【32】愛の連鎖(3)
宮城研究施設までの慣れた道を歩けば、距離に反してあっという間に到着する。ノックをすれば凪裟がすぐに顔を出し、珍しいと言いたげに目を丸くした。
「どうしたの?」
「話したいことがあって……いいかな?」
凪裟は捷羅の職務に理解がある。多忙と承知しているからこそ、余計に驚いていた。
「え……あ、うん。ちょっと散らかっているけれど……どうぞ」
「ありがとう」
パタリとドアを閉めて凪裟に付いていけば、確かに散らかっていて。凪裟らしいなと、捷羅は笑みがこぼれる。
奥のローテーブルにある書類をがっさりと抱えた凪裟は、手前の椅子の上にバランスよく書類を置き、
「アッサムティーでいい?」
と、にこやかに言う。
捷羅が軽く首肯すると、凪裟はパタパタと紅茶を入れにいった。
ローテーブルを囲うソファに座り、深呼吸をする。こんなに緊張をするのは久しい。
凪裟が紅茶を入れてきたら、『大切だ』と言って抱き締めたいけれど、それはずるい。
『離れないで』と先手を打つのと同義だ。
これまでの捷羅だったら、迷わずそうした。けれど、もうずるくはいたくないと、正直な己の心を受け止め思ったのだ。
凪裟がていねいに紅茶を持ってきた。
捷羅の前にひとつ置き、向かいにもうひとつを置く。可憐な顔にかかる髪を手でよけ、スカートを整えて座る。
何気ないこんな動作のひとつひとつに上品さを感じて、どんどん好きになったものだ。
きちんと正面を向いて座った凪裟は、『話しを聞く準備はできました』と言うようにほどよく口角を上げ、捷羅の言葉を待っている。
捷羅は時系列で話そうと、まずは初婚でないことを詫びた。そうして、禾葩の存在を話す。十八歳で一度結婚し、己の至らなさで禾葩が死を選んでしまったこと。長い間、禾葩を想い続け、忘れられないこと。凪裟にそれらを一切話さず今に至ること。
凪裟が大事でこれからも一緒にいてほしいとは言わなかった。言い訳になるような気がして。
凪裟は相槌を打ちながら聞き、沈黙が訪れ間を取ると、アッサムティーに視線を投げて口を開く。
「捷羅の中では終わっていない、辛いことなのね。でもね、私には『捷羅の過去のこと』よ。……過去には何を言っても、思っても変えられない。それに私は、捷羅が私を妃にしてくれたことに、感謝しているの」
結婚してからも、凪裟は『過去』の話をしない。それだけ忘れたいことであり、忘れられないことなのだろう。捷羅は触れてはいけない気がして踏み込まなかったが、恐らく凪裟には口にしたくもないくらいの過去なのだ。
「憎んでほしいのかもしれないけど、ごめんなさい。私、憎しみという感情を理解できないのかもしれない。……それより、捷羅が私を愛し続けてくれたことへの感謝でいっぱいだわ」
凪裟が悟ったように微笑む。
日頃の雰囲気とちぐはくで、捷羅は結婚前にした玄への悪事を話し始められなかった。
そうしているうちに凪裟はアッサムティーを飲み干し、
「蓮羅に……話してくるね」
と席を立つ。
「私、王位継承権がほしいわけでも、息子に継いでほしいわけでもないの。だから、玄さんにお返ししても……いいよね?」
凪裟が返事を待たずに出ていってしまい、捷羅はひとつ言いそびれができてしまった。
捷羅と羅凍は二卵性双生児。だから、詳しい検査をすれば蓮羅の父親は確定される。それを、凪裟に提案しようと思っていた。
けれど、そんなものは自己満足だと思い知らされる。蓮羅の思いを知ってからでも遅くはない。
養子を実子としておいて、口外するのは規則外だ。
ただ、捷羅も考えていたこと。母は、捷羅の決断に口を出してこないだろう。昔の母ではない。
蓮羅の戸籍を戻すことはできないが、検査をして羅凍が父だと証明されれば、覆すこともできるかもしれない。
結論は、急がなくていい。決めつけなくていい。
急げば最悪な方へと転がる方が多い。決めつけは、視野を狭くする。
アッサムティーをゆっくりと飲んだ捷羅は、王の間へと戻る。
数日が経ち、捷羅が王の間でいつものように業務を行っていると、ノック音が聞こえた。
だが、女官たちではないようで、続く反応がない。疑問に思いながら捷羅が扉を開けると、蓮羅が立っていた。
入室を促すも、蓮羅は動かない。凪裟から実親を聞き、複雑な心境なのだろう。
うつむく蓮羅は、暗い声を発する。
「父上……」
「俺は……」
「と、お呼びしても……まだ、いいですよね?」
今度はしっかりとした声で蓮羅は言い、捷羅を見上げる。
こらえている涙には、どれほどの感情が含まれているのか。捷羅は口を閉ざす。
「俺は、その……ショックではなかったと言ったら嘘になりますけど……俺にとったら『父上』は、『捷羅』ですし、『母上』は『凪裟』なんです」
『いや、意味がわからないこと言っているかもしれないですけど……』と、困惑気味に蓮羅は一度顔を背ける。
「だから、俺にとったら……『両親がふたりずつ』になったっていうだけで……」
捷羅の理解を越えた発言は、『言語』として脳内に響いてくる。
「要は、人より……すっごく多くの愛情をもらっていたんだなって」
照れている様子の蓮羅に、捷羅の言葉は出ない。すると、蓮羅はまた顔を逸らした。
「駄目……ですかね、そんな風に捉えるの……」
「う、ううん……全然……駄目なんかじゃ、ない」
想定外なだけだとうろたえつつ言う捷羅に対し、
「そうですか?」
パッと蓮羅が笑む。
捷羅はぎこちなくうなずく。
「いいと……思う……」
ギュッと蓮羅が捷羅の両手を握った。
「よかった! じゃあ、これからも俺、『捷羅』のこと『父上』って呼んでいいんですね?」
『凪裟のことも!』と目を輝かせる蓮羅に、捷羅は呆然としながら首肯する。
すると、蓮羅は潤ませた瞳をつぶし、満面の笑みを浮かべる。
──ああ、俺は……この子のことを……。
『愛せていたんだ』と実感し、気づけば蓮羅の手を握っていくつも涙を落としていた。
結局、捷羅は玄に実父を明らかにしなくていいのかと相談をする。
玄は、頑なに羅凍だとしか言わなかった。彼女にとったら捷羅の悪事は闇に葬っていたのかもしれない。
そうして、思い知る。
蓮羅の実父がどちらだったにせよ、息子への思いは変わらないのだと。
そうして、蓮羅からもらった大きな愛は連鎖し、奇跡を起こす。
羅凍が城を出て十六年。二度と会えないと思っていたのに、帰ってきた。禾葩の墓参りにも、一緒に行けた。
今年の新年の花火も、銃声のように聞こえるかと思っていたが、ようやく『感謝祭』らしく、皆に感謝が届くようにと願えるかもしれない。
かくして、懸命に準備を整えた捷羅のお陰で、新年を祝う大きな花火が上がる。
羅暁城の裏手の草原から羅凍は懐かしいと見上げる。
そして、この大陸独自の風習だったと今更ながらに実感する。
羅凍が羅暁城を出る前、あんなに悲しそうだった玄は、麗と友達のように笑い合い、寄り添って幸せそうに花火を見上げている。
ふと、蓮羅がのぞき込んできて、羅凍は驚く。間近でじっくりと見た蓮羅は捷羅の面影が強く、兄に見られているような気がした。
羅凍は父に似ていることが昔から嫌だった。だから、蓮羅が自身に似ていないことが救いだ。
兄とは双子なのだからそういうこともあるだろうとぼんやり眺める。まっすぐに見つめられていても、父からのような威圧を感じないでいられた。
すると、蓮羅がにっこりと微笑む。
「『今日』を迎えられたのは、父上のお陰です」
また大きな花火が上がり、羅凍の声は消されたが、
『ありがとう』と言ったのは、己の存在というよりも『家族の再生』への言葉だった。




