【21】命を重ね(1)
紗如を鴻嫗城に運んで数時間。稀霤はベッドで眠る紗如を見て落胆していた。
「鴻嫗城で、私の死は確定だ」
つい、嘆きがこぼれ落ちる。いや、生き延びたいわけではない。死は覚悟して来た。けれど、予期していた最期にはならないだろうと無念でならない。
明日の昼に、留妃姫との謁見が決まった。稀霤の処遇はそこで決まるだろう。
紗如が目の前で倒れたとき、ドレスからは血が滲んできた。
鮮血を見、稀霤は怒りから解き放たれ、救命へと思考が切り替わった。紗如を抱え、鴻嫗城へと駆けていく。
緊急事態に、真正面から鴻嫗城に入ってしまった。
別の出入口があると知らない彼からすれば当然の行動だが、静止した門番たちを振り切ってまで助けを求めたのは、浅はかだったと振り返るしかない。
こういうときに限って、更に不運は重なる。
「きゃぁぁぁああ!」
姫の鮮血を見て、使用人が叫んだ。
悲鳴を耳にし、稀霤はようやく冷静さを取り戻す。
追ってくる門番。腕に抱えるのは、最高位の城の姫。且つ、姫の足元からは滴り落ちる鮮血。
──傍から見たら、姫を人質に城内侵入……姫の殺害未遂、とでも私の罪名はなるのか。
愚かだったと後悔しても、時は戻らない。
稀霤はベッドで眠る紗如を恨めしく見つめる。稀霤が紗如を見守っているのは、留妃姫からの命令だ。
正直、わけがわからない。
紗如は何も知らずに、大人しく寝息を立て眠っている。
──知らなかった……のか。いや、知って……?
堂々巡りを繰り返す。答えは出ない。そうしているうちに、沸々と不満が膨らんでいく。
──いや、そもそもなぜ私が伝える羽目に。
奥歯を噛む。
しかし、医師の言葉がなければ、稀霤はすでに命がなかったかもしれない。
「姫様の血痕は、外傷ではありません。よって、この者は姫様の命の恩人です」
医師が留妃姫とその護衛の前で断言したお蔭で、稀霤の命は明日の昼まで伸びたのだ。
──それでも。
不満が稀霤の心を覆う。
医師からの伝達を知るのは稀霤のみ。しかも、伝えるのは紗如本人のみと医師から釘を刺された。
室内に紗如の使用人がひとりとしていないのも、そのため。
「はぁぁぁ……」
重く長いため息は、無意識で何度ももれた。
更に一時間が経過したころ、稀霤のため息はやっと止まる。正気に戻れば喉が渇いて仕方ない。
コップ一杯の水を拝借し、紗如の横たわるベッドへと戻ったとき、鈴の音のような可憐な声が鼓膜を揺らす。
「貴男は?」
「お目覚めになりましたか」
稀霤はその場で水を一口含み、適当な場所にコップを置く。
「唏劉……なの?」
『キリュウなの?』
少女の戸惑う声を受け止めきれず、稀霤の脳裏で復唱される。
ある程度の地位ある城なら、どこにでも内部の者しか知らない仕来りがある。だから稀霤は、紗如に『その名を呼ぶな』と咎められない。
では、何と答えるべきか。
冷静に思慮し、稀霤は気づく。紗如とは初対面だったと。紗如の呼ぶ者と兄弟なのだから、多少は顔立ちが似ている。リラの色彩は同じだ。
もし、兄が他界したのを受け止めたくないと紗如が思っているなら、誤認したくもなるだろう。
稀霤は寛容に受け止めようと努め、ベッドの横の椅子に座る。
「音では正解ですが……示している人物は違うと思います」
紗如が目を見開く。信じられないと言いたげに稀霤に近づき、まじまじと見る。
年齢や髪の長さ、身長や雰囲気など細部の違いを感じたのだろう。少し離れ、唏劉とは別人だと納得したかのように、紗如はフワフワと何度かうなずいた。
肩章を見つけ、涼舞城の二男だと理解したのかもしれない。
「私が、悪かったの。あの人は、唏劉は何も……何ひとつ悪くなかった、のに……」
紗如の声は震え、消えていく。
涙をポロポロと落とし、拭い、こらえ、けれど止まらずむせぶ。
「ごめんなさい。謝っても、許されるわけがないけれど……ごめんなさい」
必死に謝罪する紗如に、稀霤はうんざりとした。
どう考えてみても、兄は責務を放棄しない。戦ったのであれば、体にその証はあったはず。何がどうなって兄がああなったのかわからないまま謝罪をされても、腹立たしいと腸が煮えくり返るだけだ。
「それより」
稀霤は言葉を投げ、紗如の謝罪を無にする。なるべく敵視を出さないようにと気をつけながら、医師からの伝達をどう伝えるかと言葉を紡ぐ。
「お体は大丈夫ですか?」
紗如は無理に笑い、静かにうなずく。
「取り乱してしまっただけ」
視線を落とした紗如は、急に年相応に見えた。紗如は二十一歳になったばかり。少女に見えたのは苦労知らずと処理したが、まだ少女の面影が残っていてもおかしくないと稀霤は思い直す。
紗如が眠っている間に煮詰まるほど考えた。取って付けたような理由だが、兄は紗如を庇ったとしか思えない。
稀霤は真意を確認するためにも、一か八かの言葉を言う。
「兄が、ああなった理由がわかりました」
「え?」
ふと、紗如の視線は上がり、すがるような瞳が稀霤を沈めた。
「お気づきになって……いらっしゃらなかったのですか?」
紗如からの言葉は出ない。
ふしぎそうな表情に変わり、稀霤は伝えるべきかを悩む。
──知っていたら、この方は……兄上を探しに来なかったかもしれない。
面倒なことになった。ずい分と厄介なことを押し付けられたものだ。伝えれば、紗如は恐らく自らの行動を後悔するだろう。
だが、伝えないわけにもいかない。
兄は護衛する姫を守るために汚名を被ったと結論づけたかったが、違ったようだ。
『どちらか』と二択の選択肢が出て、可能性の高い方を選んだと思っていたのに。稀霤には更にわけがわからない。
けれど、二択で片方の可能性がなくなってしまった以上は、結論は出てしまったのだ。理解はできなくとも。
稀霤はおもむろに発言する。




