9▶兄と弟
「何をするかは決めた?」
「まだ」
漆黒の瞳と同色の髪の毛を持つ兄弟。前髪を真ん中で分け、きれいに短髪を整えているのが兄、捷羅。
「まぁ……決めるのも難しいよね」
弟は肩までかかるような髪の毛を無造作に後方で束ね、難しい顔をしている。兄の投げかけに、言葉を呑み込んだのだ。
兄みたいに道が決まっていたら楽でいい──そう思った反面、自由がないのもどうかと思い直して。
兄の捷羅は、進路がすでに決まっている。長年続いている生家を継ぐのだ。
ふたりの生まれた家は、かつての羅暁城跡地にある寺院。その昔、羅暁城は災害で壊滅的な被害に遭った。
貴族制度が廃止されたあと、最高位だった鴻嫗城王妃の意志にならい、人々を導く寺院として生まれ変わったと言い伝えられている。
もうずい分昔に羅暁城がなくなり、貴族制度も廃止された──と、歴史を学んできた。それらが正史だと裏付けされるように、名付制度も数年前に消失したというのに。未だ生家に縛られる人が、少なからずいる。
まさに兄の捷羅がそうで──弟の羅凍は窮屈さを感じずにはいられない。
羅凍にとっては、兄がとても不自由に感じてならないのだ。
「とりあえず、色々とまた見学して回るよ」
二歳上の兄は、卒業まで二年。卒業が目前だと感じているはず。
羅凍は今年で十四歳になる。もう七学年だ。兄が心配するのも無理はないと理解はしている。
ずっと同じ言い逃れをしてきた。
けれど、理屈で納得できる性格だったら、こんな気苦労はかけていない。
申し訳ないと思うものの、直感型と言い表せる自らの性格は、変えようと思っても変えられるものではなく。『これだ!』と強く心を動かされない限り、熱中できないとよく知っている。
それは、兄も知ってくれているようで、やんわりとした笑顔を今回も浮かべた。
おっとりしている兄がこうして聞いてくるのは、年に一度だけ。『いい加減にしろ』と言いたくもなるだろう。
それなのに、兄は毎回こうだ。小言も言わず会話を終了させる。
兄なりに我慢しているのだろうから、羅凍は『うるさい』とも『放っておいてほしい』とも返せない。
気持ちは年々重くなる。
暗い顔をしていたのか、兄は立ち上がり部屋を出ていった。
気の利く兄のことだ。夕飯の準備を手伝いに行ったのかもしれない。
──いつになったら、大人になれるんだろう。
いつまで経っても、好きなことのひとつすら見つけられない。
幸いなのは、自主的に選ぶ研究授業の単位をまかなえる成績を、これまでとれたこと。
そのお陰で進級できているものの、このままでは将来や進路など、いつまで経っても思い描けそうにない。
焦る気持ちと、どうにかなるという気持ちがせめぎ合う。
モヤモヤした思いは、我ながら鬱陶しい。
鬱蒼としていても仕方ないと、落ちている気力にエンジンをかける。
もしかしたら明日、特別に興味が惹かれることに出会えるかもしれない。こういうときは切り替えが大事だと、前を向けと自身を叱咤する。
なるようにしかならない──と、これまできてしまったが、焦ってもどうしようもないのだ。
羅凍は立ち上がる。今、やれることをやるしかないと。
兄に続き、居間へと赴く。
翌日の放課後、兄の期待に応えようと校舎を見て回る。もう何十回と授業の様子を見たところでも、先入観を持たず考えるよう心がけた。
毎年、進級した一ヶ月間は見て回る人が多い。新入生以外でも研究授業を変えようとする人が多数いる時期で、羅凍が見て回っていても悪目立ちしない。
それに、ありがたいことに進級する度クラスメイトから誘いがある。今日はそういう場所から見て回り、フラフラと通りがけにいくつにも目を泳がす。
気楽に見て回れるこの時期に決めてしまいたい。
──器用貧乏なんだろうな。
仲良くしてくれる友人は毎年増えるが、親友と呼べる友人はいない。初対面で話しかけるのが苦手な羅凍からしたら毎年誰かしら話しかけてくれるのもありがたいが、理由は明らかで気落ちするときもある。
容姿がいいからだ。視界の端で騒がれていたり、噂話が耳に入ってきたりすれば、嫌でも自覚する。
要は、寄せ餌にちょうどいいわけだ。
自意識過剰ならどんなにいいかと、何度思っただろう。
ただ、周囲の反応を見る限り、思い込みではないのだ。
どことなく、どうしようもなく、虚しくなるときがある。
「一本!」
ふと、力強い声に意識を取られる。
視線の先には古武道。どうやら試合が決まったらしい。
──黒。
装備が黒い。黒は有段者が身に着ける色だという知識はある。
古武道は、はるか昔の剣術から派生したうちのひとつ。稽古着に袴、さらに『面』と呼ばれる兜、胴体を守る『胴』、腕に装着する『篭手』、腰回りを守る『垂れ』を身に着け、四つ割り竹刀で作られた『竹刀』を剣の代わりに使う武術。
心身を鍛える研究授業のひとつだ。
年齢性別を問わず試合が行われると、知識では知っていた。だが、こんなに体格差のある試合には、初めて居合わせたかもしれない。
勝者となったのは、背が低く小柄な人物だった。
試合後の礼がされ、勝者が面を取る。すると、サラリと長い髪が躍り出た。
夜のような美しい色の髪──トクリと鼓動が跳ねた。
羅凍が釘付けになっていると、小柄な彼女が首を振った。その首がピタリと廊下を向いて止まり、目が合った気がして慌てて視線を逸らす。
──何だろう、この感じは……。
もう彼女を見ていないのに、ドキドキと鼓動が止まらない。
口元を手で押さえると、顔面がカーッと熱くなっていく。混乱しつつ、踵を返す。
──今日は、もう帰ろう!
急ぐように帰宅したものの、気持ちが落ち着かない。なぜ落ち着かないのか見当が付かず、どうしようもできない。
食事をしても、風呂に入っても変わらず──なのに、珍しく鏡をチラリと見て、髪が長くなったと今更ながらに認識する。
そういえば、いつから切っていなかったのか。自らに関心が向いていなかった。邪魔にならないようにと、いつのころからか、ただ無造作にまとめていただけ。
たまにはきちんとまとめてみるかと櫛を使い、ていねいに結ってみる。
就寝前だが、少しは落ち着いたような気がした。
「うん、ちゃんと結ぶだけでも印象がすごく違うね」
自室に向かう途中で、兄に声をかけられた。意識した分、ドキリとして足が止まってしまう。
「そういう……もの?」
ドギマギしながら返答すれば、兄は何やら楽しそうに口角を上げる。
「そうだねぇ……彼女がほしいと思うなら、身だしなみは大切かな」
意表を突かれ、思わず目を丸くする。
──『彼女がほしいと思うなら』?
驚いた言葉を心の中で繰り返すも、『彼女』という言葉で、あの夜空のような髪の毛の彼女が脳裏に浮かんだ。
「前髪……少し切った方がいいかもね」
にこりと微笑み、兄は風呂場へと向かっていく。
兄の背を見ながら、鋭さに感服する。羅凍自身が気づいていなかった気持ちを、いともかんたんに言い当てた。
『彼女がほしい』と、無自覚で意識していたのだろう。信じられないが、一目惚れだ。
またカーッと顔面が熱くなるのを感じて、急いで自室へと向かう。
脳裏に残る彼女を好きになったと意識すれば、余計に首も手も、至るところが熱く、汗が噴き出す。
こんなことは、初めてだ。
左手で顔を押さえて、足早に自室へ入る。
居間から自室は続き間。布団に一直線し、突っ伏す。
これまで視界の端で騒いでいたり、聞こえてきた噂話をしたりしていた相手の感情は、こういうものかと実感すれば、申し訳なさと気まずさが生じてきた。
──明日から、どう振る舞おう……。




