2▶残像
「私たちも一緒に……」
「母上は休んでいて」
青ざめた母を宥める。身重の母を歩き回らせたくはない。
すると、そうだなと父が寄り添い、ここで待つと言った。
「迷子になるなよ」
父が真剣に、不安そうに言う。
『ならない』と断言はできそうにないと思いつつ、
「大丈夫!」
と笑顔で返す。
先ほど母が『私には代々のご先祖様がいるもの』と言ったとき、『じゃあ、俺たちも大丈夫だ』と双子の弟と笑ったのだ。
不安になっても、大丈夫だとご先祖様を信じれば、きっと不安は吹き飛ぶ。
「俺にも、代々のご先祖様がいるから」
母を真似て根拠のない自信をまとい、両親に背を向ける。
双子の弟も『迷子になっていない』と信じる。けれど、それでは──何かがあったということになる。
──俺が沙稀を助けなきゃ!
その一心で、駆けていく。
来た道を辿って歩き、記憶を巻き戻す。
『こっちだと思うわ』と母が言ったときまでは、確かに一緒にいた。
だから、その手前で足を止め左右を、いや、全方位を見渡す。
正面は視界が開けている、広間のような廊下。家族で会話しながら通ってきた場所だ。
右手側には一面のガラスがあり、入ってすぐ鏡のようだと足を止めた場所に続く気がする。確信はないが、何となく、そんな気がした。
背後は、両親と別れた場所へと続いていく。分かれ道がなかったわけではないが、どこかで手が離れたなら、気づけた気がした。
行き先は決まった。
消去法だが、左手側の奥にある長い廊下。正しく言えば、正面とも背後とも分裂はしていないし、道が見えるわけでもない。ただ、どうしてか、この奥に一本の長い廊下がある気がした。
進む方向を定め、一歩踏み出す。
不規則に並ぶ円柱は、やがて柱同士が重なり太くなってきた。そうして、道が分離され──気づけば目の前には長い一本の廊下が現れる。
いくつかの曲がり角や扉を過ぎ、右手側に窓が見えてきたころ、妙にひとつの扉が気になった。
ふと、足が止まる。
──沙稀がいる……。
妙な確信を持ち、扉を開けようとすると、カチャリとドアノブが回った。
薄暗いが、骨董品が置かれているのが見えた。まるで物置のよう。通行を妨げるように置かれていて、人がひとりやっと通れるかという状態にも関わらず、足を踏み入れ扉を閉める。
──どうして、こんな場所が……。
あまりにも簡易に置かれすぎている。まるで、誰も知らないかのよう。むしろ、誰かが知っていて置かれているなら、不釣り合いだ。
先ほどまでの明かりが遮断され、明かりはなくなった。暗闇で道筋が見えず、ぶつかったら骨董品を壊してしまうかもしれない。それなのに、目を慣らしながら、ぼんやりとした視界の中を歩く。
歩き続けた先は、真っ暗で行き止まりのように見える。だが、なぜか引き返す気になれず行き止まりの前まで進む。
すると、古めかしい扉があった。
迷わずにドアノブを回す。扉を押すと、ゆっくり開いていき、光が差してきた。通ってきた通路の続きではなく、部屋と認識し、急いで入る。
赤紫の絨毯の敷かれた室内。そこに、何かを見上げ、ポツンと佇む双子の弟がいた。
「沙稀?」
声をかけると、我に返ったかのように顔を向ける。
見開かれたリラの瞳に、もう一言発する。
「どうしたの?」
「ああ……ごめん」
何を見ていたのか。疑問に思い、となりに並ぶ。
見上げると、ちいさなライトが三つあった。明かりがつけば、三方向から掲げた物を照らすのだろう。
けれど、壁にはライトがあるだけで何もかかっていない。
双子の弟は、一体何を見ていたのか──と考えた刹那、
「母上と父上は?」
と、双子の弟が言った。
「座って待ってる」
「そうか……ごめん、心配をかけたよね」
そう言いつつ、双子の弟は歩き始めていた。
瑠既が目で追えば、ひとつの上げ下げ窓が目に付いた。慌てて追いかけると、双子の弟はその窓の前に置かれた机で立ち止まる。
机は、台の下にひとつだけ引き出しが付いているシンプルな造りだ。おもむろに双子の弟が引き出しを開け、瑠既は興味本位でのぞき込む。
単に展示品なのだろうか。中には、何も入っていなかった。
それなのに、双子の弟は引き出しの中を見つめている。
瑠既は窓に映る双子の弟を見る。後ろには、己の姿も映り──瑠既はつい、言ってしまった。
「沙稀には……自分の髪や瞳の色は、何色に見えるの?」
双子の弟が顔を上げ、上げ下げ窓に映る姿を──瑠既を見た。
「俺には……」
パタリ
机の引き出しを戻す音がした。それでも瑠既には、返答が耳から離れなかった。
「戻ろうか」
スルリと引き出しから手を離した双子の弟が、瑠既と向き合う。それは、退室を促しているようで、瑠既としては拒む必要のないことで。
双子の弟が見つかったのだから、一刻も早く両親のもとへと行くべきだとも思えた。
「うん」
双子の弟が見つかった安堵が今更湧いてきて、自然と口角が上がる。──ここの部屋は、何だったのか。どうして双子の弟はこの部屋にいたのか。そんな疑問の数々は煙のように消えた。
一刻も早く戻ろうとする瑠既とは対照的に、双子の弟は部屋をあとにする直前で振り返り、呟く。
「何かがあるような気がしたんだけど……」
その声は、瑠既には届かなかった。
物置のような場所に出ていた瑠既は、一向に薄暗くならないと気づき、振り向く。
「沙稀!」
なぜか部屋から出てこない双子の弟を呼ぶ。
呼ばれてハッとしたのか、慌てるように古い扉を閉めた。
「どうした?」
「ごめん、何でもない」
言葉とは裏腹に、無理に笑ったような違和感があった。だが、瑠既にとっては無事に双子の弟を見つけられたのだ。無事に両親の待っている場所に辿り着く方が優先だった。
異空間のような扉を閉め、双子の弟の手をしっかりと握る。来た道は、きちんと覚えている。
普段は甘えてばかりの瑠既だが、『兄』という自覚はある。双子の弟を連れて戻らなければと使命感を燃やす。
「こっちだよ」
ギュッと握った手を離さないように来た道を戻る。一本の廊下は徐々に円柱が現れ、その間隔は広がり、広間のような場所へと辿り着く。
「ここではぐれたんだろ?」
双子の弟を見れば、ポカンとし──苦笑いに変わった。
──らしくない。
笑ってごまかすなど、瑠既じゃあるまいし、らしくない。けれど、追求してしまえば、戻れなくなるような気がして、瑠既はそれ以上言えなかった。
恐怖を振り払うように歩き、両親の姿が見えてきた。
父が両手を広げて駆け寄ってくる。
「わあ!」
歓喜を双子が上げれば、もう父の腕の中。
「よく戻った」
やさしく包まれれば、事なきを得た安心感の方が一気に押し寄せる。
「迷子になるなんて珍しいわね」
いつの間にか歩いてきた母の声に、
「ごめんなさい」
と、双子の弟は謝る。だが、
「ご先祖様に呼ばれたのかもしれないわね」
なぜか母は楽しそうだった。
当時の瑠既は母の言葉にも震えたが、十代後半になった瑠既には懐かしい思い出の一部だ。
過去を体感するような家族での散策は、大冒険をして弟を救出したかのような達成感に塗り替えられたのかもしれない。
いずれ、大きな後悔をする、スタートは、ここにあったのに。
「俺には……リラに見えるよ」
あのとき、沙稀は確かにそう言った。
鴻嫗城の血縁者は、これまで歴代の者たちの名が付けられてきた。
順番を追うように、母と同じ名の『紗如』の長男の名を付けられたのが、長兄の瑠既だ。
双子の弟の名は、本来なら留唏と付けられるはずだった。
けれど母は、七歳で亡くなった事実を恐れ、次男には『沙稀』と名付けた。
本来なら付けられるはずない、血縁以外の者の名を。
もちろん、沙稀自身は母の思いを理解していて、母の思いを汲んでいる。
だからなのか、余計に瑠既には──沙稀にクロッカスの色彩を見えず、まったく違う色彩に見えるのかもしれないと己の目が移す色彩を受け入れてきた。
代々の血縁者の名を付けるのは、このあとすぐに廃止された。
けれど──半年以上経って産まれた妹には『恭良』と、歴代の姫の名が付けられた。




