1▶変化する色
「ここに、昔は高い塀があったそうよ」
どこか弾む母の声。
クロッカスの長い髪の毛と睫毛、同色の瞳を持つ母は、可憐にクリーム色のワンピースを着こなす。
五歳の誕生日を目前に控えた双子から見ても、若く美しい自慢の母だ。
双子は山でも見上げるかのように天に顔を向け、存在しない塀を体感しようとする。
けれど、目に映るのは空と、半球体や円錐の並ぶ臙脂色の屋根。それと、真っ白な外壁の大きな大きな古城。
「その昔、ご先祖様はここに住んでいたんだ」
今度は父の声。
離れた距離からでも圧倒されるほどの大きさに、目を見開く。こんな巨大な建物での生活は想像できない。
「迷子になりそう……」
ポツリと言えば、両親は楽しげに笑った。
有名な場所だ。そう、それこそ『高い塀』があったと。『最高位の城』だったと。
「鴻嫗城……」
双子の弟が歴史に刻まれたなき城の名を口にする。今はこの城に固有名詞はない。しかも──。
「今は民間のものだけどね」
母がクロッカスの瞳をつぶして笑む。しかし、それは一瞬で、
「さて、行きましょうか」
探検を開始するかのように足を弾ませる。
「え! 勝手に入っていいの?」
戸惑いを口にしたが、
「だって、今は『民間のもの』ですもの!」
と、宝箱を目の前にした無邪気な少女のように、弾んだ言葉を母は返してきた。
そういうもの? と視線を父に送れば、髪と瞳にリラの色彩を持つ父は苦笑をして歩み出す。
「瑠既も沙稀も急がないでいいから、ゆっくり来なさい」
振り返りざまに言うと、父は駆け足になっていく。恐らく、あのままひとりで暴走しそうな母を止めに行くのだろう。
あっという間に両親と距離が離れた。子どもから見れば、やはり大人の足は早い。
父が呼んだのか、母が振り返る。楽しそうに笑う母は、追いついた父に手を取られ、走るのを止めた。
大方、双子が追いつけなくなるとでも言ったのだろう。母のご機嫌を損ねず、場を収束させるのが父はうまい。
「父上って、母上に弱いよなぁ……」
「いいんじゃない?」
双子の弟は幸せそうに言ったあと、
「それとも、瑠既は嫌だ?」
と、からかうように笑った。──それは先日、弟か妹が産まれる予定だと聞いたときのことを言われたようで、
「え、いや……」
瑠既は返答に詰まる。
そうこうしていたら、クスクス笑っていた双子の弟は走り出していた。
「ちょ……っと! ま、待てよ!」
楽しそうに走る双子の弟を追っていく。
すると、先を走った双子の弟は振り返り、手を伸ばす。
足を早める。
早く、早くと焦る気持ちが高揚感を呼んできた。
手を伸ばす。
届きそうで、届かない手。
その手をグッとつかまれ──双子は仲良く走り、両親のもとへと辿り着く。
フワッと、あたたかい父の手が頭を包んだ。
へへへと照れ笑いをすれば、双子の弟も同じ表情をしていて──緊張感はどこかへと消える。
空いている片手で母の手を握れば、多幸感が沸き起こる。母は、やさしい笑みを返してくれた。
石畳を家族でゆっくりと歩き、入り口へと着いた。
「母上は、入ったことがあるの?」
「初めてよ」
意外な返答で驚いたが、はしゃいだ母の姿を思い返せば納得する。
「さぁ、行こうか」
父の一言で家族がまとまる。先ほどまでとは打って変わり、静かに城内へと足を踏み入れた。
初めて城というものに入り、ドキドキと高鳴った鼓動が聞こえてきそうだ。
見上げる天井は空のように高く、象られた半円を目線で追っていく。その先に辿り着くクリーム色の壁には細やかな彫刻が施されていて、この空間はまるで別世界だ。
足元は艶々とした大理石の床。行く先を見れば、続いていくのは赤紫の絨毯。
異世界に立ち入ったような感覚に陥り、双子の弟の手をギュッと握る。
「大丈夫だよ」
不安を和らげるような双子の弟の声に、
「何だ、瑠既は怖いのか?」
と、母の横から父が顔をのぞかせる。
「ち、違! 怖くなんか……」
「そうよ、稀霤。瑠既は楽しみなのよね?」
母のフォローに『そうだよ!』と便乗して強がる。
「早く行こう!」
と強気に足を出そうとして、今度は母と繋ぐ手にも力が入った。
案内図を持つ父が先導し、ホールを抜けて左側へと歩く。一面のガラスを目の前に、自らの姿が映り、目が留まった。
クロッカス──それが瑠既の髪と瞳の色彩だ。『代々、鴻嫗城の血を引く者が持つ高貴な色彩』と、母が鼻高々に言っていた。
「鏡みたいだ」
と言えば、双子の弟も、
「本当だ」
と、足を止めた。
双子の弟の髪と瞳の色は、母にはクロッカスに見えるらしい。以前、瑠既が聞き返すと『瑠既と沙稀は双子なんだから』と言った。
だが、父は首を傾げ──父には、双子の弟の髪と瞳の色がリラに見えるらしい。父と同じ色はおかしいと母は言ったが、『光の加減かもしれないわね』と収束した。
瑠既には──。
「ここから見えるのは、中庭なんですって」
母が『中庭に行きたい』と、父に催促している声でハッとする。
ガラスの向こう側を意識して見れば、多くの花々が咲いている。
「きれいだったね」
いつの間に双子の弟は、花々を見ていたのだろう。
微笑む双子の弟。そう、双子の弟なのに──瑠既には、家族と似た色彩を持つように今は見えない。
「うん」
今は髪は白っぽいブロンドに──瞳は、碧眼に見える。ただし、見えるというのは比喩で、光が輝くように色は変化して固有の色に例えるのは難しい。
違和感を覚えるのは、こうして並び客観的に姿を見るとき。他の人に双子の弟はどう見えているのかと、つい考えてしまう。時々、今のようなことがあるから。
双子の弟はふしぎだ。母の言うようにクロッカスのときもあれば、父の言うようにリラのときもある。ただ、瑠既と双子で、同じ血筋なのだから母の言う色が正解なのだろう。
でも──。
『沙稀自身には、どう見えているのか』と、気になってしまう。
ふと、双子の弟は両親のもとへと駆けていった。
「あっ……」
置いていかれたくないと、瑠既は慌ててあとを追う。
中庭と平行して、壁伝いを歩く。やがて外へと出て、
「この先に、地下の資料庫があるそうだ」
と、父が指さした。
「行きたくない」
双子の弟と声が合わり顔を向ければ、片割れも驚いたような表情を浮かべている。
「まぁ……」
母が首を傾げる。
「ほ、ほら、広いから!」
「そうだよ、資料庫に寄ったら時間が足りないよ!」
慌てて瑠既が口を開けば、双子の弟も口を開いていた。双子の慌てた様子など受け流すように、
「確かにそうねぇ……中庭もチラッと見て、また城内を散策しましょ」
と、母はほんわり言う。
それもそうだと父も賛同し、左側へと向かっていく。
「よかった」
「そうだね」
理由を互いに探らず、双子は小声で安堵を確かめ合う。
しばらく歩くと先ほどガラス越しに見た景色が目の前に広がる。
小さな白い花が集りひとつの大きな花に見えると、母が嬉々としてのぞき込んだ。
双子が背伸びをしてのぞき込もうとすれば、ふと、体が浮く。
「こうすれば見やすいか」
双子が顔を見合わすが、すぐに笑う。声は、父のものだった。抱えられる体を父に預け、双子は花々に目を向ける。
こうして、花々を存分に楽しみ、来た道を戻って城内へと再び入る。
今度はまた入り口のような広い空間を通った。先ほどのホールよりも長く続く空間は、いくつも円柱の柱があり、所々しか見えない壁に迷路のような錯覚を覚える。
「迷いそうだ……」
ポツリと呟いた父に、
「あら、大丈夫よ。私がいるわ」
と、母が地図を見せてと言った。更に、『私には代々のご先祖様がいるもの』と根拠のない自信まで。
「じゃあ、俺たちも大丈夫だ」
双子がクスクスと笑う。
それを見た父は、同様に笑った。
「頼もしい。迷ったら頼むよ」
結局、まったく知らない城内を『迷っても大丈夫』と思うがまま歩いたが、
「こっちだと思うわ」
と赴くまま歩く母に付いていくと、地図でわかりやすい場所に出、事なきを得た。
そうして歩き回ったあと、瑠既は違和感に気づく。
「あれ?」
握っていた右手が、いつの間にか空になっていた。慌てて右側を見るが、そこに双子の弟の姿はない。
「沙稀が……俺、探してくる」




