22▶兄 2:惨敗
やはり、羅凍は沙稀と仲がいいらしい。──それなのに、羅凍に言わず、どうして飛び級をしたのか。
そういえば、寮生活をしていると沙稀は言っていた。何か、早くに卒業したい理由を抱えているのだろうか。
ふと、浮かんだのは、ひとりの女子。
羅凍の友達の──いや、羅凍の彼女の友達と言った方が正しいかも知れない。
以前、クラスの前に羅凍たちが来ていて、声をかけたことがある。
羅凍のとなりには、大事に大事にしている彼女がいた。そのとなりに、もうひとり女子がいて、捷羅の目を惹いた。
クロッカスの髪の毛と瞳に囚われ、城院──『宮』、『院』が付く名としては最多の苗字で、鴻嫗城の縁ある者の苗字と聞く──だと、羅凍が去年言っていたのを思い出す。
羅凍と並んでもくすまないほどの美男子がいたにも関わらず、捷羅は気を回せなかった。
城院と認識した女子が楽しそうに話している姿を見て、ふいに声をかけてしまう。
「羅凍と仲がいいんですね」
捷羅が割り込むと、『城院』は目を丸くして否定する。
「いいえ、私は哀萩ちゃんと……」
「いいじゃない、羅凍とも仲がいいってことで」
「嫌よ」
かわいい唇がムッと尖る。何てかわいらしい仕草だと捷羅が見とれていると、
「哀萩ちゃんに誤解されたくない」
そう言って、『城院』は哀萩にピタリとくっついた。──そこで捷羅は勘づく。
本当は、沙稀に誤解されたくないのだと。
「凪裟、女子同士だからって哀萩にあんまりくっつかないで」
女子でも妬く羅凍に捷羅は笑い、それとなく『この用を済ましに来た』と言わんばかりに無難な物を羅凍に渡してクラスに入った。
あのとき、沙稀は何も言わなかったが、もしかしたら沙稀の彼女なのかもしれない──と、捷羅は仮説を立てている。
羅凍を見ていて、好きな人がいれば頑張れるのかもしれないと思うようになっていた。
これまで捷羅は何人かに告白され、付き合ったことはある。けれど、羅凍を見ていると『あれは恋だったのか』とわからなくなる。少なくとも、羅凍が哀萩に向けているようなものではなかった気がしてしまう。
沙稀も羅凍と同じような恋愛をしているとは限らないが、可能性はあるかもしれない。
チクリ、と心が痛んだ。この痛みの理由を、捷羅は理解している。
凪裟を好きなのだ。羅凍たちがクラスに来る度に、凪裟を探すのをやめられない。
──手を伸ばしてはいけない。
捷羅はその度、呪文のように繰り返している。
卒業をしたら、寺院の継承に入る。宗教は争いの基になる場合が多々ある。だから、意中の人がもし捷羅の家と別のものを信仰していたら、絶対に相容れない。
そういう波風を立てたくないと心の奥底では思い、深入りするような恋愛はしてこなかったのかもしれない──が、今回の感情は、思いの外聞き分けが悪い。
数百年前だったら、それこそ諦めがついただろう。最高位の血筋を示す色彩を持つ人だから。
時間が経過すれば、捷羅は凪裟への想いを消せると思っていた。
けれど、度々訪れる機会に、目を向けずにはいられず──月日は過ぎた。
卒業日、捷羅は決意をする。いっそ潔く玉砕しようと、意中の彼女に会いに行った──のに。
『羅凍の兄』と顔を売る癖が功を奏したのか、凪裟は会うなり『沙稀に振られた』と、言ってきた。
「そもそも気がないって……思ってはいたんですけど……」
凪裟がそんなことまで言うから、捷羅は勝手な思い込みだったと吐露する。
「付き合っていると……思っていました」
根底が崩れ、捷羅は動揺する。振られるための告白をしにきた。だから、可能性がわずかでも生じてためらう。
だが、言わなければ諦められなくなったからこそ来たわけで。了承してもらえたら、願ったり叶ったり──とまで思うのは、傲慢すぎないだろうか。
ただ──凪裟は知っているはずだ。捷羅の生家の事情を。羅凍と友人関係なのだから。
もし、凪裟が何かを信仰したなら、友人関係でも多少の支障が出る場合がある。羅凍の性格からして、家で言うだろう。
羅凍だって、その辺りの事情は理解している。
ドキリドキリと鼓動が捷羅を急かした。
「あ、あの……」
下を向いていたクロッカスの瞳が、捷羅を捉える。
「俺じゃ……駄目、ですか?」
大きなクロッカス瞳が、更に丸くなった。
スッと息の吸われた音につい反応し、捷羅は冷静さを失う。
「返事は、また今度で構わないので」
いつ会うわけでもないのに、捷羅はそう告げる。返事を聞かず、一目散に帰路へ向かった。
パタパタと走り、家の近くで足をゆるめる。ハアとため息を吐き、右手側の公園を呆然と眺めた。沸き上がるのは、返事を聞かなかった後悔。どうして、きちんと聞いて気持ちを砕けなかったのか。
「あれ?」
ふと聞こえた声に反応し、捷羅は顔を向ける。──それは、意外な人物だった。付属学校の有名人で、三本指に入るくらいの人物だ。
親しみやすいと有名な方の、鴻嫗城の末裔──鴻之宮。双子の弟の沙稀と『どっち』と選べず、『三本指に入るくらい』と数えてしまう人物のもう片方だ。
もちろん、『どっち』も三本指に入るのだろう。だからといって、羅凍がこぼれるわけでもない。
そう、『鴻之宮』は『鴻之宮』として、有名な人物と数えられているのかもしれない。双子だから、尚更そうなのだろう。
「ちょっと話聞かせてよ」
沙稀の双子の兄とはいえ、現状では二学年下の人物だ。しかし、立場を考慮すれば、これだけ言葉が親しげでもおかしくないのだろう。
「同じクラスなんだろ……沙稀と」
複雑な思いを抱えているように見えたのは、そういう事情なのだろうかと捷羅は捉えた。
沙稀は想い人を振ったと知った矢先だ。そんな直後にいいことを羅列できるほど、いい人間ではないと捷羅は内心毒づく。
けれど、
「彼は……」
と話してみれば、頭をひねらなければいけないほどではなく。想像以上にペラペラと口が動いた。
──ああ、惨敗か。
何とも言いがたいが、叩きのめされた気分だ。
訪ね人を再度見てみれば、表情は晴れておらず──だが、捷羅は深入りするのをやめた。
「色々と事情があるんでしょうけど……そんなに『双子の弟はいいヤツだ』と聞きたい気分だったんですか?」
訪ね人が目を丸くする。息を呑んだのも無自覚そうだ。
捷羅はおかしくなって笑いをこらえられなかった。
「失礼」
恐らく本人は気づいていないと、捷羅はおかしくて仕方ない。
公にチヤホヤされていないから自覚がないのだろう。周囲がそうしないのは、彼女がいるからだというのに。
「俺、そんな顔……してんだ?」
「そうですね」
「どーして敬語なの?」
「あえて言葉にしないといけないですか?」
にこりと笑みを返す。
訪ね人が不満そうに視線を逸らした。
「彼が飛び級をしてきた理由は知りません。俺は、羅凍ほど深い仲ではないので」
あくまでも弟の友人として接していると告げる。
「へぇ……。案外、冷たいんだ」
訪ね人はおかしなことを言った。
「沙稀はたぶん、あんたのことも友人だと思っていると思うよ」
『ありがとな』と手を振り、訪ね人は去っていった。




