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【37】回顧──弐(2)

 瑠既リュウキの気持ちは焦るが、大臣がここにいる理由が『守る』ためと理解はできる。


 歯がゆいが、瑠既リュウキは大臣に従うか迷う。

 ジレンマは恭良ユキヅキの出産直後の様子を思い出させた。




「お前は無茶するな」

 瑠既リュウキは一刻を争うかのように赤ん坊を抱こうとする。

 だが、恭良ユキヅキは子を守る母猫のように、鋭い視線を瑠既リュウキに向けた。


 産後直後という特殊な状況で、大臣は慌てて恭良ユキヅキを庇った。一度は瑠既リュウキが引いたが、大臣は見逃すわけにいかなったのだろう。颯唏サツキを抱えベッドから出ようとする恭良ユキヅキを、大臣が止めようとした。

 けれど、大臣は止められず。瑠既リュウキにも手伝うよう大臣が視線を送ってきて──その後、男ふたりがかりで止めも、恭良ユキヅキは言うことを聞かなかった。


「私が沙稀イサキのために産んだ子なの。沙稀イサキに会わせて!」


 肩で息をする恭良ユキヅキは、まさに命がけで。

 その表情に、瑠既リュウキはある種の恐怖を抱いた。


 血の気が引いていたからかもしれない。

 屈んで我が子を抱く恭良ユキヅキは、ぐったりとしていた。死の形相を浮かべ、必死に抵抗する姿は恐ろしかった。


 ──このまま沙稀イサキに会わせていいものか……。


 言葉を失い、悩む瑠既リュウキとは対照的に、大臣は車椅子を用意する。大臣には、恭良ユキヅキの異様さは感じていないのかと瑠既リュウキは驚いた。


 大臣が恭良ユキヅキを宥めながら車椅子を提案すると、恭良ユキヅキは大人しくなった。

 その様子が瑠既リュウキにはおもしろくない。これは、大臣が勧めたからだとしか思えなかったわけだ。


 そうして、車椅子を大臣が押し、瑠既リュウキはその横を歩いてきた道を戻る。地上への階段は、瑠既リュウキが車椅子を抱え、大臣が恭良ユキヅキに付き添った。

 移動中も恭良ユキヅキの体調はよくなさそうだった。赤ん坊を離さない代わりに、抱く肩がせわしく動いている。

 呼吸を整えられない苦しさは、瑠既リュウキが誰よりも知っている。だから、呆れてものが言えない。


 沙稀イサキの部屋を開け、瑠既リュウキは目を疑う。恭良ユキヅキが自らの足で、元気そうに沙稀イサキへ駆け寄っていった。

沙稀イサキ颯唏サツキだよ……わかるよね? 颯唏サツキも、沙稀イサキに会いたかったんだよ……」

 ベッドの横に座り込み、赤ん坊を抱かせる姿に、先程の面影は一切ない。()()()()()恭良ユキヅキだ。


 恭良ユキヅキは何かを沙稀イサキに言っているようだったが、声はほとんど聞こえない。ただ、感情が次第に荒くなり、瑠既リュウキは急いで赤ん坊を抱き上げようとした。すると、先程とは打って変わり、あっけなく赤ん坊を抱き上げられる。

 まるで、赤ん坊の存在を忘れたかのような恭良ユキヅキの態度。ゾクリと寒気を覚えた瑠既リュウキは、急いで赤ん坊を大臣に預ける。

 直後、恭良ユキヅキ沙稀イサキの名を何度も何度も叫び始めた。


 沙稀イサキの息は、すでになかった。


 取り乱す恭良ユキヅキを、瑠既リュウキ沙稀イサキから必死に離した。


 形容しがたい悲鳴を恭良ユキヅキは上げ、暴れ、抵抗をした。

 瑠既リュウキは一心不乱に恭良ユキヅキの体を抑え、力づくで遠ざける。


 産後直後という消耗しきった状態で、男女の力差も体格差もあるというのに、瑠既リュウキは馬鹿力と言いたくなるほど四苦八苦した。


 攻防は長時間続いたように瑠既リュウキには感じた。

 沙稀イサキから離された恭良ユキヅキは、抜け殻のようにその場に座り込んでいる。

 赤ん坊のことも、自身の体のことも顧みずに座り込み、その場を離れなかった。


 沙稀イサキの葬儀のときは、もっと大変だった。


 恭良ユキヅキは一緒に沙稀イサキの棺に入ると騒いできかなかった。

 死を受け入れたくないと思うのは恭良ユキヅキだけではない。瑠既リュウキは『俺の方が納得できるか』と思いつつ黙っていた。

 けれど、待てど暮らせど恭良ユキヅキは泣き叫ぶのを止めない。娘たちが恭良ユキヅキに同調して泣き叫び始めた。ルイは娘たちを宥めるので手一杯になる。

 そんな中でも瑠既リュウキは感情をグッと殺していたが、いよいよ庾月ユツキまで泣きそうになり、瑠既リュウキは我慢がならなくなった。


「お前な、うるっさいんだよ! ちょっとは黙れ! ちょっとは沙稀イサキの想いを汲め! 沙稀イサキのために産んだってヌカすならなぁ、その大事な息子をしっかり育てろよ! お前がいなくなったら……お前までいなくなったら、颯唏サツキは? 庾月ユツキはどうなる? お前は大事なものを沙稀イサキからもらったんだろ、受け取ったんだろ! しっかり……受け止めろよ」

 途端、恭良ユキヅキは口を閉じる。流れていた涙を瞳にため、瑠既リュウキを睨む。

 瑠既リュウキの滲む視界の中で、微かに恭良ユキヅキの唇が動いた。瞬きで涙が頬を伝ったと感じたそのとき、聞いたことのない恭良ユキヅキの低い声が聞こえた。


「お兄様は、どうあっても……私と沙稀イサキを離れさせたいのね」


 虚ろに言うと、恭良ユキヅキ瑠既リュウキとすれ違った。

 そして、瑠既リュウキの背にいた庾月ユツキから、颯唏サツキを抱き上げる。


「私は伯父様に苛められたのよ。でも、大丈夫。私には、あなた達がいるもの」


 無表情の母を、庾月ユツキは困惑の表情で見つめていた。

 庾月ユツキのすがるような視線が、瑠既リュウキに投げられる。

『あとでな』と、声を出さずに瑠既リュウキが言うと、庾月ユツキ恭良ユキヅキに微笑んだ。


「大丈夫よ、お母様……」


 庾月ユツキも辛かっただろうが、長年痛々しい父の姿を見ていただけに、心構えは誰よりも持っていたのかもしれない。

 瑠既リュウキにはそう思えるほど、庾月ユツキは強く、母に演技をした。


 庾月ユツキには、沙稀イサキが生きていたころの恭良ユキヅキの方が、母の姿として強いのだろう。いくら沙稀イサキが意識を落としてから鐙鷃トウアン城にいることが多かったと言っても、幼い庾月ユツキには母を恋しく思う気持ちがあったのだろう。


 恭良ユキヅキは、そんな強い娘に甘えるように──壊れていった。




 瑠既リュウキは当時の様子を思い出し、大臣の言葉に従うかを考える。

 ところが、次の瞬間──ルイが通り過ぎていった。ルイは、赤子の声に我慢しきれず大臣を押しのけ、扉を開く。


 ルイが部屋に入るや否や──恭良ユキヅキが部屋から飛び出してくる。


沙稀イサキを返して! 沙稀イサキをっ!」

 大臣に飛び付いた恭良ユキヅキは、そのまま揺さぶる。


 ルイ恭良ユキヅキの行動を見て青ざめた。

『オカしくなった』と瑠既リュウキが言っていたものの、恭良ユキヅキの異常な行動を目の当たりにしたのは初めてだ。


 瑠既リュウキ恭良ユキヅキの首元に手を伸ばす。

 服をつかみ、ためらわず引きずる。

 開かれた扉から颯唏サツキの位置を確認すると、ベビーベッドの上に放置されていた。

 容赦なく恭良ユキヅキをベッドに向かって投げ飛ばす。

「いい加減にしろ!」

 恭良ユキヅキの体はベッドに跳ね、無抵抗に沈んだ。


「駄目です! やめてください、瑠既リュウキ様っ!」

 女性を乱暴に扱うなど、瑠既リュウキらしくないとルイが止める。

 だが、瑠既リュウキにはルイの感情が届かない。沈んだままの恭良ユキヅキの頭をつかんで顔を上げると、今度は胸倉をつかんで詰め寄る。

「お前が錯乱状態になろうが、壊れようが……俺は、お前が理解できるまで、何度だって言ってやる! 沙稀イサキはな……」

瑠既リュウキ様!」

 大臣に遮られ、瑠既リュウキは扉の前に立つ大臣に顔を向ける。

「どうやら、おしゃべりの時間は終わりのようです」

 危機迫る声に、瑠既リュウキは扉で見えないところにも多くの侵略者が来たと察する。

 自然と恭良ユキヅキから手が離れた。今は、恭良ユキヅキの相手をしている場合ではない。


恭良ユキヅキ様に触れることは、私が許しません」

 大臣の後ろには、ルイが立っている。何も持たず、ただ両手を広げて。

恭良ユキヅキ様の代わりになるなら本望! ただし、貴男方には……未来永劫、光はないと思いなさい」

「おねえ……さま?」

 ルイの強い言葉に、恭良ユキヅキは我を取り戻すような声を出す。


 瑠既リュウキも我を取り戻す。レキが扉の外にいるかもしれないと青ざめる。

 すると、いつの間にいたのか。レキは母を守るように、ルイの前で大臣とともに剣を構えていた。


 瑠既リュウキは離れている颯唏サツキの前へと走る。


 ルイが背にいる恭良ユキヅキに向き、微笑んだ。

「私は、沙稀イサキ様のご遺志を継ぎます。恭良ユキヅキ様、貴女は私がお守りいたします。何に変えても」

『それが、きっと私がこの地に生まれた意味』

 己に言い聞かせるように、正面を向き直ったルイがポソリと言った。そうして、今度は皆を励ますように言う。

「大丈夫です。神のご加護は、あるはずですから」

 ルイは侵略者を威圧しながら、まっすぐ背筋を伸ばす。


 ふと、瑠既リュウキの足が動いた。意識をせず、スルリと鞘から剣を抜く。

 膠着状態にも関わらず、剣を振るったことのない瑠既リュウキが火蓋を切るなど自身が一番信じ難い。けれど、ふしぎと瑠既リュウキには恐怖も戸惑いもなく、静かな水面のように心は一切の揺れがない。


 実戦はおろか、稽古すらしたことのない瑠既リュウキに、タイミングなど計れるはずがない。下手に動けば危険ということくらい、承知していたはずだ。

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