【26】重なる罪(2)
「女心がわからない人ね」
いつになく紗如は冷たい声で笑う。そうして、観念したかのように呟く。
「諦めるためよ。思い出が……ほしかったの」
思い出──それは、愛した人との甘い記憶がほしかったのだろうか。
紗如は後悔しているようだった。兄の命を奪ってしまう結果になってしまったことを。そんなつもりは、毛頭なかったと言いたげだった。
「私は『鴻嫗城の姫』よ。その自覚が、私には元々あった。お母様にはなかった。……それだけのこと」
『だから留妃姫には理解できなかった』と、亡くなった相手に言えないと痛感して嘆いているのか。
紗如は兄に駄々をこねたあと、兄の結婚を見送り、自らも結婚するつもりだったのだろう。それなのに、想定外なことが続いた。
たった一度で、子を成せるとも思っていなかった──大臣は感傷的に紗如の独白を聞いていたが、次の紗如の言葉で一種の同情は飛んでいく。
「唏劉、私ね……どうしても女の子が産みたいの」
大臣は息が止まる。
何と残酷なものの言い方をするのかと。
「唏劉?」
何年経っても、紗如が大臣を『世良』と呼んだことはない。他人の前では、『大臣』とも言わず、それとなく『ねぇ』などと呼ぶのだ。
まるで、大臣を『唏劉』と呼んでいると悟られたくないかのように。
「それなら、誰かとご結婚なさればいいじゃないですか」
大臣の怪訝な態度に、紗如は眉を下げて笑い出す。
「行いが悪かったのね。もう、私にその時間はないのよ」
自嘲し、紗如は母と同じ病で余命宣告を受けたと続けた。手の施しようがなく、薬物の投与もできない状態だと。
「もって、あと二年ですって」
はっきりとした口調に大臣は長く息を吐く。
またかと、高い天井を見上げる。
いかにも紗如らしい、薄い桃色と白で整えられた部屋。そういえば、紗如が療養していたときも、部屋の色彩は変わらなかった。
「姫が産まれるとは限りませんよ」
「可能性はゼロじゃないわ」
呆れたような大臣の声に、望みをかけるような紗如。
思わず大臣は乾いた笑いをする。
先ほど、紗如は『留妃姫が決めた相手なら結婚するつもりだった』とも、『姫が産まれるまで何人でも産むつもりだった』とも言った。
『女の子を、この腕に抱けるまで』
それが紗如の願いで、気持ちはそこにしかない。もっぱら、『相手』の気持ちは無関係なのだ。
『誰もが言うことを何でも聞くわ』
そう言った紗如が、唯一思い通りにならなかったのが大臣なのだろう。だからこそ、紗如は余命を盾に、大臣が断れない状況でこんな話をしてきた。
「ふたつ、条件があります」
「なぁに?」
口を尖らせた紗如が大きな瞳で大臣を見つめる。それを横目で見、大臣は続ける。
「ひとつ目はご懐妊されたらご結婚をし、結婚相手を子の父とすること」
時間はないと言った紗如に、大臣はとっとと結婚しろと言っているようなもの。当然ながら紗如の表情は不満を深めた。
「新たに命を授かったとき、瑠既様と沙稀様に『誰が父だ』と話すおつもりですか」
「唏劉と結婚をすれば……」
「ご冗談を」
『立場からあり得ない』と大臣は即座に否定する。
「嘘を重ねるくらいなら、今すぐにでもご結婚された方がいいでしょうと私は言っているんです」
フイッと大臣は顔を背ける。
紗如が言うようにできていたなら、今には至らない。双子に『父だ』と名乗り、これまでのことを水に流せるとしたら──だが、双子のことを思えば『そんなこと』であり、『今更』なのだ。
思い通りにいかず、さぞ紗如は不愉快だっただろう。しかし、大臣が一向に顔を向けないでいると、
「わかったわ」
と、渋々承諾した。
大臣はまさか紗如が条件を呑むとは思っておらず、目を見開く。
「もうひとつは?」
今度は紗如が顔を背けた。
「私を……」
言いかけて、大臣は言葉を消す。──いつから望んでいたのだろうと、混乱して。
消えた言葉をふしぎに思ったのか、紗如が大臣を見上げる。
大きな紗如の瞳に吸い込まれ、大臣は頭を整理できないまま言葉を出す。
「私を……私の名で、呼べますか?」
言葉にして問いかけたところで、何も意味がない。そんなことをわざわざ聞いたのは、馬鹿げている。
『貴女は、いつまで私をその名で呼ぶのか』と、問いたい気持ちをずっと押さえてきた。
『貴女にとって自分は何なのか』と、何度も何度も投げ付けたかった。
兄からも大臣からもすべてを奪っておいて、紗如はほしいものを手に入れている。それが憎い。憎くてたまらない。
ずっと憎かった。
それは今でも変わらないはずなのに。
言葉として発し、『見てほしい』と願っていたと、気づいてしまった。
一方の紗如は、声を出せないほど驚いていたようだった。気まずそうにする大臣を前に、混乱したようだった。
『無理でしょう』と、大臣が流そうとしたとき、
「『世良』、と……呼べばいい?」
と、紗如は困ったように言う。
紗如が了承をしたのに、虚しい。紗如にとって大臣は兄の代わりだ。それをやめろと言ったも同然なのに、願いが叶うかもしれないのであれば、紗如は自らを偽るのもかんたんだと示したようなもの。
嫌がらせと思われていようとも、当て付けだと思われていようとも、大臣に本心は言えない。ともかく、拒否せず受け入れた紗如に『なしだ』とも言えず、うなずく。
自らを示す名を呼ばれ、大臣は紗如を乱暴には扱えなかった。初めて唇を重ね、やさしく手を握る。
半年経ち、大臣は紗如の言葉に頭を抱える事態となった。呆れて落胆するしかない。
「私を……騙していたのですか」




