8▶神樂 6:起因2
震えそうになる体を必死に抑えるために、グッと手を握る。
「言ってくれたこと、考えた。僕が、馨民をどう思っているのかも……考えてみた」
「うん……」
「何でも話してきて、ずっと一緒にいてくれて。馨民がすぐとなりにいてくれること……僕にとっては当たり前のことすぎて、馨民とこれまで通り過ごせなくなるのかもしれないと思ったら……すごく怖くなって。居ても立っても居られなくなった」
「うん……」
馨民はまだ忒畝を見ない。
だが、忒畝と同じで、震えるのを抑えているように見えた。
──馨民は、どれだけ怖かっただろう。
自室にいたときには気づけなかった馨民の心情を感じる。忒畝と同じように馨民も思ったのなら、関係性が変わるのが怖いと告白する前に何度も思ったはずだ。
「僕にとって馨民は、とっても大事な人だって改めてわかった。でも……」
でも、馨民は告白することを選んだのだ。
それは、どれほどの勇気だっただろう。
「ごめん、僕にはまだ……恋愛感情が、わからなかった。ただ、正直に僕の気持ちも言わないと……今言わないと! 絶対に後悔すると思ったから来たんだ」
「うん……ありがとう」
「ねぇ、馨民」
馨民が忒畝をようやく見た。その瞳には、今にもこぼれそうなほど涙があふれていて、忒畝の胸はまたズキリと痛む。
忒畝は右手をついて、一歩、馨民に近づく。
「僕にとって馨民は大事な人だ。それは、この先も変わらない。だから……その……」
今度は左手をついて、また一歩近づく。ドキリドキリと鼓動が強く打った。
「馨民にこれからもそばにいてほしいんだ。他の誰かのところになんて行ってほしくない。これは、僕の勝手な我が儘だけど……今は、まだ恋愛感情がわからないけど……でも、馨民となら。知っていけると思うから……僕と、付き合ってください」
あふれそうだった涙が、ポロポロとこぼれている。
忒畝が息を呑んだ刹那、
「はい!」
馨民がそう言い、顔を覆った。
右手が、ラグを強く押していた。
跳ねるように体が浮いて──忒畝は馨民を抱き締めていた。
「馨民、好きだ」
スッと口から言葉が流れ出る。
泣いている馨民を抱き締めて、泣かせてしまった己を許せない気持ちと、こんなに心をつかんでいると高揚感が生じてクラクラしそうになる。声にならない声で名を呼ばれ、馨民がどうしようもなくかわいい。
ひとりで考えているときは、まったくわからなかったのに。数秒前までも知らなかったのに、恋を見つけてしまった。
相変わらず馨民は涙声で聞き取れる言葉を言えないけれど、『ありがとう』も『うれしい』も、忒畝には伝わってきた。
思えば馨民とは言葉を話せるようになる前から一緒にいて、それこそ、言葉なんて聞こえなくてもわかり合えていたのかもしれない。
いつの間にか緊張感は消え、忒畝の口角は上がっていた。
──いつ、伝えようか。
知ってしまった恋愛感情。口をついて出たけれど、馨民の耳には残っていないかもしれない。だが、付き合おうと言う前の言葉たちを前言撤回するには、何とも間抜けな気がして、言い出す頃合いを課題にする。
ヨシヨシと妹を宥めるように対応してみても、かわいい特別な女の子としか馨民を見られなくなったと自覚する。
「馨民って、いつからこんなにかわいかったんだっけ?」
つい口に出てしまったが、馨民はひどい泣き顔と思ったのか、
「見ないで!」
と、顔を逸らす。
ふふふと忒畝は笑ってしまったが、その心情を馨民が察する余裕はないだろう。
「うん、じゃあ、見たいけど見ない」
忒畝は背を向けた馨民をやさしく抱き寄せた。
翌日の同時刻には、馨民のお陰で知らなかった気持ちを知れたとしっかり伝えられ、馨民は驚きながらも歓喜してくれた。
そうして、互いの両親に隠したくないと、考えたことは同じで。付き合うことになったと報告しようとなり、どう伝えるかと話し合う。
結果、最初にそれぞれの口から両親に言い、後日、ふたりで互いの両親に言おう──と話していたが、
「僕らが馨民ちゃんの家にごあいさつに行こう」
と父が言えば、母がいそいそと電話をし出し。結局は両親同士でまるで顔合わせのような日取りが決められた。
「こういうことはね、しっかりしておこう」
教えてくれてありがとうと言った父は、とてもやさしい表情をしていて──まさか、この笑顔を思い出して後悔の涙を落とす日がくるとは、忒畝は想像もしなかった。
迎えたあいさつの日。両親がしっかりと正装をしていて、忒畝の緊張感は一気に高まる。
馨民の父は、忒畝の母の弟。まして忒畝が産まれる前から両親同士は仲がよく、産まれたときから家族のような付き合いだった。
だから、こんなに改まった格好をしてとなりに行ったことがない。
身が引き締まる。すると、父が忒畝の緊張に気づいたようで、
「大丈夫だよ」
『行こう』と微笑んだ。
こうしてしっかりあいさつを終え、そのお陰か。
忒畝には日常が戻ってきた。
いや、正確には忒畝も馨民も妹たちに驚かれ、兄弟で多少ぎこちなくなった時期もあったが、すぐに兄弟も受け入れてくれた。
特に通学もこれまで通り、変わらぬ光景が続いている。
帰宅後もこれまで通りとなりと行き来し、馨民と勉学に励む日々は継続中だ。
そうして無事に充忠を含めて飛び級をして、数週間が過ぎたころ。
充忠に初対面のときと同じ質問をされた。
「お前ら、付き合ってるんだろ?」
今度は忒畝が肯定をする。
『やっぱり』と充忠は返してきたが、
「でも、充忠が初めに聞いてきたときは、本当に付き合っていなかったんだよ」
サラリと付け加えておいた。
「ねぇ?」
となりにいる馨民に同意を求めたが、馨民は顔を真っ赤にして固まっていた。
幸せは、大きくなるだけでこのまま変わらないで過ごしていけると、忒畝は思っていた。
けれど──。
馨民が告げた一言で、大きく日常が変わった。
馨民は休学を決めた。
学生生活は、残り半年。
忒畝にとって、大波乱の始まりだった。




