそうなのに、ルイにとっては──同じではないと、感じたことがないと言い切れるかと言えば嘘になる。

 幼なじみの関係が壊れるのを恐れて言わなかったわけではない。ただ、ルイはどうだっただろう。


 そんなこと、考えるまでもない。


 好きだと言われなかった。だから、あえて探らなかった。

 でも、瑠既リュウキルイを好きだったなら──とっくに踏み込んでいたはずだ。


 好意を持ちながら伝えてこないのだから、気づかない方がいいのだろうとふんでいた。


 大間違いだ。


 はっきりとしない態度をとり続けていただけだ。

 好きでもないのに踏み入れば、気がないと伝えれば、関係を壊すと明確で。『幼なじみ』でいたいと選んだのだ。己のことしか考えずに。


 都合のいいようにしてきただけだと痛感する。

 彼女がいると公にされていれば、余計な悩みがなくていい。遠巻きにされる方がどれだけ楽か。

 多分な気を遣わずに済む。その楽さを取ったにすぎない。


 たったひとりを深く傷付ける事実からは目を背けて──。


 ──誰かに好かれるような人間じゃない。

 嫌なところほど知っているから、瑠既リュウキは自身をそう思う。


 付けが回ってきた。ようやく目を向けたのだから、精算をしなくてはいけない。


 ザワザワと胸が騒ぐ。

 倭穏ワシズを放っておいたのは、あの陽気さを見ていたいと心の片隅で感じていたからだ。──そんな思いにも、瑠既リュウキは目を背けていた。

 これが異性を想うものなのかはわからない。ただ、特別なもののような気がしている。


 言わなくてはいけない。ルイに。

 向き合わなくてはいけない。これからは。


 ──何て言い出そうか。

 気になる人ができたと言えば、ルイの気持ちに応えられないと伝えられるだろうか。

 この想いが好意になる前にルイに告げられれば、まだ不誠実にはならないだろうか。

 どう行動しようがルイを傷付けない選択肢はない。今更、傷付けたくなかったなんて言い訳するつもりはない。利用していたのは事実だ。


 ──嫌われちまうかな。

 過ごしてきた時間が長い分、瑠既リュウキには親友のような感覚がある。けれど、それは瑠既リュウキの一方的なものだと理解はしている。

 相手の恋心を踏みにじっておいて、親友でいてほしいとは言えない。


 これまで散々居心地をよくしてもらっていたのは、ルイ瑠既リュウキへの恋心があったからだ。


 沙稀イサキが家を出て卒業をして、ルイまで離れていくのは瑠既リュウキには辛い。だが、瑠既リュウキより辛い想いをするのは、ルイなのだ。

 それが嫌なら、今のまま引き止め──いや、ルイを恋愛感情で見ることはないと、もう答えは出てしまった。


 ──俺の勘違いならいいのに。

 それも都合がいいと瑠既リュウキは苦笑いする。


 明日の朝になれば、またルイは家の前で待っているだろう。ただ、朝行くときに泣かせるわけにはいかない。そのくらいの気は遣うべきだ。


 ──帰りに寄るしかないか。

 まさか部屋に上がるわけにも、部屋に誘うわけにもいかないと場所に頭を悩ませる。


 ふと、頭を過ったのは付属学校の電話。緊急用にいくつかの電話が校内には設置されている。

 浮かぶのはルイの自宅の電話番号。幼少期から何度もかけたことがあれば、覚えようとしていなくても覚えている。


 泣かせてしまうなら、外より自宅の方がいい──そんな思いが後押しして、瑠既リュウキは校内の電話へと向かう。なるべく人が立ち寄らなさそうな、噂にならずルイを傷付けないような場所へと。


 ──泣き顔を見たら、抱き締めちまうだろうな。

 電話という手段が最善とはいえないが、抱き締めるのを防げる方がいいだろう。


 人気を遠ざかりながら歩けば、ルイの笑顔がどんどん浮かんでくる。最近の控えめな笑みから、幼少期の無邪気な笑顔まで年代まばらにいくつも、いくつも。

 泣き顔を思い浮かべられないほど、ルイは昔からよく笑っている子だった。怒った顔や不満な顔も。見たことがないかのように思い出せない。

 いつでも見てきた眩しい笑顔に、心が痛くなる。

 入学試験の緊張も、合否発表の不安も、妹への不満も、進級する度に抱えるストレスも、瑠既リュウキは隠しながらも抱えていた。ひた隠しにしたつもりでも、ルイは察し、どんなときだって輝かしい笑顔で吹き飛ばしてくれた。

 瑠既リュウキは幼いころから人見知りで、引っ込み思案で、臆病者で──沙稀イサキがいないときでもルイがいつもいてくれたからこそ、虚勢を張ってこられた。

 心許ないときはルイが手を握って、時には引っ張ってもくれた。男らしくありたいと強くもなれたし、守りたいと行動もできた。

 それらは家族を想う気持ちと類似していて、決して恋心には変わらなかったけれど。ルイを失うと思えば、心に穴が空くほど寂しい。ただ、もう、甘えてばかりもいられない。──そんな年齢だ。


 電話を目前にして、体が強ばる。受話器を持とうとする手が、震えた。

 恐怖だ。ルイを失う。

 重圧だ。ルイを傷付ける。


 ──覚悟しろ。これ以上、ルイちゃんを……大事な人を傷付けないために。


 おもむろに受話器を持ち上げ、瑠既リュウキは番号を押していく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ