【30】居場所(1)
決意を胸に大臣の部屋に入った颯唏は、職務に手を付ける前に『話したいことがある』と告げ、ポツポツと話し始めた。
一通り黙って聞いた大臣は、なるほどと言うように口を開く。
「そうですか、轢様が……そうお考えになっていらしたとは……」
「轢兄には負けた」
沈んだ声を出す颯唏に、大臣は軽やかに笑う。
「颯唏様がそんなことを言うなんて、珍しいですね」
一瞬瞳を大きく開けた颯唏は、
「轢兄には負けたことしかないよ」
と、すぐに瞳を細めた。
「寂しいですか?」
「そうだね」
颯唏は静かに同意する。
感慨深く言う姿に、大臣も感傷的になる。大臣自身も、慣れた人物と離れる寂しさを知っているからだ。
しかし、颯唏の寂しさはそれだけではないようにも思え、大臣は肩に手を置く。
何でも話してきた間柄だ。
颯唏には大臣が励まそうとしてくれていると伝わった。
「始めるからさ……無理しないで。ゆっくり休んでね」
置かれた肩の手に、手を重ねる。
「ありがとうございます」
サラリと手をどけ、職務へと大臣も戻る。
これから瑠既も顔を出す。一線を引いたまま職務をするのだと、颯唏も大臣も心得ている。
そうして新しい年を迎えたすぐのこと。颯唏はホールで、ある人物を見かけ足を止める。
漆黒の艶やかな髪。美しい顔立ちも耳も、隠すような長さは、ずっと変わらない。
目的にしていた長身の人物を目に、息を呑む。
大臣に許可は取ってある。
颯唏は決心を揺るがせないように、グッと拳を握った。美しい姿を見上げながら近寄り、口を開く。
「羅凍」
颯唏の声に羅凍は驚き、振り向いた。
「付き合ってほしいところがある」
「はい」
新しい年は城内で過ごすことが通例だった。どこへ行くのだろうと思いながら、羅凍は了承しただろう。
一方の颯唏は、羅凍の返事を確認して満足そうに笑む。クルリと体の向きを変え、正面口へと歩いていく。
颯唏のあとに付いていった羅凍は、突き進んでいく背中を見つめていた。
ふと、視線を右前方に向ける。
──今日は馬車がない……と、いうことは、再建中の涼舞城に行くのではないのか。
羅凍の考えが正しいと物語るように、颯唏は城外へ出、門をくぐったあと、涼舞城とは逆の左側へと歩いていく。
この方向は絢朱かと、羅凍は昔の記憶を掘り起こす。
「克主研究所にでも、行くのですか?」
楽しげに駆けていった颯唏に羅凍は追いつき問うが、
「秘密~」
と、軽い返事を颯唏はした。
──いい加減だな。
羅凍は外出を楽しむようにひとり笑う。昔は自身も軽快に外出を楽しんでいたと、懐かしむように歩く。
着いた先は案の定、絢朱だった。
羅暁城の城下町ほどの賑やかさはないが、久しぶりの港街に羅凍の心は弾む。
時刻は昼よりも前。まもなく、楓珠大陸行きの船は出航時刻を迎えるころだ。
──克主研究所に行くのも久しぶりだ。
先日、颯唏のいとこ、凰玖が克主研究所に行くと羅凍の耳にも入ってきたばかり。
颯唏が行くとしても不自然ではない。
羅凍は克主研究所に行くと疑うことなく、颯唏の渡航手続きを見守る。
渡航手続きを終えた颯唏は、羅凍に笑みを投げる。それを合図と羅凍は受け取り、再び歩き出す。
だが、渡された渡航書の行先を確認して、羅凍は足を止めた。颯唏が予想していたかのように振り向く。
ふたりの視線は合い、羅凍の表情は渋く変化していく。
「乗れません」
「乗れ」
船を見ようともしない羅凍に対し、颯唏はまっすぐに言う。
サァッと漆黒の短い髪が揺れた。
これまで鴻嫗城にいたのは、羅凍自身の意思だ。だが、颯唏は、羅凍にも変わるべき時がきたと思っている。
──あの短髪は、本当は……。俺が戻せる、再生できる『家族』は……。
颯唏は思いを揺るがせないように強くはっきりと告げる。
「俺の……最後の命令だ」
風が強く吹いた。
颯唏の長いクロッカスの髪は風に乗り、羅凍の黒いマントは風に激しく叩かれた。
――同時刻。
鐙鷃城には来客が来ていた。来客は三人。両親と息子のようだ。
「お義父様の騎廼様まで」
鐙鷃城の二女、彩綺は頬を赤く染めながら三人を出迎える。
幼少期から変わらず、クロッカスの長いツインテールだ。黄色のドレスを着る姿は、明るい性格が表れている。
騎廼と呼ばれた男性は彩綺の父、瑠既と同年代。後ろで束ねた黄枯茶色の短めの髪と、かしこまる雰囲気が上品だ。
彩綺は騎廼と歩いている。これでは、息子と義父とどちらが婚約者なのかと首を傾げたくなる。
けれど、息子も温和な性格なのだろう。そんな光景を、婚約者である騎廼の息子と妻は、微笑ましく眺め歩を進めていた。
彩綺の正面に瑠既と誄の姿が見えてくると、
「お初にお目にかかります」
と、騎廼が足早に近づき深く頭を下げる。
続けて騎廼の息子と妻も頭を下げたが、
「勘弁してください」
と、瑠既は苦笑いをした。すぐ頭を上げてほしいと告げる。
地位は来客の出身、欣羅城の方が鐙鷃城よりも上。しかし、瑠既は最高位の鴻嫗城の出身だ。いつまで経っても、出身を考慮して誰もが瑠既に対応する。
貴族としては当然の対応であろうと、瑠既には違和感しかない。鐙鷃城の人間になったと自覚している分、厄介だと辟易している。
瑠既の言葉に騎廼がクスリと笑う。騎廼に追いついた妻が、
「失礼ですよ」
と一言。そんな厳しい妻の声にも、騎廼は笑ったままだ。
夫婦の様子に、誄が微笑む。
彩綺は両親のいる後方の扉を開け、騎廼たちを率先してエスコートしていく。
祝福を示す絵画が飾られた場には、年始で帰省していた黎を始めとした姉弟たちがおり、立ち上がって一礼をする。
騎廼たちは、また深々と一礼し、歓迎に感謝を表す。
「座ってください」
うれしそうに言う彩綺を、瑠既は微笑ましく見守る。
二家族は着席し、和やかに会食を始めた。
会食は終始笑顔が絶えなかった。
騎廼たちは飾ることなく接してくれ、気さくな印象を瑠既は受けた。
彩綺は鐙鷃城を継ぐ。
結婚後は鐙鷃城で暮らすようになる婚約者に対し、『いいのか』と瑠既は問う。
すると、
「欣羅城は、兄が継いでいます。ご安心ください」
と婚約者は答え、彩綺と微笑み合う。
そんなおだやかな娘の姿は、瑠既にとっては意外だったが、幸せになると思えば一安心だ。
長女の黎が嫁いでいき、轢への求婚がきて、彩綺はいつの間にか心に決めた人がいた。
それぞれがそれぞれに、個の道を歩いている。
親として、子どもたちが手を離れパートナーを見つけ幸せになっていくのは、この上なくうれしい。
うれしいが、ふしぎだという感覚に囚われる。
瑠既が綺にいたままであれば、沙稀と再会していなければ、倭穏と結婚していたならば、この目の前の光景はなかったのだ。
会食を終え、彩綺も婚約者も『ありがとうございます』と両親たちに一礼をする。
『幸せになれ』と言うのが、瑠既の精一杯だった。黎たち姉弟は、満面の笑みだ。皆、自身の幸せかのように、彩綺の新たな一歩を喜んでいる。
姉弟たちで喜びを分かち合ったあと、彩綺はいそいそと騎廼たちを客間へと案内していき、解散となった。
瑠既は誄と自室へと向かう。
ベッドに座り、キッチリとした首元をゆるめる。
「まだ凰玖が婚約も決まってない……のが意外だ」
「ふふ……私に似て、のんびり屋ですから凰玖は」
誄の言葉を聞き、瑠既は違和感が解消される。
幼少期の彩綺は、どこか大人びているような印象があった。クールな印象もあり、沙稀と似た雰囲気だと思っていた。
だが、沙稀も婚約後、恭良の前では顔の筋肉がゆるんでいたと思い出す。
「なるほど?」
瑠既の自己完結が言語化し、今度は誄が口を開く。
「瑠既様……いいのですよ?」
誄はなぜか悲しげな表情を浮かべている。
何のことかと、瑠既に疑問符が浮かぶ。




