3▶神樂 1:運命の日
祝福されたような、よく晴れた日。
子どもたちの元気な声が聞こえてきそうな晴天であるのに、賑やかな姿はない。
今日は、運命の日だ。
壮大な敷地に建つ、大きな建物。そのいくつかの室内には、多くの人々がいる。
静まりかえる室内の前後には大人がひとりずつおり、前方には教壇がある。教壇に向かって机がいくつもの列を作り、そこには年端もいかない子どもたちが座っている。
皆、真剣なまなざしで机の上にある一枚の紙を見、もう一枚の紙に書き込んでいく。
そんな中、群を抜いて早い者がいた。
白緑色の短い前髪が、重力に従い下がっている。
黒縁眼鏡の奥には薄荷色の瞳。
その瞳は、流れるように文字を追う。
『かつて世界は三大陸あったと言われている』
『大地震に何度も見舞われ、地形を変えた』
『多くの建物は全壊、全壊を免れた建物もほぼ半壊』
『無事だった建物はふたつだけだった』
服装は白いシャツに、黒のスラックス。周囲に座る者たちと服装も体格も、相違ない。
『そのふたつについて、当時と現在の名称、また、現在に至るまでの経緯を答えなさい』
今日は入学試験。
試験を突破すれば、基本的に十一年間の学生生活が始まる。
手元の用紙の一枚は、先ほど彼が黙読していた『問題用紙』。
もう一枚は『回答用紙』。氏名の欄には、『神樂 忒畝』と書かれている。
忒畝はひとつ目の回答欄にペンを走らせる。
『克主研究所』
『現在の名は克主病院兼、付属学校』
『かつて克主研究所には多くの研究者たちがいて、ほとんどの者が医師の資格を持っていました。大陸が変形を始めた大地震のとき、怪我人の多くが克主研究所に運ばれたと言われています』
『元々教育も行っていた克主研究所は、その後、子どもたちや指導者をより受け入れ、この克主病院兼、付属学校になりました』
回答欄を埋め、もうひとつの回答欄へと移る。
『鴻嫗城』
『現在は民間の古城の為、固有名詞はありません。ただし、鴻嫗城という愛称で親しまれています』
『大地震により無残な光景になった世界に心を痛めた、当時の王妃が財産を惜しみなく使い、様々な物を復旧したと言われています』
『この王妃は貴族制を廃止』
『最高位の地位を放棄し、大陸がひとつとなった世界を一律の国家として成り立つよう尽力。権力から退き、今に至ると言い伝えられています』
とても七歳では書けないであろう漢字も、サラサラと忒畝は書いていく。
『跡地は行政を司る場として現在使用されていて、誰でも出入り自由です』
歴史が得意なのか迷わず記載し、また問題用紙へと視線を移す。スーッと読み終われば、再び解答用紙にペンを走らせる。
こうして歴史問題を難なく終わらせ、続く科学や数学など他の試験に取り組む。読む早さも、書く早さも変化なし。
逆に不得意な科目はないのかもしれない。
結局、忒畝は他の子どもたちが時間ギリギリいっぱいまで使うところ、悠々と二回見直しを行い、時間をゆったりと過ごした。
──貴族制は廃止、と言っても……名残は多々あるんだけど……。
ぼんやりと回答と現実の差を思う。
貴族制は廃止、階級もなしと世の中では謳われているが、まったくなくすわけにもいかないのが世の常。
貴族制が廃止されたとき、それまでなかった苗字が定められたと言われている。階級などがなくなったとされていても、苗字にはその名残がふんだんにあるのだ。
上級貴族だった男性の苗字は最後に『宮』が、女性には『院』が付くのは、代表的なものと言える。
他の元貴族も、その他の者たちも、苗字でだいたいの出身がわかるようになっているわけだ。
忒畝もそうだ。昔々の神の血を継ぐ者と、父から聞いている。真相は知らない。大災害のときに資料は消滅したそうだ。
そういえば、鴻嫗城の最後の王妃は、鴻之院といったらしい。群衆が王妃を称え、後生にも残してほしいと願ったとか何とか。
鴻嫗城は、代々女系だった。だから、最後の『王妃』は、『鴻之院』。末裔は鴻之院か鴻之宮だ。
──そういえば、克主付属学校には、鴻之宮様がいらっしゃると、父さんが言っていたっけ……。
呆然と思っていたら、ふと、別の苗字も浮かんだ。
元貴族で男系でありながら、『院』の字を苗字の最後に受け継ぐと聞く苗字。実際に会ったことはなく、噂だが、実在していると知っているのだから疑いようがない。
しかも、父からはこちらも克主付属学校に在学していると聞いた。
『克主付属学校で学ぶようになったら、いつか会う日もくるかもしれない』
忒畝は他人事のように受け止める。普通に過ごせば、恐らく関わらない人たちだ。
そんな可能性が低いことよりも、忒畝には『今』の方がよほど大事。
チャイムが鳴り、時間だと自覚する。
未来を託した頼りない一枚の紙を提出して、座っていた席へと戻る。
大人しく教壇に顔と耳を向け、規則に従い立ち上がり、礼儀正しく一礼をする。
決まりを守れると各々が示したところで、試験は終わる。
忒畝は一度座り、帰る準備をしていると、
「どうだった?」
と、青紫に近い長い髪と、同じ瞳の色を持つ少女が忒畝に話しかけてきた。
彼女も白のシャツだが、黒い膝丈のプリーツスカートを履いている。
「大丈夫だと思う。馨民は?」
「暇だった。一回は見直ししたけど」
「ははは、さすが。早いね」
忒畝がにこやかに返せば、馨民はにこっと笑った。そうして、忒畝の手をキュッと握る。
「帰ろ」
大きな瞳で見つめられ、忒畝の口角が上がった。
「うん」
荷物をまとめた鞄をしっかりと締め、左手で持つ。右手は馨民に握られていて鞄を背負えないけれど、忒畝はまったく嫌ではなかった。
左肩にかけた鞄の持ち手を、左手で支えながら忒畝は歩く。
帰ろうと言いつつ、ふたりが向かうのは克主付属学校の裏手。敷地内にある、居住地だ。
付属学校を希望する子どもの多くは、親が病院内で働いている。
医師や看護師、薬剤師もいれば、会計や配膳、清掃に関わる者まで職種は多岐に渡る。
『院内で働く者たちの環境は平等に。互いが互いの能力をより発揮できるよう協力を』
この理念は、克主研究所だったころ、何代目かの君主が説いたものらしい。克主研究所は同時期に世襲制を解除したらしく、現在も親の職業や地位を子どもが無条件に継ぐことはない。
けれど、居住権は病院内で働く家族に限られている。将来も同じ暮らしを望み、付属学校を志願する子どもたちは多い。そして、親の背を見て育つからか、大抵は親と同じ職種を志望する。
忒畝と馨民は、そんな多くの子どもたちの中のひとりだ。
「見慣れない子もいたね」
「そうだね」
ふたりにとってはなじみの場所。生まれたときから家族会があり、同じ地域で暮らしている者に知らない顔はいない。
「私は無理だなぁ。知らないところに飛び込むの」




