【32】愛の連鎖(1)
翌朝、羅凍は捷羅の長年の願いを叶える。
羅暁城の裏手、草原の奥にある白い墓石が見えてきたところで捷羅の足が早まる。
「連れてきましたよ、禾葩さん……」
色とりどりの花が咲き、多くの生き物が生きる場所に眠る人へ捷羅が囁く。
「遅くなって……すみませんでした」
ひざまずいた捷羅が長く待たせたと詫びる。
羅凍も捷羅のとなりにひざまずき、無言で手を合わせる。
捷羅は羅凍の姿を見て、涙を落とす。感謝で胸がいっぱいだ。
墓石に向き合い直し、捷羅も手を合わせる。そうして、ふたりはしばらく手を合わせ続けた。
数分後、羅凍がまぶたを開けても捷羅は手を合わせていて。少し経ち肩に手を乗せれば、捷羅は我に返ったかのように羅凍を見──ボロボロと涙を落とす。
羅凍が捷羅の背を軽く叩き宥めても涙は止まらず、けれど、なじることなく羅凍は待った。
一方の捷羅はひとしきり泣いて立ち上がり、
「ありがとう」
と、終止符を打つ。
羅凍も立ち上がり、一度振り返るが、
「今夜はさ、『感謝祭』の日だ」
と、捷羅が言った。
新年を祝う大きな花火が上がる日だ。
梓維大陸の独自の風習で、日々商いに勤しむ者たちへの感謝と労いの花火。国営費ではなく、羅暁城の運営費の一部で開催される催しで、城下町の者たちは『感謝祭』と呼んでいるといつの日か捷羅は聞いていた。
「そう……か」
『懐かしい』と羅凍が続ければ、『偶然、いい日に帰ってきたね』と捷羅は返す。
そうして羅暁城へと戻り、捷羅は準備をするからと羅凍と別れた。
ずるいことをしたと、捷羅は振り返る。
いつだって、いや、いつのころからかずるく生きてきた。きっかけは明白だが、それをもう、大切に想った人のせいにはしたくない。
「いいんだよ。もう、羅凍が好きだと認めて」
哀萩が羅暁城を去ると言ったとき、偽りを取り払おうと捷羅は言った。
嘘をつき続け、誰かを欺くのはもう己だけでいいと。けれど、哀萩は、最後まで捷羅の片棒を担いだ。
「私、本当に捷羅のこと……」
涙が声を詰まらせる。
何をそこまで庇おうとするのか、理解はできない。
これは、同情なのか。愛情なのか。
同調なのか。
強要と脅迫に、押しつぶされたからなのか。
捷羅に、哀萩の感情は理解できなかった。ただ、必死に『何か』を守ろうとしていることは伝わってきて。その『何か』は、哀萩自身でも、羅凍でもなくて。消去法で導き出されるそれは、ひとつしか浮き彫りにせず。
捷羅は、哀萩を抱き寄せる。
「ありがとう。ごめんね」
捷羅は哀萩に愛情はない。愛を囁くのは、気持ちを向けてほしいからだけであって、愛を注いでほしいわけではない。
だけど、凪裟のことは、愛してしまった。
諦めていたはずなのに、この人とならと思ってしまった。逃げられない人だからと、思っていただけなのに。
乾いた砂場に水を注ぎ続けてくれたのは、哀萩だったと気づく。
「やり直せるよ。哀萩も」
『俺がやり直そうとしているのだから』とは言えなかったけれど、きっと、哀萩は真意を受け取る。
捷羅はしっかりと、哀萩と向き合う。
「ごめんね、壊してしまって。……ありがとう、一緒に壊れてくれて」
こんなに素直になれたのは、いつぶりだろう。
「好きだよ、哀萩」
最後に、初めて心から好きだと言えた。大きな大きな感謝を込めて。
そうして、哀萩が羅凍に別れを告げてくるのを見送り、そっと見守った。
別れを告げ、ボロボロと泣く哀萩を迎えれば、『辛かったね』と今度は捷羅が重荷を受け止めた。
抱き締め頭をなでると、哀萩が声にならない言葉で嘆く。それに、捷羅は応える。
「もし、哀萩が助けを求めるようなことがあれば、すぐに俺に言って。どんな手段を使ってでも必ず、今度は俺が哀萩を救うから」
『うん』と哀萩が言ったから、捷羅は手紙を書き続けた。
手紙は、捷羅の懺悔だ。感謝だ。礼だ。応援だ。
返事はなくていい。恩があるのは、捷羅だから。返事がないのは、哀萩が幸せに過ごしている証拠だから。
不自由がない、何よりの。
哀萩は頑張り屋だ。だから、捷羅は『いつでも哀萩が返事を書けるように』生涯書き続けようと誓う。
その後、二度目の人生の出発は盛大に、大勢に祝福をされ、捷羅は数ヶ月後に王位を継いだ。
『かつての王』となる父の部屋を引き継ぐとき、父とふたりきりになった。
期待はしていなかったが、結論からすれば、捷羅は期待をしていたのかもしれない。
『おめでとう』とも『頼む』とも言わず、『私の役割は終わった』と言わんばかりに、
「それじゃあ」
と一言だけ残し去ろうとする父に、我慢がならなくなった。
すべてを無に還そうとしているような父の背をジッと睨み、捷羅はなじる。
「出ていかれるのですか?」
一言では父の足を止められず、
「ずい分と無責任ですね」
二言目が続いて出る。
ここで父の足が止まらなかったら、捷羅は傷付ける言葉を言えるだけ言い続けたかもしれない。
「君には……すまなかったと思っている」
貊羅は少しだけ振り向き、そう言った。
ブツリ、と捷羅の中で理性が切れた。
駆け出し、両手で胸ぐらをつかむ。
「謝られて取り返しのつくことなど!」
悔しさに涙があふれる。グッと言葉を耐えた瞳と、無機質な瞳がジッと絡まる。
「それでも、君が悪かったわけじゃない」
貊羅の言葉に、捷羅は投げ飛ばすように手を離した。
項垂れ、いくつもの涙をこぼし、ゆらりと貊羅を見据える。
「つくづく……何もわかっていないんですね……」
よろけていた貊羅は何とか踏みとどまり、胸元を整える。
「貴男のせいで、俺の人生はめちゃくちゃですよ……。いっそ、俺も羅凍も生まれずに、母上と結婚する前に貴男が今のようにしてくれていたら……」
「そうだね、私が悪い。君の言う通りだ」
恨めしいと上目遣いで見れば、数分間が幻かのように貊羅は落ち着いている。
「私をどうしたい? 殺すかね?」
「いいですね」
捷羅は即答だ。それなのに、貊羅の無表情は崩れない。
貊羅には、手放したくないものがないのだろう。言い換えれば、手放したいものばかりで、命さえも惜しくないと言ったところか。
多くの人間が、死を前にしたら感情を乱すだろうに。貊羅の感情は乱れないのだ。
「いいですね、本当に……そう、できたなら」
逆に望んでいると言わんばかりに。
「罪に問うなと、一筆書くよ」
「だから、貴男には『何もわかっていない』と、言ったんですよ」
肩で呼吸をし、瞳に沈める。
もがけと、苦しめと思えば思うほど、もがくのも苦しむのも捷羅自身だ。
次第に嗚咽がもれる。膝を折り、顔を覆う。
誰かが、肩に触れた。
『出ていけ』と言った。
手を払った。
それなのに、悲しくやさしい声が降り注ぐ。耐えきれなくなり、苦しさがこぼれる。




