【12】現実と夢の狭間(2)
姉の腕の中には、何かが大切そうに抱かれていた。颯唏が駆け付けると、娘だと姉は告げる。
十二歳で颯唏は初めてちいさなちいさな存在を見、妙にドキドキと胸が高鳴る。
兄弟は姉しかいない。いとこは四人いるが、みな颯唏より年上だ。
──こんなにちいさい存在が、命……。
「触っても大丈夫よ」
幸せそうな姉の言葉に従い、颯唏はおそるおそる手を伸ばす。そっと触れたのは、ちいさな手。壊れてしまいそうなほど細くちいさな指は、しっとりとやわらかかった。脆そうでいて、力強いちいさな指に握られ、颯唏は我を失う。
「お前もこうして生まれてきたんだよ」
伯父の言葉にハッと我に返る。顔を上げれば周囲には羅凍も大臣も集まってきていた。
握られたちいさな手に、頭が真っ白になったままだ。伯父の言葉に実感を持てない。狼狽しそうな颯唏をよそに、周囲は喜びにあふれ笑顔が飛び交っていた。
その夜、颯唏は父の部屋に向かう。
部屋に入り、室内を初めて来た日のように歩く。
別に何かを探しているわけではない。けれど──気がつけば机の引き出しを開けていた。
「どこの鍵だろう」
忘れられたように鍵の束が置いてある。見たことのない鍵を見、ひとつをかざし見入る。途端、激しい頭痛が襲ってくる。
断片的に知らない景色が浮ぶ。
その視線は、颯唏の視線の高さではない。二十センチほど高い視線だ。途切れ途切れで揺れる景色。
ある扉の鍵を開けた。
そこには肖像画が飾られている。三つのちいさなライトに照らされて。
「母上……父上……」
初めて聞く声が聞こえた。だが、言葉は自身から発せられ――しかし、どこか懐かしく感じる。
颯唏は目を開き、一気に上半身を起こす。
周囲を見渡し混乱する。ここは自室で、颯唏自身のベッドの上だ。夢だったという判断に至る。
ひどく汗をかいている。
鼓動がうるさい。
颯唏はベッドから飛び降り、ひとつの鍵を握って足早に自室を出る。
廊下を一目散に歩く。向かわずにはいられなかった。──父の部屋へ。
父の部屋に入るなり、颯唏は一直線に進む。夢で見た机へと。これまで意識したことのなかった机だが、夢の通り歩けばまったく同じ机があった。
衝動的に引き出しを開けると、そこには夢と同じく忘れられたかのような鍵の束がある。
夢であったのに、現実に存在していた物を颯唏は手に取る。そうして、すぐさま廊下へと出る。
ここから先は、断片的にしか知らない。けれど、颯唏はその落ちゆくような景色を追っていく。
鴻嫗城は広い。しかも入り組んでいる。颯唏が通ったことのない道はたくさんある。生家とはいえ、迷わない保証はない。
だが、颯唏は懸命に夢の欠片を追う。何かに導かれるかのように、無我夢中で駆けていく。
高鳴っていた鼓動はより早く、呼吸はいつの間にか過呼吸に近い。
そうして辿り着く。
夢で見た扉の前に。
握り締めていた鍵の束から一本選び、差し込む。回せば扉はちいさな開錠音を鳴らした。
おそるおそる扉を開け、暗く細い道を進む。行き止まりになっても焦りはしない。左手を精一杯伸ばす。奥に、道を開けるものがあると夢で体感していたから。
古めかしい扉が現れ、固唾を呑む。この扉の鍵も知っている。
扉を開けると、ちいさなライトが三つ──肖像画を照らしていた。
肖像画を目の前にして、颯唏は再び激しい頭痛に襲われる。──夢では何かをしようとしていた最中だった。捜そうとしていたのか、隠そうとしていたのか、はっきりしない。
「ああぁぁぁあ!」
颯唏は痛みに叫ぶ。
離れたくないと願った人がいた。守りたいと願った人がいた。──この想いは確かに知っている。己が抱いていた感情だ。
「あぁ……ああっ!」
激しく涙を落とす。あふれてくる感情を止められない。ヨロヨロと壁に寄りかかり、うずくまる。
しばらくし、颯唏は立ち上がる。閉ざされている窓辺へと向かう。
そう、隠したのだ。だから、見つけなくてはならない。
窓辺にある机の引き出しを開ける。──引き出しには、大金とメモが入っていた。
颯唏はメモを閉じ、引き出しをパタリと閉める。
窓から月を仰ぐ。
月は、クロッカスの瞳に揺蕩った。
『これを見つけるのが俺であることを願う』
メモには、そう書かれていた。
 




