【13】ゆかりの姫
肩甲骨ほどの長さだったクロッカスの髪が、腰ほどまでに伸びた。十三歳になった颯唏は年齢以上に落ち着きを払うようになり、いつのころからか子どもらしさがすっかり抜け落ちていた。
姉の庾月が双子を出産したと聞いたのは、つい最近だ。姪の夷吹と会ったのは、産まれてすぐの一回きり。今回は、帰城の予定が耳に入ってこない。
必ず鴻嫗城に帰ってくると姉は言っていた。期限付きだと大臣は言っていた。けれど、いつかは明確にされていない。颯唏は体のいい慰めだったのだろうとぼんやりと思う。
空しい気持ちを抱え数日が経過し、恭良が意識を落とす。城内が慌ただしくなり、颯唏の思考は停止する。
現実感のないまま翌日を迎え、更に現実と思えぬことが起きる。町娘のような姉が──庾月が、二歳になった夷吹を連れて帰城をした。
これには姉の帰城を心待ちにしていた颯唏も、胸騒ぎを覚える。姉は双子を出産したと聞いたばかり。産まれてまもないはずなのに、その双子はいない。素直に喜べず、ぎこちない笑顔で姉と姪を迎え入れた。
夜になり、颯唏は大臣の部屋を訪ねる。
「姉上は……今度、いつ帰る?」
「わかりません」
大臣の重い声が響く。ためらうが、颯唏は尚も続ける。
「帰る……よね?」
「それを私も……願っています」
庾月がとどまらないことを願っている。──大臣の言葉を聞き、颯唏の胸騒ぎは嫌な予感に変わる。
「まさか」
姉の帰城を待ち望んでいたが、姉の帰城が示すものを初めて颯唏は具現化する。
「王位継承……」
それは、母の死を意味する。
姉と大臣の言葉の意味を、どうして今まで気づかなかったのか。自問自答するが、現実味がなかったからとしか言いようがない。
大臣は視線を落としたままだ。それは、無言の肯定と同様。母の容態は、そこまで悪いのだろう。
颯唏は息を呑む。覚悟をしなければと。けれど、悔し涙が込み上げてきて、颯唏は大臣の部屋を飛び出す。
涙をこらえ、廊下を早足で歩く。
辿り着いた先は、前姫君とその護衛剣士のふたりが描かれた絵画が掲げられている部屋。絵画を前に、恨むように見上げる。
「どうして……」
時間がない苛立ち。気づけなかった悔しさ。叶わなかった願い。それぞれが混じり、感情があふれる。
「俺には……知らなくてはいけないことが……」
──調べなければ。
居ても立っても居られない。窓辺の机に駆け寄り、両手をつく。
どこかに、何かの手がかりがあったはずだと記憶を巻き戻す。一年前、二年前、三年前──そうして、ここで記憶の渦に呑まれる前まで逆再生する。
「そうか……」
見つけた記憶は、『沙稀』の部屋に初めて入ったときに見た一枚の写真。あのときは、見ても考えることをしなかった一枚だ。
仮説にすぎないが、腑に落ちなかったどれもに一致する。すぐには確認できないが、今はこの仮説だけで充分だった。
数日が経ち、庾月がベッドの横で泣き叫ぶ。
「お母様!」
庾月の悲痛な声は城内に響くほど。颯唏は、姉のとなりでその姿を傍観していた。
庾月は恭良の手を取り、涙をハラハラと落とす。次第に号泣する姉を横目で見、颯唏はその場から逃げるように廊下へ出る。
パタン
颯唏は軽いため息を吐き、おもむろに歩き始める。悲しさはあるが、肩の荷が降りた気がしていた。
「颯唏……大丈夫か?」
顔を上げると、心配そうに声をかけてきたのは伯父の瑠既だ。
つい、名で呼びそうになるが、抑える。
「伯父上。何? 俺、母上のあとでも追っていきそうだった?」
「いや、そうじゃないが……この数年は特に恭良にべったりだったただろ? まぁ、父親がいない分もあったかもしれないけど」
『あ~』と、颯唏は間をあけ、
「伯父上は、そうだったの?」
と、返す。
あまりにも予想外な言葉だったのか、
「は?」
と、瑠既は目を丸くする。一方の颯唏は、視線を伏せる。
「姉上の方が心配だ。俺は、少しひとりになりたい。……中庭にいるから、安心して」
伏せた視線のまま、颯唏は歩き始める。
嘘を言った。中庭には向かわない。調べると決めたものを見るには、今しかチャンスはない。
颯唏は目的地に向かいながら、庾月を哀れに思う。
留も同様だ。
庾月も、留も承知の上だったのだ。突然の別れを。恐らく子どもたちまで巻き込み、離れ離れになってしまうともわかっていながら一緒になった。短い歳月の、わずかな幸せのためだけに。
颯唏はそんな姉の気持ちを今更知り、胸を痛める。短い幸せを願っていた姉を、引きとめたがった過去に後悔した。
着々と庾月の継承準備はされ、町娘のような姉はすっかり姫へと戻る。姪は初めてのドレスなのか、やけにはしゃいでいた。いつまで元気な笑顔でいられるかと颯唏は冷めた目で姪を見つめる。
知らない地に来て、これから鴻嫗城を『生家』として様々な仕来たりを学んでいくのだろう。ゆくゆくは継承者となるのだから。
羅凍は庾月の護衛に再就任された。とはいえ、夷吹の護衛でもある。最悪の事態のときに優先されるのは、後者だ。颯唏はこれまでよりも剣に磨きをかけるため、訓練に取り組む。
国葬と同時に庾月の王位継承は大々的に行われ、夷吹の晴れやかなお披露目ともなった。ついこの間まで町娘のようだった面影は、庾月には微塵もない。誰もが魅入り、見惚れるほど優雅に庾月は継承を終える。
あっという間に一年半が経った。夷吹は物心ついてすぐだったのが幸いしたのか、鴻嫗城の姫として教養を吸収している。『家族』とは最低、週に一度でも電話で連絡を取っているらしく、絆は途切れていないらしい。
姉の庾月は宣言通り、責務を放棄しなかった。夷吹も、幼くして家族と離れ会えずとも、しっかり継承者として歩き始めている。
颯唏はこの一年半、立ち止まっていた。剣の腕を磨くために熱心に取り組んだと言えば聞こえはいいが、調べ知ったことを受け止めるには、時間が必要だったのだ。受け止め、自己処理をし、自らがどう行動すべきか定めるためにも。
道筋は、見出せた。
けれど、それはいばらの道で。一歩でも進めば決して引き返せず、突き進み続けるしかない。
──いつまでも踏み止まってもいられない。
颯唏は意を決する。
向かうは大臣の部屋だ。母が亡くなった日に、伯父に嘘をついて向かった先と同じ場所。
ノックをすれば、颯唏の重い気も知らず、大臣の単調な声が返ってくる。颯唏はカチャリとドアノブを回し、チクリとする刺の道へと足を踏み入れる。
「大臣、会わせてほしい人がいる」
神妙な面持ちで言うと、大臣の表情が曇った。
「誰ですか?」
「涼舞城ゆかりの姫、琉倚姫」
大臣の様子をよそに、尚も続ける。
「父上の、婚約者だったんでしょう?」
誰も知らないはずのことを口にした途端、空気が一変する。
「なぜ琉倚のことを……知っているのですか?」
「俺に知られると、何かまずいことでもあった?」
大臣を追い込む。たとえ大臣を血まみれにしようとも、颯唏はもう止まれない。
「いえ、何も」
他に言える言葉は、大臣にはないのだろう。颯唏には手に取るようにわかる。もし、琉倚のことを大臣がごまかそうとするなら、どこかでボロが出る。
「じゃあ、いいよね? そうだなぁ……できるだけ早く会いたいな!」
大臣は青ざめたが、颯唏は無邪気ににっこりと笑ってみせた。




