【18】真実を開ける者(2)
「どうして? どうして俺と琉倚姫の婚約は認めてくれないの? 進めてくれないの?」
怒りにも似た声。
大臣は困惑気味に答える。
「それは……親子ほどに年が離れていると知っていて、私が認められるわけがありません」
後半声を強めたのは、戒めだろう。杭を刺すように、大臣は更に続ける。
「颯唏様、貴男は……」
「血縁関係より、年齢なんだ」
遮られた冷たい声に、大臣が止まる。言えずに呑み込むしかなかった言葉──『あらゆる面で自覚が足らない』──が、大臣に突き刺さる。
「どういう……意味ですか?」
大臣が颯唏に問う。
白々しいと言いたげに『別に』と、颯唏は捨て吐く。
張り付くように颯唏から視線を逸らさない大臣に対し、颯唏は大臣を見ようとはしない。
「これで……終わるんだよ……」
苦々しく颯唏が呟く。
空気が重々しく固まった。
酸素が薄くなったかのように、大臣も颯唏も呼吸が浅い。
ふと、颯唏が大臣を見上げる。
「俺と琉倚姫の婚約を公表して」
ジッと見ても大臣の表情は変わらない。いや、どこか呆然としている。話を聞いていないかのような大臣に、颯唏は不服を態度で示す。
「もういい。わかった。認めざるを得ないようにする」
冷たい言葉を残し、颯唏は大臣の部屋を退出する。
扉が閉まっても、大臣はしばらく動かなかった。
いや、動けなかった。
クロッカスの大きな瞳に見つめられ、混乱を起こしたのだ。
大臣が鴻嫗城に来たころの紗如の姿を思い出し、幼かったころの沙稀の姿を思い出した。そして、そのとなりにいた瑠既の姿も。
更に過去が駆け抜け留妃姫、留妃姫の護衛。年代は歪みを生じ、護衛時代の沙稀の姿に変わり、リラの色彩の沙稀は唏劉を思い出させ──大臣は誰が目の前にいるのか、判断が付かなくなっていた。
「私は……」
『誰』かと、口にしなくなった名を口にしようとし、つぐむ。フラフラとソファに座り、観念するように涙が落ちる。
「年貢の納め時……と、いうことですか……」
忘れようと努めた名を取り戻すつもりはさらさらない。けれど、突き付けられるなら、受け取るしかないと落胆する。
翌朝も颯唏は琉倚を迎えに行く。あいさつをして歩き始め、ポツリと颯唏が話題を振る。
「今日は建物内部を、もう少し詳しく決めていきましょう」
すると琉倚の表情は曇り、颯唏は焦る。
「すみません……その、急ぎはしないので……」
「大丈夫」
迷いのない琉倚の声がスッと通った。
「ごめんね、大丈夫だから」
心配をかけまいとしたのか、笑顔を向けた琉倚に颯唏は呼吸を忘れそうになる。我を見失わないようにと無理に息を吸うが──吸った息にむせそうになり、顔も耳も真っ赤になる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」
颯唏は恥ずかしさでいっぱいになったが、ケラケラと笑う琉倚を見て、今度は違う意味で赤面した。
琉倚といるのは私情ではないと割り切れずに、感情を隠し切れない。でも、颯唏はそれでもいいと思うことにした。
琉倚を利用するのだ。自身の感情を庇う必要はない。利用できるものは、何でも利用すると切り替える。
琉倚を自室に招くと、颯唏はこれまで通りに作業を開始する。ダイニングテーブルの上一面に紙が並んだ光景は、もう見慣れた光景だ。
先ほど廊下で颯唏が言った通り、内部の図面が並べられている。琉倚が中央に座り、気の引く紙から手に取り、細部を見ていく。
図面を指さしながら変更点を言う琉倚のとなりに颯唏は寄り添い、メモを取り続けた。
「でね、ここの階段は少し高めなの」
昼食を終え、作業を再開した琉倚は、今朝表情を曇らせたのが嘘かのように楽しそうだ。図面を指でなぞり、颯唏に思い出話をしているかのよう。
ふたりは知らぬ間に肩を寄せ合い、一枚の図面を見るようになっていた。その姿は、睦まじい。
『ここの階段は少し高めなの』、『ここには噴水』、『ここにはあの色が』、『ここには像があって』──琉倚の明るい声は絶えない。それを颯唏は、うれしそうに聞いている。
落魄したとはいえ、琉倚にとって涼舞城は幼き日々を過ごした生家。
家族と楽しく過ごした思い出もあるのだろう。
――琉倚姫は、落魄してから思い出を話すことがなかったんだろうな。
颯唏はペンを走らせながら、いつの間にかそんなことをぼんやりと思う。そして、少しでも琉倚に寄り添えているような気がした。
ふと、琉倚の言葉が止まる。颯唏はふしぎに思い、ペンを置く。
琉倚の表情が曇り、微かに手が震えていた。
「今日はもう、終わりにしましょう」
颯唏は琉倚の手から図面を離し、裏返す。手際よく他の紙も集め、琉倚の目から離していく。
琉倚は颯唏の様子をぼんやりと瞳に映していた。だが、
「でも……」
と、震える手を握る。
琉倚の声に颯唏が顔を向けると、琉倚が悔しそうにしていた。
颯唏は手を休め、しゃがんで微笑みかける。
「いいんです、本当に今日はここまでで充分ですよ」
声はあっけらかんとしていて、妙に明るい。
「それに、この作業が長引くほど俺はうれしいんですよ? だって、無条件で琉倚姫の間近にいられるんですから」
アハハと颯唏は照れを隠さずに笑う。
琉倚はからかわれた印象を受けたのか。口を一文字にする。
「なっ……さ、颯唏くん!」
ほんのりと頬を赤くした琉倚に、颯唏の口元がゆるむ。初めて颯唏に対して見せた感情に、異性として見たという振る舞いに。
颯唏はうれしさを抑えずに笑う。
琉倚はその笑顔に一瞬、気を許したのか。ぼんやりと颯唏を見、すぐさま首を横にブンブンと振る。そうして目を閉じ、今度は何度も首肯する。
颯唏はクスクスと笑った。
琉倚が、再びまぶたを開ける。
スッと、颯唏は琉倚の頬に触れた。頭が回らないのか、琉倚は大人しい。
颯唏は感情のまま、強く抱き締める。
「琉倚姫」
耳元で囁く想いを込めた声は、ワントーン低い。
「俺に……抱かれてみませんか」
冷静に言ったつもりが、緊張で力が抜ける。
腕の隙間から、琉倚が颯唏を見上げた。緊張感漂う間が流れ──その間は、恋人が持つ特有の許容ある間で──颯唏は迷いなく唇を重ねる。
三秒ほどして少し冷静になった颯唏が唇を離す。一秒おいてみても、琉倚に拒む様子はなく、もう一度接近する。
今度は顎に手をあて、唇の端をなぞる。
太ももの上に置かれた琉倚の手を、もう片方の手で颯唏がそっと握れば、身を固くしたと伝わっても嫌がる様子はなく──颯唏は触れていい部分を探るように衣服に触れていく。
どう触れても琉倚は颯唏を振り払わず、かえって受け入れるかのようなちいさな吐息がもれた。
颯唏は変化に気づいたのだろう。
素肌から手を離し、琉倚の肩を覆う。
「無理にはしません。だから……怖がらないで」
抱き締められ、琉倚は初めて気がついたのかもしれない。琉倚は己の手を見て驚く。
震えていた。
颯唏は琉倚の震えが収まるまで、やさしく抱擁をした。
翌日も颯唏は琉倚を迎えに行き、
「おはようございます」
と、変わらぬあいさつをする。
「お……はよう」
明らかに琉倚が昨日のことを引きずっていると感じれば、
「今日は中庭で花でも見ませんか。たまには息抜きも必要だと思うので」
と、申し出る。
「でも……」
申し訳なさそうにする琉倚に、颯唏はすかさず手を繋ぐ。
「俺の我が儘です。申し訳ありませんが、付き合ってください」
強引に押し切り、笑顔を振りまく。
見とれた琉倚に、颯唏は気づく余裕はない。
こうして、ふたりは中庭で休息をとることになった。
その光景を偶然、大臣は通りがかりに目にする。
いつぶりだろうか。颯唏が楽しそうに見えるのは。
琉倚にさほど笑顔はないものの、ふたりの距離は近く──大臣は目を疑った。
颯唏が琉倚の手を取れば、琉倚は抵抗をしない。涼舞城が堕ちてから、心を閉ざしていた琉倚の明らかな変化だ。ふたりは仲良く手を繋ぐ。
忘れられない声が、大臣の脳裏に過る。
『ありがとう』
大臣が涼舞城を見捨てることを選び、鴻嫗城に戻ると決意して背を向けたときに──琉倚の母が言った言葉だ。ずっと、大臣のことを本名でしか呼ばなかった、特別な人だった。
あの言葉の意味は、気づかないふりをして何十年も生きてきた。
背を向けると決めた直前、背を向けたらその人の命は続かないと知っていて背を向けた。だから、『ありがとう』だったのだ。
琉倚の命があったのは、大臣にとっては奇跡だった。
誰よりも生きていてほしい人だった。けれど、自身は亡霊だと言い聞かしたのだ。それさえも、きっと見透かされていた。
大臣は項垂れる。
今日は、仕事が手に付きそうにない。
数時間後、思った通り仕事の捗らない大臣は廊下に出る。すると、颯唏と琉倚が通り過ぎていった。




