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【28】月日は流れる

 木々は一度枯れ、再び新緑の芽生える季節になっていた。木漏れ日が眩しい。今年も、桜が空を美しく彩る季節となっている。

 充忠ミナルはそれを、どこか悲しげに眺めた。


 それは、今朝の話で。

 昼時を過ぎた今は、感傷的な朝を迎えていたのが嘘かのように、充忠ミナルは頭を抱えている。

「わざわざお越しいただいて申し訳ないんですが……現在、研究員の募集はないのですが」

「はい、存じております」

 明るい声に、充忠ミナルは固まる。

 目の前いるのは、まだあどけなさが抜けきらない女性。肘まである、長いクロッカスの髪を揺らし、同色の瞳をつぶし微笑んでいる。

 会話が噛み合わず、充忠ミナルの時は暫時停止した。


 この女性を一目見たとき、充忠ミナルは二十年以上前に歳月が戻ったのかと錯覚を起こしていた。よりにもよって、錯覚した人物に『会いたい』と願っていた人物を探そうと思うほど。

『初めまして』と深く女性は頭を下げ、初対面だと告げてきた。そこで充忠ミナルは、思い違いをしたと気づき、踏みとどまれた。

 充忠ミナルが勘違いした人物は──そういえば、号泣した姿を見たのが最後だ。

『あの時』は確かに存在した時間で、時間は遡らない。決して。

 充忠ミナルはそんな当たり前のことを改めて認識し、目の前の女性を『彼女』の娘であると安易に想像した。加えて、一瞬でも親友が研究室にいると思い浮かべた己を笑った。


 とはいえ、充忠ミナルは『彼女』に対していい印象を持っていない。『彼女』の娘を目の前にしても、拭えないものだとため息が交じる。


「『存じて』いらっしゃるのですか」

「はい」

「その上で……経歴書をお持ちになったのですか」

「はい」

 充忠ミナルの声は諦めに近い。『何と言って追い返すか』と、怒りに似た感情が沸く。

 一種の復讐にも似た思いだ。


 だが、そんな熱を急降下させる声が届く。


「『お母様』にそっくりなのね」

 あっけらかんとした馨民カミンの声だ。

 女性──凰玖オウキは目を丸くし、馨民カミンを見つめる。

「ご迷惑でしたか?」

 世間知らずと捉えられ兼ねない発言を凰玖オウキはした。

 きょとんとした態度に、充忠ミナルは『そりゃ』と言いかけて言葉を呑む。

 その様子に馨民カミンは甘いと思いつつ、ため息をつく。どうするかと一呼吸置き、充忠ミナルに変わって口を開きかけた。

 そのとき、

「い~じゃな~い」

 と、釣鐘草色の髪を団子に丸めた、オリーブイエローの瞳を持つ少女が乱入する。

岷音ミント!」

「お前! 『使用中』ってわざわざ掲示してたの見なかったのか?」

 馨民カミンは叫び、充忠ミナルはソファから立ち上がる。そう、乱入したのは、馨民カミン充忠ミナルの娘。娘といえど、もう二十歳手前だ。

「見たわよ、もちろん。……お父さんも、お母さんも怖すぎ。克主研究所ココ、破壊するつもりですか~?」

 身震いしたあと、にっこりと笑う態度は両親をからかっているようにも見える。ひとり娘ゆえの強みだ。

 充忠ミナルがグッと言葉を呑み込んだところで、岷音ミントはクルリと体を反転させる。

凰玖オウキちゃん……だっけ?」

「あ、はいっ!」

 凰玖オウキにとっては、助けてくれた恩人だ。年齢の近そうな岷音ミントに、凰玖オウキはピッと姿勢を伸ばす。

 互いに『かわいらしい顔立ち』だと眺めていたとは知らず、年齢が一歳差とは知らず、妙な緊張が流れた。

 ふと、岷音ミントが前傾姿勢になり、凰玖オウキの視界から消える。──岷音ミントは屈んで凰玖オウキの手の位置を確認し、すばやく握った。

「私が案内します。大丈夫、責任はきっと、悠穂ユオさんか悠水ユナちゃんが取るから」

 娘の言葉に耳を大きくしたのは、馨民カミン

岷音ミント!」

 馨民カミンの怒りが爆発する。『自分が責任を取る』ならまだしも、責任転嫁を宣言した。馨民カミンには許せない発言だ。

 一方の岷音ミントは、母の怒りを察知。姫を守る騎士気取りで、凰玖オウキの手を握ったまま退散を選ぶ。

「お父さん、お母さん、まったね~!」

「待ちなさい!」

 馨民カミンは娘を捕まえようとしたものの、走っていく若者に敵うはずはなく。

 足早に逃げていく姿を見、再びため息をこぼした。

「誰に似た、アイツ」

 言いながら充忠ミナルは、凰玖オウキの経歴書に目を落とす。

「あ~……、母さんに似ちゃったのかも」

 釈来シャクナを浮かべながら、馨民カミンは苦笑いで返す。そうして、娘の楽しそうな表情をしみじみと噛み締めた。

「でも……岷音ミントは年の近い友人が新たにできるかもって、うれしかったのかも」

 楽しそうに走っていった若者ふたりを遠目に、馨民カミンはポソリと呟いた。




 一方、逃げ去った岷音ミントは、発言通りに研究所内を案内していた。

 まず、最初に紹介しにいく人といえば──。

「で、この人が今の君主」

 そう、君主だ。

 現在の君主は、一般の試験を経て充忠ミナルの助手となり、直々の教育を経て数年で君主に就任したという、異例中の異例を巻き起こした人物。

 後頭部の一部を刈り上げる短く黒い髪と、同色の瞳。年齢は岷音ミントよりも少し上。細長い黒縁の眼鏡をしていて、素朴な雰囲気の青年。


「初めまして、弥之ミユキです」

「初め……まして」

 弥之ミユキの黒い髪と瞳を見て、凰玖オウキは姉の夫、蓮羅ハスラを思い出し視線を伏せる。

 もっとも、蓮羅ハスラ弥之ミユキの外見の類似点は色だけだ。弥之ミユキは貴族とは縁遠いほどの短髪で、どちらかと言えば童顔。線も細くなく、筋肉質でもない。華やかさも皆無だ。

 雰囲気だけでいうのなら、蓮羅ハスラよりもリュウの方がよほど弥之ミユキに似ている。

 しかし、身内以外で凰玖オウキは年齢の近い異性に初めて会ったのだ。異性だと妙に意識してしまい、凰玖オウキはうつむくしかできなくなっていた。


 そんな空気感とは無関係に、冷たい声が君主の名を呼ぶ。

弥之ミユキ

「痛っ! な、何? カイ

 凰玖オウキは思わず顔を上げる。

 弥之ミユキの左後ろには、充忠ミナルと同世代の男性がいる。且つ、弥之ミユキの耳を引っ張っていた。

 カイと呼ばれた男性は、年齢差のせいか弥之ミユキの保護者のよう。髪と瞳の色が薄い独特の灰みを帯びた青緑色という以外は、弥之ミユキと似ている。

 言ってしまえば、同じく華やかさの欠片もないタイプだ。

紫生シキが呼んでいる」

「あ~……、行く」

 カイ弥之ミユキも悩みの種だと言いたげな口調。弥之ミユキの返答は重い。

紫生シキ』とは、問題児なのだろうか。だが、弥之ミユキの重い声に対し、岷音ミントは笑っている。──アンバランスだが、これが克主研究所ココでの日常なのだろう。そんなことを凰玖オウキがぼんやりと思っていると、

岷音ミントちゃん、笑ってないで早く彼氏くらい作った方がいいよ」

 と、カイが冷やかに笑った。

 岷音ミントは今にも唸り声が聞こえそうな表情を浮かべ、反論する。

「大きなお世話です~! カイだって独身のくせにぃ」

 ふたりの会話は何やら続いたが、凰玖オウキは『仲がいい』と笑った。


「ごめんなさい、うるさくて。あと、申し訳ないのですが、呼ばれてしまったのでこれで」

 弥之ミユキが一礼し謝罪する。それに凰玖オウキはにこりと微笑む。

 凰玖オウキはまた弥之ミユキと会えることを楽しみにしながら、男性ふたりの背中を見送った。

 すると、

「み~んと」

 また、新たな声がした。今度は弾むような女性の声。

悠水ユナちゃん!」

 飛び上がるように振り向いた岷音ミントは、うれしそうに走り出す。


 声の主は白緑色のきれいな髪を持つ人物だった。この人物が岷音ミントを呼んだ『悠水ユナ』だろう。


 ──『白緑色』の、髪……。

 凰玖オウキは息を呑む。

四戦獣シセンジュウ』伝説を凰玖オウキは知っている。克主研究所ココに興味を持ち、様々なことを調べていたら偶然知ったのだ。

 単に『伝説』としか思っていなかったが、白緑色の髪を目の当たりにして凰玖オウキは鳥肌が立つ。

 鼓動が高鳴る。

四戦獣シセンジュウ』伝説を知ったときから、どこか現実味があったと沸々と心の中が泡ぶいて、寒気を覚える。


「ようこそ、凰玖オウキちゃん」

 名を呼ばれ、凰玖オウキはハッとする。

 寒気は去った。

 そうして、『四戦獣シセンジュウ』伝説は『やっぱり伝説だ』と思い、改める。


 明るく言う悠水ユナの瞳の色は、アクアではなく──薄荷色だった。

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