19■宮 3:置いてけぼり
相談のひとつくらい、してほしかったと。
『勉強するから』と沙稀が言っていたのは、本当だったのだ。
打ちのめされた気分だ。
ずっと、言い訳だと思っていたから。ずっと、悩んでいたのに。
沙稀ともっともっと話したかっただけだ。沙稀が将来を見据え、目標を見出したのなら、尚更。
悔しいのか悲しいのかもわからないまま、瑠既は涙を耐えた。
瑠既の時間が止まっても、時間は刻々と流れていった。新学期が何週間も経ったころ、
「そういえば、沙稀様……古武道に入ったって?」
研究授業中に椄箕から知らないことを言われる。
噂で双子の弟のことを知るようになるとは──と思ったが、そういう距離感になってしまったのだと思い知った。
「羅凍様もいるっていうんで、今、相当人気らしいぜ」
瑠既も聞いたことがある名に、耳が大きくなる。美男子と噂の寺院の息子かと、見当を付ける。
そういえば沙稀のクラスに行ったとき、輝かしいまでの美男子が対応してくれた。思い出し、悪いヤツではなさそうだと思うも、好きになれないと負の感情に引っ張られる。
──いや、好きになれないというより……この感情は嫉妬か。
恋人といい、友人関係といい、何もかも知らないようになってしまった。モヤモヤが膨らんでくる。
「おい、宮。彼女ちゃん待ってるぞ」
椄箕の声に視界を上げれば、誄が廊下に来ていた。
「ああ」
──ああ、いつから俺、誄ちゃんとそういう間柄に見られていたんだろう。
誄からのキラキラする眼差しを感じ、自然とそういう関係になるのかと思う。──なりゆきに身を任せる、ではないけれど。
自身の気持ちがわからないと言ったら、沙稀は卑怯者と言うかな──なんて、第一に想像するのは、いつも沙稀のことだ。
沙稀のこともわからなくなっているのに、他人のことはもっとわかるはずもない。
誄の表情を見れば、気持ちがあるかもと思う。けれど、自惚れなんじゃないかとも感じる。
瑠既は、後者であればいい──と、願う。
進む道も、やりたいことも、恋も、いつの間にか沙稀に置いてけぼりにされてしまった。
いつからこんなに、沙稀が遠くになってしまったのか。
そんな気持ちを覚えながら、瑠既は一過性の感情だと、気に留めないよう努めた。
「沙稀兄様に勉強を教えてもらいに行く!」
恭良が息巻いていたのは、そんなころだった。母に沙稀の寮を教えてもらっている。
瑠既は無関心を装ったが、耳が大きくなっているのは否めなかった。気づけば自室に行きメモをして──でも、行く勇気は持てなかった。
そういえば、似たようなことがあった。あれは、一昨年のことだ。
「お兄様たちと同じ学校に入る!」
恭良が唐突なことを言い、沙稀は催促されるがままに付きっきりで教えていた。あれは、恭良の入試のギリギリまでほぼ毎日続いていた気がする。
沙稀が『勉強をする』と自室に籠もるようになったのは、それから一年後くらいだ。
それでも、勉強を教えてほしいと恭良が言えば、断らずにトコトン相手をしていた。
よく言えば、沙稀は面倒見がよかったのだ。
沙稀がいなくなってから、恭良が寂しがっているのはヒシヒシと伝わってくる。
恭良が沙稀の寮に行ったのは、数日後の休日だった。昼には恭良の姿がなく、夕飯の前には帰宅した。
沙稀は忙しいながらも、恭良の相手をきちんとしたのだろう。
恭良の機嫌で『沙稀に面倒を見てもらった』とすぐにわかる。
きっと沙稀は、恭良を自宅まで送り届けたのだろう。なのに、顔を出さなかった。
それから数ヶ月経っても、恭良は変わらず沙稀に勉強を教えてもらいに行っているようだった。沙稀と会っただろう日は、とにかく恭良の機嫌がいい。にこにこにこにこしていて、両親が安堵しているのも嫌なほど伝わってくる。
沙稀が元気なのか気になるが、恭良に聞くのは癪で、聞こうと思えなかった。
そんな、ある日のことだ。
恭良が夜になっても帰ってこず。
──まぁ、泊まってもおかしくないか。
と思っていたら。翌日、帰宅してきた恭良はやけに気落ちしていて──珍しく瑠既は声をかける。
「どうした」
すると、見上げた瞳はすぐに落ち、かわいげのない表情が見るに堪えないものに変化していく。
「もう……来ちゃ駄目って……」
「そりゃ、沙稀は忙しいから。あんまり頻繁に来られても、長居をされても迷惑なんだろうよ」
泣きそうな妹に向かって嫌み半分を言ったが、大人げなかったと瑠既は反省する。
恭良が、堰を切ったかのように泣き出して。
「どうしたの!」
娘のただならぬ泣き声に、よりにもよって母が駆け付けてきた。正直、めちゃくちゃ面倒臭い。
「沙稀が泣かすようなこと言ったんだ。でも、ごもっともだと俺は思うよ」
その場を母に押し付けるように言い残す。
心がくすぶった。
恭良をかわいがっていた沙稀が、自分都合で『もう来るな』と言うとは、思えない。
──新しい彼女ができたかな。
そう思ってみても、くすぶりは消えない。
沙稀なら、彼女が部屋にいても恭良に『来るな』とは言わないだろう。
──どうも腑に落ちない。
妙に苛々する。
けれど、その原因は、沙稀にかわいがられている恭良のせいにすることにした。
そもそも瑠既には、沙稀が恭良をかわいがっていること自体が快くないのだ。
その後、恭良はしばらくして、懲りずにまた沙稀に教えを乞いに行っていたようだ。
夕飯時に上機嫌な恭良を見ては、瑠既は呆れる日々を過ごす。
そうして、一年が終わろうとしていたとき、
「沙稀兄様、誕生日も帰ってこられないかもって……」
と、珍しく瑠既に恭良が愚痴をこぼした。
瑠既は、沙稀が勉強に集中しているからだろうと解釈した。
何しろ、飛び級をして家まで出た沙稀だ。進路も決めていると言っていたから、頑なな決意があるに違いない。
それに、新しい彼女がいて、仲良くしているのかもしれない。そうであるなら、彼女と誕生日を過ごしてもふしぎでもない。
瑠既には沙稀の本心なんて一ミリも見えていなかったと後悔するのは、もう少し先のこと──。
沙稀は、家族の行事にまったく参加しなくなっていたと瑠既が気づくのも、もう少しあとのことだ。
翌年、沙稀は自身と瑠既の誕生日だけではなく、恭良の誕生日もすっぽかした。
恭良は、別の日に沙稀と何やら話したようだったが満足のいくほど構えてもらえなかったのだろう。口を一文字にしていた日が多かった気がする。
ただ、沙稀がすっぽかしたのは、誕生日だけではなかった。
盆も正月も、何もかもだ。
そうして、瑠既はまた新学期を迎える。
去年の今頃に予感していたことを、事実として知る。
沙稀は飛び級をして、二学年の差になった。
沙稀は、最終学年になったのだ。




