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【34】愛する者(1)

 十八歳の誕生日、颯唏サツキは墓地にいた。

 決して寄り付かなかった場所だ。


 時刻は深夜零時。

 挙式を数時間後に控えた身で、華やかさと一番遠い場所にいる。待ち望んでいた日を迎えるのに、心境は真逆だ。


 妻となる琉倚ルイは生後半年ほどの長男、懐季ナツキとともに再建した涼舞リャクブ城にいる。

 誰も、颯唏サツキがこの場所にいるとは知らない。


 颯唏サツキは一生、ここには来ないと思っていた。

 ただ、息子が産まれたとき、颯唏サツキは無性にここに来なければと思ったのだ。


 息子が産まれ、一筋の涙がこぼれた。

 琉倚ルイにはうれしいと言ったが、真相は違う。


 琉倚ルイの気持ちを目の当たりにして、絶望したのだ。


 覚悟していたはずだった。

 けれど、現実は想像よりも辛く、颯唏サツキはその夜一人で号泣した。


 立ったまま見下すように白い墓石を見つめる。

「俺は、父上が大嫌いだ。俺の人生をずっと奪ってきて……」

 颯唏サツキの瞳は徐々に滲み、声が消える。

 グッとこらえる。とても悔しくて。


『だけど』と、ちいさな声がもれた。


「悔しいくらい、何ひとつ貴男に勝てはしない。強情なほどの強い意思も志も、家族に向けた愛情も……」

 墓石に掘られた名を見つめながら崩れ、両手をつく。


 初めて触れた墓石は、なぜかあたたかい気がした。


 墓石に、雨が降っているかのように雫がいくつも落ちていく。

「悔しい……悔しいから! いつか貴男を、俺は越すんだ! 絶対に」


 いつの日か、大臣に言われた。

『剣術を真面目に習得しようとしていない』と。

『筋があるのに勿体ない』とも言った大臣に対し、颯唏サツキはつまらないからと答えた。

『俺が剣術を極めて一流になったところで、それは父上が沙稀イサキだからとしか言われない。それなら俺は、父上がしなかったことに力を注ぎたい』

 颯唏サツキの言葉に大臣は怒らず、呆れず、ただ微笑んでいた。


「俺は琉倚ルイ姫を幸せにする。絶対に! ……貴男を越えていくために、貴男のできなかったことを、俺はするんだ」

 幼少期は真逆だった。レキに剣を向けられた日、父に追いつきたいと願った。

 だが、父の部屋で夢を見たあの日に覆った。

 夢の中で見た父の行動を追っていけば、父に会える気がした。夢中になって夢の景色を追い、知らない景色が夢のまま現実に現れ胸が高鳴った。

 鍵を回し、開いた音を聞いたときの高揚感は忘れない。

 開いた扉の先には、父がいるのかもしれないとドキドキしたものだ。

 生きていなくてもいい。

 たとえ幽霊でも、一目会えればそれで構わなかった。


 しかし、当然のように父の姿はなく。だからこそ、必死になった。

 父を知りたくて知りたくて、夢で見たものが何かと我を忘れたかのように引き出しを開けた。

 そうして、あのメモを見てしまった。


 あのときの颯唏サツキは、沙稀イサキの波長と合致してしまったのだ。

 彼が自身に込めて残したはずの想いが、幻影を追いかけた颯唏サツキに伝わってしまった。

 記憶を取り戻したかのような錯覚に陥った颯唏サツキは、まるで自身が父の沙稀イサキだったかのような感覚になる。


 体中が震えた。知らない感情に埋め尽くされて、無になって涙がこぼれ続けた。

 けれど、恐怖とは違う。

 強い心残りだと思えば、悲しみでいっぱいになった。身を捧げてもいいと思えた。


 ──魂が入れ替わる瞬間に、父上に会えるかもしれない。


 そんな馬鹿げたことを思い、刹那を願い、颯唏サツキは『沙稀イサキ』になろうとした。


 母が『沙稀イサキ』と呼ぶから、好都合だった。混濁をする母を利用した。少しは安定するかもしれないと、互いのためだと信じた。

 けれど、『別人』にはなれないと苦しみ、嫉妬し、母とともに狂いそうになるだけの日々。

 いつしか母を重荷に感じ、母がこの世を去ると解放感と虚無感が同時に襲う。


 そうして、父と代われる日はこないのだと思い知る。


「何でだよ……どうしてだよ! こんなのずるいよ。ずるすぎる」

 刹那でいいと望んだのに、願いは叶わなかった。

「会いたかったよ」

 それから颯唏サツキは、出生の秘密を知る。

 己の犯した罪を今更ながらに実感し、償うと決意した。

 琉倚ルイには父の代わりでも構わないと言ったのは、本心だ。そうだのだけれど──。

「ずっと会いたかったんだよ、父上」

 恋して手に入れ、振り向かせたと思っていたからこそ、深い悲しみに襲われた。

 琉倚ルイはやさしく、寛大な心で颯唏サツキを受け入れてくれている。ただ、その心の奥底には、颯唏サツキでは開けない固い扉が残っていた。


 敵わない、到底。

 越えていく相手を、颯唏サツキは知らないのだ。


 苦しい想いは流れ続ける。

 父を慕う颯唏サツキのちいさな背中が、大きく震えていた。


 数ヶ月前、老衰により余命わずかと言われた大臣に颯唏サツキは付き添うようになっていた。

 山が近いと言われたある日、大臣はポツリと言った。

「いつの日か私に『もう……罪を消化してってこと』と、言いましたね」

「ああ」

颯唏サツキ様も、もうご自身の人生を歩まれてください」

「それは……」

 颯唏サツキが言葉を詰まらせると、

「あのときは、私のために……嘘を言いましたでしょう?」

 と、大臣は笑う。

 姉の絵画を飾ろうと言った日、颯唏サツキは嘘を言ったのだ。大臣のために。それを、大臣は見抜いていたと告白した。

 颯唏サツキは拳を握る。大臣にもう、嘘はつけないと。

「俺は……できない」

 視線の下がった颯唏サツキに対し、

「今すぐに、とは言いません」

 と、大臣はおだやかに言う。

「私は兄という存在に囚われ続け、兄が亡くなってからは自らを兄の代わりのように……自分を消し、自分の人生など考えないように生きてきました」

 大臣はなぜか清々しい青空でも見ているような表情をする。

「ですが、それを変えたのは……颯唏サツキ様、貴男ですよ」

 そこにいたのは大臣ではなく、単にひとりの老人だ。

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