【24】忠誠の証(1)
翌朝も稀霤は、留妃姫に呼ばれていると使いの者から声がかかる。
昨日は色彩を変えたあと、紗如のいる部屋にあった読みかけの本を片手に就寝用の簡易的な部屋に戻った。紗如に部屋を頼むこともできたが、留妃姫を飛び越えて言うことになるととどまったのだ。時間を埋める物があれば、一先ずはよかった。
身支度を整えたが、鏡を見れば見慣れぬ者が映る。印象は変わったが、顔立ちは変えられない。
今のところ、この姿を見知っているのは紗如だけ。稀霤を呼びに来た使用人にも留妃姫にも驚かれるかもしれないが、捨てるはずだった命を拾ってしまった以上、こうするしかなかったのだ。
扉を開ければ、昨日と同じ使いの者が待機している。案の定驚かれたが、口をつぐんだ様子からすれば利口な者だ。
謁見の間に着き、稀霤の姿を見た留妃姫は同様に目を丸くしたが、
「似合っているわ」
と、表情を一変させやさしく微笑む。
稀霤は、留妃姫が背を押してくれた気がした。
「『世良』と名乗ろうと思っています」
三男は言い付けを守り、昨日のうちに手続きを進めたと考えられる。『稀霤』はすでに戸籍上、死亡しているわけだ。
稀霤は新たに生きる名として、慣れ親しんだ幼名を選んだ。仮の名として呼ばれるには、長い間呼ばれ慣れた名だ。反応に違和感が出ない方がいい。
「それと……可能でしたら、どこかに部屋をくださいませんか」
昨日言いそびれたことを言いにくそうに告げる。
留妃姫はハッとし、
「不便をかけたわね」
と、今更気づいたことを申し訳ないと詫び、すぐに案内の者を呼んだ。
こうして、稀霤──世良は新たに生活用の個室を用意される。
用意されたのは、望んだように剣士の部屋。案内を受け、想定外の広さに驚く。
「指揮官の部屋でございます。その責務も頼みますと、留妃姫から伝えるよう申し受けております」
案内した者は、深々と一礼して下がる。
留妃姫は、世良の腕前を目にしたことはないだろう。ただし、見たところで力量を図れると仮定はしないが。
──涼舞城への、信頼か。
兄も伯父もいなくなった。世良自身に信頼はなくとも、元国王を受け入れる采配として、最大の配慮ととれる。
そうであったとしても、世良は既存の剣士たちの心情を慮る。
──私の出生を知らない者たちは、不満を抱くだろう。
剣士たちの心情を汲み取ろうとしたところで、出生を公にするわけにはいかない。
不満を拭うには力の差を理解させるしかないだろうと、就任早々に闘技を覚悟する。
可能であれば目立たずに過ごしていきたかったが、そう言ってもいられない。万一、兄と伯父の死が周知されれば、今まで以上──最低でも、同等の者が統治していると世間に認識されなければならない。
隙あらば、即座に鴻嫗城は攻められるだろう。
世良はため息を吐く。
感情論を言うならば、留妃姫を最優先に守りたい。だが、現在、最優先に守るべき人物は紗如だ。
紗如にはこの短期間で散々振り回されている。正直、紗如のために命を落とすと想像するだけで嫌気が差す。
けれど、鴻嫗城内も把握できていない現状では、ふたりを守りきるのは難しい。いや、兄が『迷宮だ』と言った鴻嫗城内を、把握できるときはくるのか。
世良は再びため息を吐く。
やはり、戦力は落ちていないと周知させた方が得策だ。
室内を見て回ると、世良のためにわざわざ新調した衣服や剣の手入れ用品なども目に付いたが、その他にも使用感のある物が置かれている。伯父の物か、兄の物だろう。
伯父は兄の物を処分できなかったのかもしれない。
伯父の物も、世良がいる以上、勝手に破棄しなかったのだろう。遺品に触れられるとは、思ってもいなかった。
ありがたいと留妃姫の心遣いに震える。
「兄上、伯父上……私もそう待たせることなく、そちらに逝きます」
私物を一切持ってこなかった世良は、人目に付かない遺品は使用させてもらうことにした。何より、いつ失っても構わないと思うほど軽い命。兄と伯父に付き添ってもらえるなら、こんなにありがたいことはない。
それに、すべてを一から揃えてもらうよりも気楽に思えた。
荷物の整理をしていると、ノックが聞こえ、おもむろに扉を開ける。すると、これまで世良を案内してきた使用人がいて、昼食だと言う。
世良は片づけを切り上げ、案内を受けた。
そうして、食後に留妃姫が姿を見せる。
「必要な物があったら、いつでも言ってちょうだい」
やわらかい笑みで言う留妃姫に一先ずないと伝えると、
「そう……ちょっと来てほしいところがあるの。いいかしら?」
と、移動を要請された。世良は疑問に思いつつも了承し、留妃姫に同行する。
見覚えのあるような光景の中を歩いたが、右に曲がると一面のガラスが見え、世良は初めて通った道だったと気づく。
ガラスの奥には美しい花々が咲き、陽が注ぐ光景は風も感じそうなほど美しい。その手前の部屋を留妃姫は開け、世良に入室を促す。
「ここは……」
入室した世良は事務室のような空間に驚く。そうして、伯父の護衛以外の職を思い出す。
兄が紗如の護衛に就任し、留妃姫の護衛だった伯父の職務は建前上になった。剣士たちの指揮官も兄に引き継いでいる。
だからこそ、伯父は別の職位を得たのだが。
「まさか……」
青ざめる世良に対し、留妃姫は上品に笑う。
「よろしくね、『大臣』」
世良が留妃姫に逆らえるはずはない。
「兼任……ですか」
「涼舞城の国王には、役不足かと思っていたけれど……助かったわ」
留妃姫の声は至って明るい。
伯父を兄のしていた職に復職させるつもりだったのだろう。伯父の降格は、留妃姫なりの処罰。
そこへ、世良がやってきた。
恐らく留妃姫は、世良が紗如を鴻嫗城に抱えてきたときから、世良の目的を察知していた。
世良は戻らないとお見通しだったのだ。
つまり、伯父の生死に関わらず、留妃姫は最初から世良を大臣に向かえる気だった。
人使いが荒いと思いつつも、世良は了承するしかない。剣士を申し出たのは、己なのだから。
「かしこまりました。尽力します」
世良は留妃姫に仕えると誓う。
鴻嫗城に世良が来て、四日目。
ようやく世良は城内の案内を受けた。だが、鴻嫗城は広い。一日では把握しきれないと判断した世良は、日常的に使用する部分を優先して案内を頼んだ。
午後には留妃姫から使用人や剣士たちへ『世良』と紹介を受けた。
世良が『初めまして』とあいさつをしたからか、初日のことを思い出す様子の者はいなかった。
一日が慌ただしく走り去っていった。
一息ついた世良に、ある人物がふと思い浮かぶ。その人物は、寂しくしていないだろうか、と。
──少し世話になった。……それだけだ。
あれだけ関わりたくないと思ったのにと、不可思議な気持ちになる。けれど、最優先で守らなくてはいけない人物と、わざわざ不仲になる必要はない。
世話になる場所だ。
世良は、今後のあいさつをしておこうと、その人物のもとへ向かうことを選ぶ。
使用人が部屋にいても、あいさつをするくらい不自然ではないと半ば開き直り、世良は扉を叩く。すると、鈴の音が転がるような可憐な声が入室を許可した。
世良が許可を得たと入室すると、また紗如しかいない。世良は早々に立ち去ろうと決め、仮名を名乗ることにしたこと、剣士の指揮官をすることになったこと、大臣を兼任することを告げる。
姫が内情を把握していないわけにもいかないだろうとすべてを話したのに、紗如は明後日の方向の返答をした。
「ここにいるのは……嫌?」




