18◀宮 2:積み重ね
折角のチャンスを逃したように気落ちする瑠既に、予想外の言葉が投げかけられる。
「付き合っていた。……昨日まで」
「は? 別れてあんな親しげに声かけてくるもんか?」
「さぁ……。お互いに、お互いのことを深く知らないまま別れたからかもね」
そういえば、琉倚は瑠既を『沙稀の双子の兄』と認識しないまま通り過ぎた気がする。
それもそれで、瑠既は腑に落ちないが。
「何もしないまま別れたの? もったいないね、それも」
「『何もしないのがもったいない』なんて、どういう意味なんだか」
沙稀が呆れるように言い、そして、何かを思い出したかのように表情を曇らせた。
「したよ。言葉にできないようなことまで」
「おもしろい冗談言うね」
『そんなことが聞きたかったのか』と視線で言われた気がしたが、沙稀が冗談を返してきたなら、話す気はあると瑠既は解釈した。
だが、避けている根源を『何が悪かったのか』と聞きだそうとするには、少々話の流れが悪い方向へいってしまった気がする。
何と切り出すかと思っていた矢先、
「瑠既は進路決めたの?」
と、沙稀から言ってきた。
意表を突かれ、瑠既は真っ白な頭のまま答える。
「ん~? まだ進路なんて実感なくて……わかんねぇや」
まだ十三年しか生きていない。早生まれは周囲から少し遅れている気がして損だ。それが瑠既の実感。
取り繕うことなく言ったのだが、沙稀の表情が曇った。
──あれ? 俺、何か怒らせるようなこと言ったか?
口元がこわばる。
もしかしたら、気づかないこういうことの積み重ねで沙稀に避けられたのかもしれないと。そんなことが頭に過り、瑠既は怖くなって聞けなくなった。
「沙稀は?」
「決めたよ」
やけにサラリと答えたから、呆気にとられる。
勉強と言って瑠既を遮断してきたのは、あながち嘘ではなかったのかもしれない。
──沙稀は将来を見据えて勉強に集中していただけで。俺、別に避けられてなかったんじゃ……?
そんな都合のいい解釈を瑠既がしかけたとき、心臓を一突きされた。
「俺、家出るから」
驚きですべてが停止した。
声を出せずにいると、沙稀はスッと姿を消した。
沙稀は宣言通り、新学期が始まる前に家から姿を消した。母曰く、もっと勉強に集中したいからと、克主病院兼、付属学校の寮に入ったらしい。
「あら、沙稀から聞いてなかったの?」
あまりにホワンと母が言うものだから、瑠既は心配をかけまいと振る舞った。
けれど更に、思ってもいなかったことが起きる。
新学期が始まり、沙稀の名を探したがどのクラスにもなく。まさかと、血の気が引いた。
違う学年のクラス表を見に走った瑠既を、誄が追ってきた。
呆然と立ち尽くす瑠既に、誄が何かを言っていたが、ただ耳を通り抜けていくだけだった。
沙稀は飛び級をして、九学年になっていた。
たとえ飛び級で追いかけても、差を広げた方が止まらない限り生じた差は埋まらない。沙稀は、来年も飛び級をするつもりだろう。
八学年の始まり、瑠既の心は沈んだままスタートした。気心の知れた椄箕とも別のクラスになってしまって、孤立した気にもなる。
ただ、研究授業は流されるように同じスポーツ指導に入っていたから、まったく会わないことはない。今更ながら、人見知りだったと気づく。
誄がとなりのクラスだったのが救いに感じた。
色んな人が声をかけてくれた気がするが、上の空でどう対応したか覚えていない。
帰宅しようとフラフラ歩いていたら、誄が声をかけてくれ、やっと意識を取り戻した感覚だった。
帰宅してから母に沙稀が飛び級をしていたと話せば、
「え! そうなの?」
と、知らなかった様子。母が知らなかったのであれば、父も知らないだろう。恭良には──聞く気になれない。
「瑠既には言っていたのね」
のんきな母の発言に妙に苛々し、返答せず自室に行き、夕飯を食べずに寝てしまった。
翌朝、昨日の悪態を母に詫びれば、何もなかったように振る舞われ──けれど、父は、そんな瑠既の態度をしっかり見ていた気がする。
何だかんだ感じる元貴族の上下関係に瑠既が嫌気を差すのは、父が母を『鴻之院』として扱っているように感じるからだ。
父は母を溺愛しているだけだと思おうとしつつ、どうしても、こういうときに感じる視線は別物。
鴻嫗城の縁の者には、古くからの言い伝えがある。一度耳にしたら、忘れられないものだ。恐らく、鴻嫗城の縁の者も、またその縁の者に関わる誰もが一度聞いたら忘れられないことだ。
『鴻嫗城の血筋を持つ者は、真に愛する人との初めての子が『娘』だと言われている』
古からの呪いの言葉だ。
瑠既でもそう感じているのだから、母を溺愛する父からしたらもっと酷な言葉だろう。
母と結婚し、子どもが三人いても尚、父にとっては──鴻嫗城の末裔の母は、鴻嫗城の『姫』と同様に、絶対的な存在なのだ。
もしかしたら、瑠既が恭良をかわいがらないのも、父は気に食わないのかもしれない。
家を出ると、誄が今日も待っていた。
いつからだったか、学校でも家でも『誄が彼女だ』と認識されている。こうして、沙稀が登校から抜けてからは尚更。
誄は、どう思っているのか。
それを聞いても、瑠既に『答えは出せない』。返せる言葉がないから、聞くにも聞けない。
結局、瑠既は誄と登校し、クラスの前で『それじゃ』と別れて席に着く。
けれど、昼休みになれば我慢できなくなり、食事もおろそかに足が沙稀のクラスへと向かっていた。
だが、入れ違いになったようで、
「食堂に行きましたよ」
と、漆黒の美しい髪を持つ美男子が、キラキラとした輝きを放って瑠既に答えた。
「さんきゅ」
眩しさにクラクラしながら平然を装い、瑠既は食堂へ赴く。
しばらく人混みの中探せば、ちょうど食後らしき沙稀を発見できた。わざわざこんな人混みに来るなど、瑠既からすれば避けられているも同然。
手を捕まえ、引っ張る。
「どうして何も言ってくれなかったんだよ!」
瑠既は唐突に抗議したが、
「どうして言わないといけなかった」
と返ってきて、勢いも言葉も失い、スルリと手の力が抜けた。
一緒なのが当たり前だと思っていたのは、己だけだったと思い知らされ、呆然とする。
瑠既が立ち尽くす中、沙稀はためらいなく歩いていく。
双子の弟の背が離れていく。それを見つめるしか瑠既にはできなった。
人混みの中、瑠既は取り残され、ひとりごちる。
「相談くらい……」




