6▶神樂 4:噂
元々、同学年の者たちよりも頭が出ていたふたりは、飛び級を難なく合格する。
けれど、このふたりは翌年にも飛び級試験を受ける。忒畝の妹、悠穂が入学したとき、すでにふたりは五学年になっていた。
更に二年後。
馨民の妹、馨凛の入学が無事に決まったときは、九学年になると決定する。結局、忒畝と馨民は毎年飛び級を選び、進級し続けたのだ。
馨凛が入学してからは四人で登下校が始まったが、
「みんなで登下校するの、ずっと楽しみにしてたのに……お姉ちゃんも忒兄ちゃんも、もう二年しかいないじゃん……」
と馨凛に半泣きされる。
これには、忒畝は『ごめんね』と苦笑で言うしかできない。これまで馨民と話して、たまたま同意見だったからこそ、ともに飛び級を続けた。だが、馨凛が大好きな姉との学生生活を楽しみにしていたのも知っている。
それに、また今年も飛び級を選ぶつもりだろう。そうしたなら、残りは一年だ。追い打ちをかけるようなことも、言えるはずがない。
「いくら頑張って飛び級をしても、お姉ちゃんにも忒兄ちゃんにも追いつけない……」
泣き出す馨凛。やさしく声をかけたのは、悠穂だ。
「私、飛び級しないから。だから馨凛ちゃん、飛び級頑張ってよ? それで、一緒に卒業しよ? ね?」
悠穂は宥めるが、馨凛は歪んだ顔のまま。馨凛の反応は正しい。誰もがかんたんに飛び級を受けることさえ、できることではないのだから。
克主付属学校で、ここまでの進級の早さは異例だった。
九学年のクラスは、通常十六歳になる者たちがいるクラス。そこに十二歳になる者が混ざれば、どうしても対格差が顕著に出てしまう。
そうして、噂が飛び交うようになった。
そう、忒畝は無自覚で有名になっていた。可能な限りの飛び級を申請し、異例の早さで進学してきたのだから、当然といえば当然。
馨民も同様だ。ひとりだけでも異例だというのに、二名同時ときたら、騒ぎなっても仕方ない。
また飛び級をして来年卒業するようなことがあれば、最短記録。今後、年数が更新されることもない。異例中の異例になる。
だからこそ教師たちは目を丸くし、生徒の多くは囁き、学校中の噂となっていった。
噂は尾ひれはひれがついていく。そんな噂が初めて忒畝の耳に入ったのは、意外にもクラスメイトからだった。
「お前ら、付き合ってるんだろ?」
九学年になってから数日。クラス内でだった。忒畝の座る席の前に馨民がいて、会話に割り込まれた声。
声の方向を忒畝が見ると、知らない人物がいた。珍しいオリーブイエローの瞳、サラリとした髪の毛は灰色にも紫にも見える。年は四歳も離れていないように見えた。
「なな、ななななな……何よ?」
忒畝が口を動かすよりも先に、馨民が怒ったような声を出す。
馨民に視線を戻せば、なぜか顔を真っ赤にしていた。
「っていう噂なんだけど……あれ? 違ぇの?」
「噂?」
忒畝が聞けば、『入学した翌年から飛び級をし続けているふたりがいる』こと、また、『そのふたりが付き合っている』ことが噂になっていると、ていねいに教えてくれた。
「まぁ、要は『目立ってる』ってことだ。飛び級なんてたやすいものじゃないし、申請しても落とされるヤツだっている。だから、色々言われてるんだろ」
『ただ、有名人だって自覚を持った方がいいぜ』と、釘を刺されるように言われた。
「親切なんだね。僕は忒畝……って、知っているんだっけ?」
忒畝が笑いながら言うと、
「充忠」
と名乗ってくれた。年齢は、十三歳に今年なるという。
忒畝たちのひとつ上。つまり、彼自身も飛び級を三回している。
──充忠も僕らとあまり変わらないじゃないか。
そう忒畝は思いつつも、口には出さなかった。すると、充忠が余計なことを言う。
「で、……忒畝と話しているときはかわいいかと思ったけど、怖そうだな……」
充忠の同情的な表情に、忒畝は疑問符しかない。けれど、馨民の眉はすっかりつり上がっている。
「貴方が突然失礼なこと言ってくるからでしょ」
「まぁまぁ……噂をそのまま信じられて色々言われているより、こうして直接言ってもらえる方がいいんじゃない?」
忒畝が宥めようとすると、馨民は『忒畝がそう言うなら……』とすっかり大人しくなった。
忒畝と充忠の席は近く、それから度々話すようになった。
そんな姿を見てか、馨民は忒畝の席に行くのをためらうように足を止めたが、忒畝が気づき呼びかける。そうなれば、馨民は忒畝のところへ、これまで通り足を運ぶ。
こうして、いつからか三人でいることが次第にいった。
そんなある日。
移動教室へ向かう最中に驚愕の出来事が起きる。
「充忠くん!」
前方から、桜のような淡い桃色の髪をした女性が走ってきた。
ショートカットだが、活発な女性というよりはおっとりした雰囲気。ただ、充忠の知り合いにしてはずい分年上の様子。
しかし、親にしては近い年齢差。
『くん』と呼んでいるのだから、姉でもないのだろう。──そんなことを忒畝は考えていたが、そこで驚く事態が発生。
女性を見た直後に充忠は足を止め、クルリと体の向きを変えた。次の瞬間には来た方向へと走り出した──のだが。
充忠の背に、女性は抱きついたのだ。
「望緑さん! 学校で見かけてもこういうのはやめてくださいって言っているでしょう!」
日頃冷静な充忠の叫び声が聞こえる。
「無理よ。充忠くんを見つけたら抱き締めたくなっちゃうもの」
諦めてって言っているでしょう? と、どちらも一方的な言い分も聞こえてくる。
「どうして逃げたの?」
「こうなるからですよ!」
「やっぱり逃げたの?」
「とにかく、離してください。俺、未成年ですよ!」
とか何とか言いながら、充忠は女性を引き離そうとしていて──けれど、忒畝は充忠が嫌がっているようには見えず。
「行こうか」
賑やかなその場を馨民とあとにした。
充忠は始業のギリギリに移動教室へと姿を現したが、すごい形相で忒畝のところにやってきた。
「こんの裏切り者」
だが、忒畝はサラリと返す。
「え、彼女さんでしょう?」
忒畝の言葉に、一瞬で充忠の顔が真っ赤になる。
「違ぇし……まだ、そういんじゃ……」
勢いなく、肯定のような否定をする。
先ほどのやりとりで、充忠は『未成年』と主張していた。それが何となく充忠が飛び級をした理由のような気がして──充忠が頑張ってきたのは、あの女性と繋がる気がした。
「そう……誰かのために頑張れるなんて、充忠ってすてきな人だね」
「は?」
ん? と忒畝は返し、真意はあえて言わなかった。
そのうち授業が始まり、充忠は忒畝のとなりに座る。位置的に充忠の背や横顔がチラリチラリと視界に入り込む。
充忠のまなざしは真剣なものだった。いつになく凜々しく見える。それは忒畝が眺めてしまうほどで、じんわりと心があたたかくなった。
だから、つい、授業が終わって忒畝は言ってしまったのかもしれない。
「卒業したらさ、充忠はあの人と結婚するの?」
「さっきも言ったけど、まだ今は……」
「『まだ』だから、卒業……早くしたいんだ?」
どうしてか忒畝は、うれしくてたまらなかった。それなのに、充忠の表情が歪む。
「職を手にして仕事に慣れたら……自立して、目処立ててからじゃないと……」
「そんなこと言っていたら、充忠はいつまで経ってもあの人と向き合わなさそう」
充忠がばつの悪そうな態度をとる。図星だったのだろう。でも、忒畝にとってはこんな充忠は意外で。こんな充忠だから、応援したくなった。
「だから、僕がそのときは葉っぱをかけるよ」
「な……」
「一緒に頑張ろう。今年もするでしょう? 飛び級」
「何の話?」
ヒョイと馨民が顔をのぞかせる。
「何でもねぇよ」
ガタリと席を立った充忠の背を見て、忒畝はクスクスと笑う。
こんな楽しい学生生活が、忒畝は続くと思っていた。
なのに、『噂は噂』と忒畝が気にせずにいられたのは、この年が最後だった。




