表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
317/409

【21】命を重ね(3)

 兄は伯父だからと抵抗しなかったわけでも、できなかったわけでもない。伯父は、稀霤キリュウに告げた言葉と似た言葉を、兄にも告げたはず。

 いや、もっと暴言に近い言葉を浴びせたかもしれない。


 異臭が鼻を突く。

 否が応でも、昨日見た()()が蘇る。


 近づく足が重くなる。兄への、後ろめたさだ。


 伯父は留妃リュウキの護衛。涼舞リャクブ城の長男だった。

 同じ境遇の伯父から痛烈な言葉を受けたであろう兄。昨夜、二択の片方が消えたのに、未だに脳内で繰り返してしまう。否なら『否』と断固言ったはず、と。


 稀霤キリュウの心が曇ったままなのには、理由がある。


 兄には婚約者がいた。

 結婚式を挙げる予定だった。


 何日も前のことを思い出しながら、稀霤キリュウは醜くなった兄の肉塊に両手を伸ばす。


 挙式当日、兄は姿を現さなかった。

 よほどのことがあったのだと、親族一同は何日も帰城を待っていた。


 そうして、姿を変え、兄は帰城した。

 生きて帰城しなかった原因は、兄が禁を破ったせいだと告げられ、皆に告げ、変わり果てた姿を目の当たりにしても──嘘であってほしかった。


 生きていてほしかった。


 棺を開け、兄の姿を見た稀霤キリュウは、怒りに体を震わせた。

『この様な真似……我が城に対しても、十年仕えてきた兄上に対しても、侮辱の他にならない! 鴻嫗トキウ城への忠誠は、向こうが打ち砕いてきた。ならば……私自らがそれを受け止めたと、鴻嫗トキウ城との縁を切ってくるまで!』

 なりふり構わず叫び、彼は生家を出る。


 つい何日か前のことなのに、遠い昔のように懐かしい。兄の肉塊をていねいに包みながら、稀霤キリュウは走馬灯のようにぼんやりと記憶を再生していた。


 ちょうど包みを抱いたころ、なじみの声が聞こえる。

稀霤キリュウ国王」

 三男の声だ。

 稀霤キリュウが声の方向へと顔を向けると、二メートルほど離れたところに姿がある。兄弟たちは切れ長の目だが、三男だけは幼い面影を強く残し丸い目をしたかわいい顔立ち。男ばかりの四人兄弟の中で、かわいいと冷やかされ続け愛されてきた男だ。

「ご無事で何よりです。さぁ、ともに帰城いたしましょう」

 三男は眉を下げ、手を差し伸べる。

 稀霤キリュウは骨壺と変わらない重さと、冷たさを腕に感じながら歩き始める。そうして、三男の手前で立ち止まった。

「『ご無事で何よりです』? 何を言っているんだ、お前は。私は鴻嫗トキウ城に決別を宣言しに来たんだぞ。私が存命するはずないだろう」

 目を見開いた三男に対し、稀霤キリュウは包みを受け取らせる。

「『私の命はすでになかった』皆にはそう伝えろ。そうだな……これを持っていけばいい。今から涼舞リャクブ城の国王はお前だ」

 更に手渡された物を見、三男は動揺する。稀霤キリュウの死亡届と肩章だ。

「なっ?」

「包みは唏劉キリュウ剣士の……帰城できなかった体の一部だ。……そのまま埋葬しろ。皆は見ない方がいい」

 瞬時に三男の体が強張った。三男はうつむき、腕の中の包みを見つめる。

「妻はすまないが、お前に頼む。『王の妻』でいさせてやってくれ。新しい涼舞リャクブ城を……」

 意気消沈していく三男を見、稀霤キリュウは思わず言葉が止まる。それでも、今、別れを告げなければならない。

「義姉さんのこともあるのに……お前にすべてを背負わせて、すまないな」

 稀霤キリュウは三男に頭を下げる。深く、深く。


 三男は泣いている。

 涙をこらえるような呼吸が聞こえた。だからこそ、見ていないように、気づいていないとように頭を下げ続けた。


 三男が流した涙は、不安ではないだろう。恐らく、稀霤キリュウが兄の亡骸を目の前にしたときの感情と酷似したものだ。


 三男を見ず、踵を返す。

 稀霤キリュウが兄の亡骸を見たときとは、酷似していても違う。稀霤キリュウは、生きている。

 死にゆく稀霤キリュウを止めたくても、三男は止めてはいけないのだ。

 その辛さに、稀霤キリュウが気づいてはならない。


 涼舞リャクブ城に戻っていく足音が聞こえなくとも、稀霤キリュウは死に場所へと歩いていく。




 稀霤キリュウが『今後こそ』と、決別を告げる覚悟で鴻嫗トキウ城の目前まで着くと、窓に紗如サユキの姿が見えた。稀霤キリュウが気づいたとわかると、紗如サユキは身振り手振りで懸命に左を示す。


 ──左に……何が?

 時間を気にして走ってきた足を止め確認するが、特に何もない。


 横目で再び紗如サユキを見ると、今度は左を差しては歩くようにと動作で伝えてきた。


 そういえば今朝、稀霤キリュウは誰にも見つからずに鴻嫗トキウ城から抜け出すのに成功している。自由はあったが、身柄確保された身だ。鴻嫗トキウ城から()()()()となれば、留妃リュウキとの謁見よりも先に、伯父が飛んでくるかもしれない。


 とうに死の覚悟はしているが、正面から突破しようとするのは確かにいい策ではない。──そんな風に稀霤キリュウがぼんやりと立ち止っている間も、紗如サユキは動作を止めない。


 ──部屋を抜け出し、あんなところで……そんなことをしていい身分でも、体でもないだろう。

 稀霤キリュウは妙に冷静になり、ため息をつく。

 ──昨日から……あの姫に会ってから振り回されてばかりだな……。


紗如サユキ姫は何と言うか……自由奔放な方で』

 そういえば兄が帰城したとき、時折困ったように笑いながらこう言っていたと稀霤キリュウは思い出す。


 ──仕方ない。

 一先ず、稀霤キリュウ紗如サユキに従うことにした。そして、兄もこの姫に振り回され続け、迷惑をしていたのだろうと渋々左側へと歩く。




 向かった先で見つけたのは、細い通路。とはいえ、何かがあると見ない限り植物が邪魔をし、発見はできないような通用口だ。

「こんな入口まであるのか、鴻嫗トキウ城は」

 思わず口走る。


鴻嫗トキウ城は迷宮だ』

 切れ者の兄が、何度も迷ったと冗談のように言っていたのは真実だったのかと、稀霤キリュウは苦笑いした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ